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2011年10月09日

《臨時記事》今日は十三夜です


お月さま〜
去る9月12日中秋の名月は満月でした★


突然ですが、今夜は十三夜だったようで、忘れていたので、臨時記事を入れることにしました。
昨年は10月20日、来年は27日ですが、今年は早いんですね。
旧暦の9月13日が毎年その日なのですが、年により違うので、ややこしいですね。

さっき、何かの予感のようにふと「十三夜っていつだっけ?」と調べると今日でした。慌てて空をみると曇っていたのですが、今は雲も晴れてきました。やはりきれいですね。
皆さんもお月見してみてください。

今夜を見逃しても、しばらくは月がきれいな晩になるでしょう。



十三夜については昨年の記事を参考にしてください。
 十三夜、片月見は縁起が悪い?!
 今夜は十三夜、「片月見」は縁起が悪い?!(2)



写真は: by (C)緋佳さん
お月さま〜
2011.9.12(旧暦8.15)
中秋の名月は必ずしも満月になるとは限らないのですが
今年は前回の2005年以来6年ぶりに満月となりました

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posted by kuri-ma at 19:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の本棚 文学の香り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月22日

りんごは「苹果」って知ってました?! 宮沢賢治の心


99809438_v1316650207岩手の海岸.jpg


ひとはすでに二千年から
地面を平らにすることと
そこを一様夏には青く
秋には黄いろにすることを
努力しつづけて来たのであるが
何故いまだにわれらの土が
おのづからなる紺の地平と
華果とをもたらさぬのであろう
向うに青緑ことに沈んで暗いのは
染汚の象形雲影であり
高下のしるし窒素の量の過大である

               
宮澤賢治



昨日は宮沢賢治の命日でした。以前、「雨ニモマケズ」は紹介したことがありますが(こちら)今日はこの季節の頃の賢治の詩を紹介します。

九月なかばとなりて
   ようやくに苹果青(りんごせい)のいろなせる
稲の間を
   農事試験場三十年の祭
見に行くという人々に伴いて
   あした(朝)はやく急ぎ行きしに
   蜂の羽の音しげく
   地平のはてに汽車の黒きけむりして
   エーテルまたはクロロフォルムとも見ゆる
   高霧あえかに山にかかりき



りんごというのは、林檎という漢字しか知りませんでしたが。苹果と表記されていたようですね。
調べてみると、中国ではりんごは苹果といい、林檎という果実はあるのですが、りんごではない他の果実を言うようです。
賢治は「苹果」という言葉にこだわって使ってきたようですが、日本語としては、今ではほとんど残っていませんね。

「稲」は賢治には特別の関心と思いがあるものでしょう。少し、薄い黄色になってきたということでしょうか。

汽車の煙を、「エーテル」とか「クロロホルム」で比喩していますが、エーテルとは物質界に漂っているとしてかつて(19世紀までは)信じられていたものだといいます。クロロホルムも匂いは特殊だといいますが、無色透明な薬品です。汽車の煙が高い霧となったように美しくほのかに漂っているのでしょう。


下はもう少し秋めいた頃の歌でしょうか。賢治の直筆楽譜もあり、曲風は穏やかな賛美歌かなぁという感じになっています。
こういうのが情景的にはミレーの落穂ひろいに通じるものがありますね。

kobo.jpg

耕母黄昏

風たちて樹立さわぎ
鳥とびてくれぬ
子らよ待たん いざかへれ
夕餉たきてやすらはん

風たちて穂麦さわぎ
雲とびてくれぬ
子らよ待たん いざかへり
夕餉たきていこひなん



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写真は:「岩手の海岸」
akemiさん
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posted by kuri-ma at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の本棚 文学の香り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月11日

行く春は悔ゆ?!(ゆくはるはくゆ)回文の歌と「いろは歌」


2011.04.10 極楽寺 山門とさくら.jpg


満開の桜はすでに散る予感を感じさせます。春は別れと出会いの季節ですね。

惜しめとも ついにいつもと ゆく春は
悔ゆともついに いつもとめしを

上記の歌は、回文になっています。上から読んでも下から読んでも同じという、言葉遊びです。
今の季節に合っているような気がするので、紹介します。
言葉遊びの短歌ながら、いってしまう春を惜しむ歌としてまとまっているようです。


藤原基俊の歌として伝わっているのが、
群草に草の名はもし備はらば 
なぞしも花の咲くに咲くらむ


また回文というのは終わりがなく、おめでたいということで、
七福神の宝船とともに書かれてきた和歌があります。

永き世の 遠の眠りのみな目ざめ
波乗り船の音のよきかな

初夢に見ると縁起がいいということで、枕の下にこの和歌を書いた紙をおいて寝るといいと言われているそうです。次の元旦にはどうぞ、お試しください。


回文というのは、日本語だからできると思っていたら、英語にもあるんですね。“Madam, I'm Adam.”
“Able was I ere I saw Elba.”

数字でもあるということです。
1234+8765=9999=5678+4321
111111111×111111111=12345678987654321=111111111×111111111

音楽でも、バッハの逆行カナンやモーツアルトの曲に、そんなものがあるようです。
いろんな世界で遊び好きな人たちが古来からいたようですね。


また、言葉遊びに話を戻すと、
「いろは歌」は、昔のかな文字を過不足なく使って、見事な歌にしています。
これを昔の人は諳んじていたのです。
今の50音の配列は合理的ですが、遊び心、歌心の込められた「いろは歌」には到底及びません。

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず

いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす

意味を書くと何か風情はなくなってしまうのですが
「花は咲いても散ってしまう。
この世にずっと変わらず存在し続けるものなんてありえない。
『人生」という険しい山道を今日もまたひとつ越えて
はかない夢は見たくないもの、酔いもしないで。」
というような意味になります。

昔の人のこんな遊び心は、現代にも受け継がれていると思うのです。
誠実さの中にも、遊び心をもって、この春の日を過ごしてみてください。


「桜 V 」ピアノ音楽 "Sakura V" Piano Composition
山中允


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写真は、ひでわくさん「極楽寺 山門とさくら」



posted by kuri-ma at 08:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の本棚 文学の香り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする