落ち葉の季節ですね。
街角にも住宅街にも
舞っては積もっています。
しかし
落ち葉をはくという習慣は
なくなってきたような気がします。
ここには、少し懐かしい
晩秋の情景が描かれています。
◇
「 落 葉 」
お背戸にゃ落ち葉がいっぱいだ、
たあれも知らないそのうちに、
こっそり掃いておきましょか。
ひとりでしようと思ったら、
ひとりで嬉しくなって来た。
さらりと一掃(ひとは)き掃いたとき、
表に楽隊やって来た。
あとで、あとでと駆け出して、
通りの角までついてった。
そして、帰ってみた時にゃ、
誰か、きれいに掃いていた、
落葉、のこらずすてていた。
金子みすゞ
「さみしい王女」より
◇
「 落 葉 」
お背戸にゃ落ち葉がいっぱいだ、
たあれも知らないそのうちに、
こっそり掃いておきましょか。
ひとりでしようと思ったら、
ひとりで嬉しくなって来た。
さらりと一掃(ひとは)き掃いたとき、
表に楽隊やって来た。
あとで、あとでと駆け出して、
通りの角までついてった。
そして、帰ってみた時にゃ、
誰か、きれいに掃いていた、
落葉、のこらずすてていた。
金子みすゞ
「さみしい王女」より
◇
昔は、表を竹箒などで掃いている人を見かけましたが、そういうことは情緒のあることだったのかもしれない、と思うほど見かけなくなりました。
きっと日本のどこかでは、まだこの時期、落ち葉を掃除する風流な人がいてくれることでしょう。
子どもにとって、落ち葉を掃くということは、楽しくて、しかもいいことをしたとほめられる、一石二鳥のことなのではないでしょうか。
たくさん集まった落ち葉は宝の山に見えるのかもしれません。
誰も知られないうちに、そっと掃いておこうと思ったのに、先を越されてしまい、落ち葉は影もなく、処分されてしまった後でした。
楽しみを取られてしまった、というかのような、少し残念げな少女の顔が浮かぶような、余韻の残る詩です。
昔はテレビもゲームもありません。
楽隊がやってきて、飛び出していく。なんかのどかですね。
お背戸というのは、裏口や裏門のことをいうのだそうです。
最近は裏口のある家は少なくなりましたね。
私の子どもの頃の家や、実家には勝手口というものがありましたが、最近の関東の家を見ると、それすらないですね。(大きな家にはあるのでしょうが。)
玄関がいいものも悪いものも出入りする場所になっています。
昔は、裏の家には、裏を通って裏門からいけましたが、家は裏側に見えていても、表通りに出て、この道は袋小路だから、ぐるっと回ってそこからしか入れない、一方通行の吹きどまりの家が多いようです。
よい福だけを招く玄関と、悪いものを排出する裏門とあった方が、風水的にもきっといいのではないでしょうか。
また、外で遊ぶ子どもたちの声もあまり聞こえません。子どもの声は、私はうるさくてストレスになるほど聞かせてもらっていますが、子どもが楽しそうに遊んでいる声というのは、私たちの心を癒したりもすると思います。
家の中は温かく快適ですが、土地も狭く、住宅地も袋小路だらけ。悪い気がたまっていそうな昨今の住宅事情ですね。また少子化で、浄化してくれそうな子どもの笑い声も少ないような気がします。
話がわき道にそれました。
いずれにしても、秋深い頃の、情景の浮かんでくるような一編ですね。
狭い家に住んでいても、このような詩を通して気分転換をして、心は広々と、ゆったりして、まだ終わらない秋を楽しみたいですね。
私も、誰も知らないうちに、何かいいことを探してやってみようかな…。