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2010年10月28日

「じゃじゃ馬ならし」どうして、じゃじゃ馬は馴らされたのか?!


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今日は思い切って、シェイクスピアを書くことにしました。

日本人に深く愛されているというシェイクスピアですが、私も好きです。
小説ブログで、「じゃじゃ馬ならし」のあらすじを載せると予告したので
どうせなら、ということで…。

「じゃじゃ馬ならし」というタイトル(邦題)がまたいい。
全作を訳している坪内逍遥の力です。すごい。

「じゃじゃ馬ならし」からイメージされるものが楽しい。
「じゃじゃ馬」というのは、逍遥がこれを訳してから女性を指す言葉になったという説がありますね。おそらくそれまでは、暴れ馬ということだけだったのかもしれません。

前置きがどんどん長くなりますので、あらすじを紹介しましょう。

ある裕福な商人に二人の娘がいた。
妹は美しく性格もよいので、求婚者が絶えない。

しかし、問題は姉のカタリーナ(ケイト)だった。
彼女は誰も手のつけられないじゃじゃ馬だった。
極端に熱しやすく、誰も制御できない。

困った父は、姉に大きな持参金をつけ、
更に姉が嫁いだ後でなければ、
妹のビアンカを嫁に出さないと公言する。

困ったのは、妹の二人の求婚者たち。
求婚者のひとりは、
お金に目のない友人のペトルーキオ(以下ペト*)に持参金の話をする。

ペトは人並みの男でなく、いわば破天荒な怪物。
じゃじゃ馬のカタリーナも口で負かされて、瞬く間に結婚式に。

夫となったペトは妻をケイトと呼び、馴らし始める。

食事をさせない、睡眠をとらせない、着飾らせない、
ペトはあらゆる理由をつけて、これを徹底し、
ケイトは生まれ変わる。
従順な女へ。

実家では、妹も結婚し、
ペトの友人はあきらめて他の女性と結婚する。

この三組の夫婦が集まった宴で、男たちが賭けをする。
父は更に大きな持参金を添えると言い出す。

夫たち三人の「すぐに来なさい」という申し出に従ったのは、
ケイトだけだった。


あらすじでは実は、この「じゃじゃ馬ならし」の面白さは伝えられません。
言葉の掛け合いが面白いのです。
ケイトがああいえば、ペトがこういう。
最初は、まるで反発しているように見えるケイトも
最後には、ペトが太陽を月といえば、そうだと言うようになります。

「じゃじゃ馬ならし」の経過は描かれていないので、若い頃読んだ時は、
どうして、ケイトが従順になったのか、不思議だったのですが…。

ペトは、彼女に食事、睡眠、着飾ることをさせない間は自分もしないのです。
そして、最後には褒めてやろうというのが彼の作戦でした。

「褒める」というのがよかったと思いますが、
彼はなかなか優しい人で、器が大きいんですね。
きっとペトは優しくしてあげたんではないでしょうか。

ケイトもその掛け合いの中で、愛情を育んでいったような気がします。

彼女は徹底的に否定されたようで、実は内面に持つものを引き出された、
つまりすべてを認められたんではないでしょうか。

“Kiss me Kate”という台詞が三回出てくるのですが、
応えるケイトの気持ちが、変化していっているのは確かです。

張り合うよりは、夫の言う興にのってみよう、そんな風に彼女も楽しんでいるのかもしれません。

フェミニストが、反対する面の多い戯曲ですが、
多くの人に愛されるのは、気分のよさの残るお話だからでしょう。

また、追々こんなお話も。

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*ペトについて
追記:ケイトというのは、カタリーナの愛称の一つで、
   ペトルーキオが実際そう呼んでいますが、
   ペトルーキオをペトというのは、私が勝手に略しました。
   聞きなれない名前だとややこしいので。
   正確さをきするシェークスピアファンの方がおられたら、
   失礼をお詫びします。

参照:じゃじゃ馬ならし - Wikipedia
   『じゃじゃ馬ならし』 The Taming of the Shrew←シェイクスピア全作品解説、あらすじ


【参考書籍】
        

【参考ブログ】 kuri-maの小説を発表しています↓
      「じゃじゃ馬ならし」プロジェクト?!(3)眠り姫と眠り王子36
 

写真は「パノラマな人生」より『女心と秋の雲』



posted by kuri-ma at 05:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の本棚 文学の香り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月20日

今夜は十三夜、「片月見」は縁起が悪い?!(2)


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十三夜を愛でるというのは、日本ならではのものだそうですね。

中秋の名月(十五夜)と、この十三夜は両方を見なければ
「片月見」といって縁起が悪いという話をしました。
同じ場所で、同じ人と見るのがいいとされたようです。

十五夜も十三夜も同じ我が家で鑑賞できるのは、幸せなことかも。

「片月見」あるいは「片見月」というのは、なんだか両思いになれない寂しさを感じますね。

また、十五夜、十三夜は場所を変えて見たらよくないというのは、
客をまた呼ぶための吉原の遊郭の宣伝だったかもしれないようですが…。
参照→月見 - Wikipedia - 十三夜(晩秋)


「たけくらべ」で遊郭に育つ少女美登利を描いた樋口一葉の作品に、
「十三夜」がありますが、とても趣きのある短編です。

時代の中にあって、自分の思いを抑えて、周囲のため、
そして与えられた運命を甘受していくそんな姿が描かれています。

これにも、「片月見」のことが描かれていますね。

短いので、現代語訳で読んでみられたらいいかと思いますが、あらすじはこんなです。

十三夜の夜、人に“奥様”と呼ばれる身分の、
いい家柄に嫁いで7年になるお関が実家を訪ねる。
夫に見初められ、何がなんでもという矢の催促で結婚したにも関わらず、
半年ばかりで熱も冷め、子供を身篭った頃から
夫は最初執着したのとは反対に、彼女を毛嫌いするようになる。
息子の太郎のため、実家のためにと忍耐してきたが、もう限界と
家にはほとんど帰らない夫の留守に、
離縁状をもらう覚悟で実家に来たのだ。

その当時のこと、離縁も夫が受け入れれば、子供とも離され、
二度と会うことはできない。
しかし、夫の仕打ちを受ける苦痛に比べれば…。

離縁すればもっとみんなを不幸にするだけで、
子供との縁も切れ、弟も職を追われるかもしれない。
涙は各自(てんで)に分けて泣こうぞ」と父に、なだめすかされて
私一人が死んだ気になればいいと、決心を変えて家に帰ることにする。

その途上、拾った人力車の車夫(くるまや)が、
身を持ち崩したかつての思い人、録之助だった。

お関の縁談が決まってから、やけになって遊び始め、
家庭を持てばマシになるかとかわいい妻を娶らされるが、
それでも放蕩に明け暮れ、
一昨年には商売も人手に渡し、汚い安宿暮らしをしている。

お関にしても、お互いに約束をしたわけでも、伝え合ったわけでもないからと、涙ながらに思いを断ち切ったのだが…。

録之助は、よい家の奥様であるお関の悩みを知るわけはなく、
自分の落ちぶれた身の上を恥じるばかりだった。

またお関もその思いの内を伝えることなく、十三夜の月の下を別れて行く。

其人(それ)は東へ、此人(これ)は南へ、大路の柳月のかげに靡いて
力なさそうの塗り下駄のおと、村田の二階も原田の奧も憂きはお互いの世におもう事多し。


十三夜の月は、寂しい「片見月」だったのでしょうが
ただ二人を照らすだけで、何も主張する表現はありません。

しかし、静かな夜に白い月の光が差すだけで哀愁が漂うようです。
もう戻ることのできない少年と少女の頃の淡い思い出が、
郷愁のように浮かび上がってきそうです。

また追々こんなお話も…。

 
ピアノ、音楽 by Masashi Yamanaka 「あまり水面を見つめていると、
引き込まれてしまうかもしれないよ。


他にも“月”の曲がいっぱいあります。よろしかったらどうぞ
465 月影 "Moonlight"
450 迷子の月 "Lost Moon" 「最近、月を見ていない。
   迷子なのは僕のほうかもしれない。いつの間にか二つに増えていませんように。

              
                  

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参照:十三夜 樋口一葉 旧仮名遣いですが、全文が記載されています。





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2010年10月19日

十三夜、片月見は縁起が悪い?!

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中秋の名月と並び賞される十三夜が近いので、
月のことを調べてみたくなりました。

先月の十五夜(中秋の名月)を見た方は、この十三夜も合わせて見ないと
「片月見」といって、縁起が悪いそうですよ。

十五夜と十三夜を同じ場所で見ないと「片月見」になるといわれることも
あるそうで…。

十三夜は、明日、10月20日の夜です。
栗のおいしい季節になりました。「栗名月」とか「豆名月」という
別名もあるそうですね。
それに対しては「芋名月」というのが、十五夜の別名です。
                                参照→こよみのページ

上にあげた画像の、李白の有名な詩です。↓

静夜思 李白

牀前(しょうぜん) 月光を看る
疑うらくは是れ 地上の霜かと
(こうべ)を挙げて 山月を望み
頭を低れて 故郷を思う


谷崎潤一郎の言葉を引用して、この詩を味わってみましょう。
この詩(静夜思)にはなにか永遠な美しさがあります。
ごらんのとおり、述べてある事柄はいたって簡単でありまして、
「自分の寝台の前に月が照っている、
その光が白く冴えて霜のように見える。
自分は頭を挙げて山上の月影を望み、
頭を垂れて遠い故郷のことを思う。」と、
いうだけのことにすぎませんけれども、
そうしてこれは、
今から千年以上も前の「静夜の思い」でありますけれども、
今日のわれわれが読みましても、
牀前の月光、霜のような地上の白さ、
山の上の高い空にかかった月、
その月影の下にうなだれて思いを故郷にはせている人のありさまが、
不思議にありありと浮かぶのであります。
また、現に自分が
その青白い月光を浴びつつ郷愁にふけっているかのごとき感慨をもよおし、
李白と同じ境涯にひき入れられます。

この詩の中には月明に対して遠い故郷をあこがれる気持、
一種の哀愁がこもっておりますが、
作者は「故郷を思ふ」といっているだけで、
「寂しい」とも「恋しい」とも「うら悲しい」とも、
そういう文字を一つも使っておりません。

文字の表になんともいっていないところに沈痛な味わいがありまして、
多少なりとも哀傷的なことばが使ってありましたら、
必ずあさはかなものになります。
『文章読本』より


李白が書いているのは「月光」とあるだけで、満月なのか、十三夜なのか、
とにかく、白く明るい月なんだとわかるだけですが…。

下にお送りするさだまさしの「静夜詩」は、李白の詩を元にしたのでしょうが、山際に昇ってくる十三夜を描いています。
月の映像がきれいな動画を選びました。どうぞ。↓



静夜思  

ゆうらりと山際に のぼり来る十三夜
薄絹をまとふ如く 銀色(しろがね)に光降る
風も無き雲路に 静静心細く
思ひ出の縁取りの ほつれゆく音のあはれ
ふるさとは既に遠く 日ぐれて尚 道遠し
たおやかな 月の光に 知らず知らず涙零る
未だ見ず流星の 落ちゆく 昊(そら)の涯
独り寝の窓辺に聴く 君を恋うる歌

さだまさし


明日も、別の十三夜の話題でお送りします。

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参照:漢詩 静夜詩 李白 ← 漢詩の解説としてわかりやすい 書などもあり
   趣味の漢詩 静夜詩 ← 谷崎潤一郎の『文章読本』はここから引用しました



posted by kuri-ma at 05:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の本棚 文学の香り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする