昨日、5月2日は、樋口一葉の生誕142周年でした。
Googleロゴで、気づきました。とても素敵なイラストですね。
「別れ霜(わかれじも)」と紹介しているものもありましたが、私は「十三夜」*の場面に間違いない、と思います。
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樋口一葉といえば、今や5千円札の人として、誇るべき日本女性になりました。
24歳で、肺結核で亡くなった薄幸の天才作家。特に亡くなる1年前の14ヵ月は、奇跡の14ヵ月と言われるほど、傑作を発表し続けました。
何を隠そう、私も一葉ファンの一人です。
中学の頃から、モンゴメリーと樋口一葉に憧れていました。アンネの日記にも影響を受けました。
彼女の紡ぐ文語調の日本語があまりに美しく、「たけくらべ」の最初の部分は暗誦したほどです。
基本的にはハッピーエンドしか好きでない私にはめずらしく、一葉だけは、例外なのです。
彼女の描く、悲しい身の上の女性たちの物語。どれもリアルに描かれながらも、美しい淡い悲劇となって、詩情ともいうべき情景描写が実に見事です。
こうして、彼女の亡くなった年をはるかに越えて思うのは、彼女の類まれな才能と、孤高な人間性というのでしょうか。
できることなら、もっと長く生きて、愛する夫と子どもを得てほしかったですね。
昔の作家たちには、なぜか短命の人が多いのですね。
自殺で亡くなる人も多かったですが、肺結核が不治の病だった頃のことですから。
胸を患うということは、心配なこと、胸が詰まるような思いが多かった人なのかもしれません。物書きというのは、やはり繊細な神経の持ち主でもありますから、心労が病気につながることもあったのでしょう。
*「十三夜」は、一葉の代表作の一つです。以前にあらすじを要約して、掲載したことがありましたので、ちょっと季節は違いますが、一葉にちなんで紹介します。
ちなみに「別れ霜」は読んだことはないのですが、もっと初期の作品で、悲恋の末心中を選んだ男女の物語。確かに男主人公は、車夫になるのですが、あの、大きなきれいな月は、きっと「十三夜」かと思うのです。
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十三夜の夜、人に“奥様”と呼ばれる身分の、
いい家柄に嫁いで7年になるお関が実家を訪ねる。
夫に見初められ、何がなんでもという矢の催促で結婚したにも関わらず、
半年ばかりで熱も冷め、子供を身篭った頃から
夫は最初執着したのとは反対に、彼女を毛嫌いするようになる。
息子の太郎のため、実家のためにと忍耐してきたが、もう限界と
家にはほとんど帰らない夫の留守に、
離縁状をもらう覚悟で実家に来たのだ。
その当時のこと、離縁も夫が受け入れれば、子供とも離され、
二度と会うことはできない。
しかし、夫の仕打ちを受ける苦痛に比べれば…。
離縁すればもっとみんなを不幸にするだけで、
子供との縁も切れ、弟も職を追われるかもしれない。
「涙は各自(てんで)に分けて泣こうぞ」と父に、なだめすかされて
私一人が死んだ気になればいいと、決心を変えて家に帰ることにする。
その途上、拾った人力車の車夫(くるまや)が、
身を持ち崩したかつての思い人、録之助だった。
お関の縁談が決まってから、やけになって遊び始め、
家庭を持てばマシになるかとかわいい妻を娶らされるが、
それでも放蕩に明け暮れ、
一昨年には商売も人手に渡し、汚い安宿暮らしをしている。
お関にしても、お互いに約束をしたわけでも、伝え合ったわけでもないからと、涙ながらに思いを断ち切ったのだが…。
録之助は、よい家の奥様であるお関の悩みを知るわけはなく、
自分の落ちぶれた身の上を恥じるばかりだった。
またお関もその思いの内を伝えることなく、十三夜の月の下を別れて行く。
「其人(それ)は東へ、此人(これ)は南へ、大路の柳月のかげに靡いて
力なさそうの塗り下駄のおと、村田の二階も原田の奧も憂きはお互いの世におもう事多し。」
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