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2017年12月11日

実在の皇女、「松虫姫」の伝承?! 父、聖武天皇を感動させたのは

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秋景色・相模川芒屏風。


成田からの帰り道、友人が駅名を見て言いました。
「松虫姫だって、なんだろう?」

私は、「虫めづる姫君(蟲愛づる姫君)」が浮かんで、「おとぎ話かなんかじゃない?」とトンチンカンなことを言っていたところ、その場でググってみると、実在の人物だと分かりました。
それも、かなり数奇な人生を歩んだ人のようで興味をそそられました。

ひらめきタイプのその友人が「ブログに載せてみたら」というので、鉄は熱いうちにと、早速取り上げることにしました。


幼名をなぜ「松虫姫」と名付けられたかはわかりませんが、不破(ふわ)内親王という正真正銘のその時代のプリンセスがその人で、聖武(しょうむ)天皇の皇女です。
時代でいうと、奈良末期から平安初期の人。

駅名に()書きで「松虫姫」とあるのは珍しい気がしますが、近くに松虫寺、松虫姫公園などがあるとのこと。

松虫寺にまつわるエピソードは──

重いらい病を患った内親王が、夢で効験あらたかな薬師如来があられるとお告げを受け、その場所に行きお堂を見つけ、一心に回復を祈ったところ、全快したといいます。
喜んだ父の聖武天皇が、行基に命じて寺を建てさせ、内親王にちなみ「松虫寺」と名付けられたとのこと。


この松虫姫こと不破内親王の略歴を調べてみると、その病気からの生還も劇的ですが、その頃の天皇家の勢力争いも熾烈であり、まさに波乱に満ちた生涯だったようです。

おそらく720年前後の生まれだと思われるので、40歳前後の頃、夫が藤原仲麻呂の乱に参加したことで殺害されるも、連罪は免れます。

その5年後、時の天皇(称徳天皇=孝謙天皇)を呪詛したという疑いで、内親王の位をはく奪され、謹慎処分となりますが、3年後えん罪と認められ復帰します。

しかし10年後、息子が謀反を起こそうとしたとして、流刑になったということです。その後の記録はないですが、流刑地のどこかで亡くなったのでしょう。


歴史に記録が残るというだけでも普通の人ではありませんが、孝謙天皇方と対立する立場だったのか、同じ聖武天皇の娘同志、姉妹であるのに、明暗を分ける人生だったようです。

病気のために庵を結んだのを見る時に、おそらく信心深い方だったのではないでしょうか。
皇女がたくさんいる中で、父である天皇を感動させたのは、彼女のその一心な姿だったのかもしれません。
それが松虫姫の名が歴史に残ったゆえんだと思うのです。

こうして歴史を見る時に、権力を握った人が必ずしも正義ではなく、血で血を洗うような争いの絶えないものだったと、わかります。
それでは、いったいどうやって生きるのがよいのか、考えさせられますね。

平城京から平安京の時代、その頃の僻地・東国である千葉の地に、夢のお告げを信じ、求めていった健気な松虫姫の姿を偲ぶために、そのゆかりの地を一度訪ねてみたいと思うのです。


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プロフィール
ほんままゆみ(本名:栗原まゆみ)
世界平和の夢をあきらめられない、ヨーロッパ滞在歴≒ボランティア歴ありの、三男一女の母。見えない世界、霊界、神様についてや、ズバリあなたの使命をお答えします。夢を叶えたい人、カウンセリング募集中!(四柱推命鑑定も可。)
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posted by kuri-ma at 04:35| Comment(0) | 日本 天皇 皇族  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月14日

「忍びがたきを忍び…」 終戦の勅書(玉音放送)は何と言っているの?!<現代訳>  ★【写真特集】ペルセウス座流星群、世界各地で観測 今年は当たり年

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2015.08.11 追分市民の森 マリーゴールドにオオシオカラトンボ


時運(じうん)の趨(おもむ)く所、
耐え難きを堪え、
忍び難きを忍び、
以て(もって)万世(ばんせい)の為(ため)
太平(たいへい)を開かむと欲す。


終戦の詔書(玉音放送)より



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終戦の詔書


明日は終戦の日。

玉音放送として知られている、終戦の詔書、これは安岡正篤(やすおかまさひろ)氏が、加筆し完成したということです。
昭和天皇が巡幸の折などに話されているお言葉に比べると、ずいぶん難しい言葉使いですから、やはり安岡氏の手によるものであることは間違いないと思います。

難しくはありますが、とても素晴らしい内容です。

この記事の冒頭に抜き出した部分は、一番有名な箇所ですね。

意味はこうなります。
「私は時の運に逆らわず、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、万世(後の世)のために太平を切り開こうと思うのです」

つまり、堪えられないようなこと、我慢できないようなことにも耐えて、未来の平和を切り開こうと言われているのです。

耐えることの難しかった、戦中戦後の、日本国民の心に残った部分だったのでしょう。
そのお言葉を胸に、頑張っていけたのではないかと思います。

この玉音放送は、ドラマでは何回も聞いたことのある、有名なものですね。
ラジオから直接、それを聞いた、当時6歳だった母が言うには、もっとずっとよく聞こえなかったといいます。
ドラマでも十分聞きづらいと思うのに、本当に何を言っているか分からなかったことでしょう。

放送では、録音版による天皇陛下の詔書は5分ですが、同じ内容をアナウンサーが朗読し、その他の終戦関連ニュースも合わせて37分の放送だったといいます。

よく考えてみれば、ドラマなどでは、当然のように使われているものだというのに、国民である私たちは、正しい意味を知らないでいたのです。なんだかおかしいことです。
歴史でしっかり学ぶべきことなのではないでしょうか。

現代の私たちに分かるように、現代語訳を掲載します。できるだけ原文に近い形でと考えて、修正しています。


 私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを考えて、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良な国民に告げます。


 私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させました。


 そもそも日本国民の安全を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が遺してきた教えであり、私が常々大切にしていることです。

米英二国に対して宣戦した理由も、日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではありません。


 ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇戦、我が多くの公職者の懸命な働き、我が一億国民の奉公も、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転していませんし、世界の大勢もまた我国に利がありません。

加えて、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至りました。


 このまま尚戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招来させるだけでなく、ひいては人類の文明をも破壊しかねないでしょう。

このようなことでは、私は一体どうやって一億の愛すべき国民を預かっている立場で、代々の天皇の御霊に謝ることができましょう。これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言(無条件降伏)に応じさせるに至った理由です。


 私は、日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては遺憾の意を表せざるを得ません。

日本国民で、戦地において死した者、公務にて殉職した者、その遺族に想いを寄せると、我が身が引き裂かれる思いです。また戦傷を負ったり、災禍を被り、家業を失った人々の厚生については、私が深く心を痛めています。


 考えれば、今後日本の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではないでしょう。

あなたがた国民の本心も私はよく理解しています。

しかしながら、私は時の運に逆らわず、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、万世(後の世)のために太平を切り開こうと思うのです。


 私は、ここに国体(国家としての形)を護持することができたので、忠義で善良な皆さんの真心に信頼を寄せ、常にあなたがた国民と共にいます。

もし感情の高ぶりからむやみに事件を起したり、あるいは同胞(同じ日本国民)を陥れたりして、互いに時勢を混乱させ、そのために大道(正しい道)を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が最も戒めたいことです。


 ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで伝え、神国の不滅をかたく信じ、責任は重くかつ道のりは遠いことを思い、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操(志)をかたくし、誓って国体(国のあるべき姿)の精華を発揚し(優れた点を高め)、世界の進運に遅れを取らぬよう決意しなければなりません。


 あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して身をもって行ってください。



昭和天皇の肉声の動画もありましたので、掲載しておきます。
(上の現代語訳にも参考にしました。)
また、念のため、原文も記事末尾に掲載します。





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終戦の詔書(玉音放送):

(ちん)深く世界の大勢と帝國の現状とに鑑(かんが)み、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、茲(ここ)に忠良なる爾(なんじ)臣民に告ぐ。朕は帝國政府をして、米英支蘇四國に對し、其(そ)の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。抑々(そもそも)、帝國臣民の康寧(こうねい)を圖(はか)り萬邦共栄の樂(たのしみ)を偕(とも)にするは、皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)の遺範(いはん)にして、朕の拳々(けんけん)(お)かざる所、曩(さき)に米英二國に宣戦せる所以(ゆえん)も、亦(また)實に帝國の自存と東亞の安定とを庶幾(しょき)するに出て、他國の主權を排し領土を侵すが如きは、固(もと)より朕が志にあらず。然るに、交戰巳(すで)に四歳を閲(けみ)し、朕が陸海将兵の勇戰、朕が百僚(ひゃくりょう)有司(ゆうし)の勵精、朕が一億衆庶(しゅうしょ)の奉公、各々最善を盡せるに拘(かかわ)らず、戰局必ずしも好轉せず、世界の大勢亦我に利あらず。しかのみならず、敵は新(あらた)に残虐なる爆弾を使用して、頻(しきり)に無辜(むこ)を殺傷し、惨害の及ぶ所眞(しん)に測るべからざるに至る。而(しか)も、尚交戰を継續せむか、終(つい)に我が民族の滅亡を招來するのみならず、延(ひい)て人類の文明をも破却すべし。斯(かく)の如くむば、朕何を以てか億兆の赤子(せきし)を保し、皇祖皇宗の神靈に謝せむや。是(こ)れ、朕が帝國政府をして共同宣言に應ぜしむるに至れる所以なり。朕は、帝國と共に、終始東亞の解放に協力せる諸盟邦に對し、遺憾の意を表せざるを得ず。帝國臣民にして戰陣に死し、職域に殉じ、非命に 斃(たお)れたる者、及(および)、其の遺族に想(おもい)を致せば、五内(ごない)為に裂く。且(かつ)、戰傷を負ひ、災禍を蒙(こうむ)り、家業を失ひたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(しんねん)する所なり。惟(おも)ふに、今後帝國の受くべき苦難は、固(もと)より尋常にあらず。爾臣民の衷情(ちゅうじょう)も、朕善く之を知る。然れども、朕は時運の趨(おもむ)く所、堪(た)え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て萬世の為に太平を開かんと欲す。 朕は、茲に國體を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠(せきせい)に信倚(しんい)し、常に爾臣民と共に在り。若し夫(そ)れ、情の激する所、濫(みだり)に事端を滋(しげ)くし、或は、同胞排擠(はいさい)互に時局を亂(みだ)り、為に大道を誤り、信義を世界に失うが如きは、朕最も之を戒む。宜しく擧國一家子孫相傳え、確(かた)く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念(おも)ひ、總力を將來の建設に傾け、道義を篤くし、志操を鞏(かた)くし、誓って國體の精華を發揚し、世界の進運に後(おく)れざらむことを期すべし。爾臣民其れ克(よ)く朕が意を體せよ。

   御 名 御 璽
   昭和二十年八月十四日



【写真特集】ペルセウス座流星群、世界各地で観測 今年は当たり年


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2015年03月04日

(感動実話)日本の今があるのは?! 「天皇陛下は磁石だ。私の心を吸いつけた!」  ★動画:英ウィリアム王子初来日、東日本大震災の被災地などを訪問へ★両陛下と懇談

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2015.03.02 大池公園 ウメ 交梅


終戦直後、終戦とは言っていますが、敗戦、それも無条件降伏という状態の日本は、まさにまな板の上の鯉であり、アメリカを中心とする連合国家、更に終戦間際に参戦して油揚げをさらっていこうとするソ連とで、いかように料理されようと、なされるがままでした。

当時の状況からいけば、日本は4つくらいに分断され、植民地化されても仕方のない状態だったということです。
そうなれば、北海道はまるまる共産政権下のソ連のものとなっていたことでしょう。
「北海道はでっかいどう」などと言われることもなく、自由に旅行に訪れることもできない地になっていたことでしょう。

しかしなぜか日本は、今の日本のまま丸ごと残されることになりました。

この事実は、日本人として知るべきことであって、とても感動する内容です。
いろんな思想や思惑の人たちに遮られてか、今まで一般常識であるべきこの事実を、知る人ぞ知る段階で留められてきてしまったことは悲しいことです。

私は知っている内容でしたが、フェイスブックでシェアされてきて、また感動しました。知っている人も、知らなかった人もどうぞお読みください。

何が日本の命運を分けたのか。その秘密が分かるエピソードです。


「…(終戦時において)陛下に対する
占領軍としての料理の仕方は、四つありました。

一つは東京裁判に引き出し、
これを絞首刑にする。

一つは共産党をおだてあげ、
人民裁判の名においてこれを血祭りにあげる。

三番目は、中国へ亡命させて中国で殺す。
そうでなければ、
20個師団の兵力に相当するかと怯えた彼らです。

また第四番目は、闇から闇へ、
一服もることによって陛下を葬り去ることでありました。

いずれにしても、
陛下は殺される運命にあったのです。

天皇は馬鹿か、気狂いか、偉大なる聖者か、
いつでもつかまえられる。

かつては1万8000人の近衛師団に
守られたかもしれないが、
今や全くの護衛を持たずして、
二重橋の向こうにいる。…

陛下の割腹自刃の計画は、三度ありました。
貞明(皇太后)様は、(侍従に、)
陛下から目を離さんように命じました。

じつに一番悩まれたのは、
陛下でありましたでしょう。

9月27日、
陛下がただ一人の通訳を連れて、
マッカーサーの前に立たれたことは、
皆様方もよくご承知の通りであります。

ついに天皇をつかまえるべき時が来た。

マッカーサーは、
二個師団の兵力の待機を命じました。

マッカーサーは、
陛下は命乞いに来られたものと勘違いし、
傲慢不遜にもマドロスパイプを口にくわえ、
ソファーから立とうともしなかった。

陛下は直立不動のままで、
国際儀礼としてのご挨拶を終え、こう言われました。

『日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります』

――弱ったのは通訳でした。その通り訳していいのか

――しかし陛下は続けました。

『しかしながら、罪なき8000万の国民が、住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように』

天皇は、
やれ軍閥が悪い、
やれ財界が悪いと言う中で、
一切の責任はこの私にあります、

絞首刑はもちろんのこと、
いかなる極刑に処せられても…
と淡々として申された。

このような態度を見せられたのは、
われらが天皇ただ一人であったのです。

陛下は我々を裏切らなかった。

マッカーサーは驚いて、
スクッと立ち上がり、
今度は陛下を抱くようにして座らせました。

そして部下に、
「陛下は興奮しておいでのようだから、
おコーヒーをさしあげるように」と。

マッカーサーは今度は一臣下のごとく、
直立不動で陛下の前に立ち、
「天皇とはこのようなものでありましたか!天皇とはこのようなものでありましたか!私も、日本人に生まれたかったです。陛下、ご不自由でございましょう。私に出来ますることがあれば、何なりとお申しつけ下さい」と。

陛下は、再びスクッと立たれ、
涙をポロポロと流し、
「命をかけて、閣下のお袖にすがっておりまする。この私に何の望みがありましょうか。重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」と。

そののちマッカーサーは、
陛下を玄関(ホール)まで伴い、見送ったのです。

皆様方、日本は8000万人と言いました。
どう計算しても8000万はおらなかったでしょう。

いかがです?
一億の民から朝鮮半島と台湾、樺太をはじめ、すべてを差し引いて、どうして8000万でしょうか。

じつは6600万人しかいなかったのです。

それをあえて、マッカーサーは、
8000万として食糧をごまかして取ってくれました。

つまりマッカーサーは、
いわゆる、陛下のご人徳にふれたのです。

米国大統領からは、
日本に1000万の餓死者を出すべしと、
マッカーサーに命令が来ておったのです。

ただ一言、マッカーサーは、
『陛下は磁石だ。私の心を吸いつけた』
と言いました。

彼は陛下のために、
食糧放出を8000万人の計算で出してくれました。

それが後で、ばれてしまいます。
彼が解任された最大の理由はそれであった
というのが、事の真相です。

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あの戦争は昭和天皇でさえ止められない程、
巨大な力がうごめいていました。

憎むべきは昭和天皇でなく、アメリカでもなく、
軍部でもありません。人の際限なき欲望なのです。

ただ、現在日本国で日本人が生活できてるのは
先人達のおかげだということは素直に感謝し誇りに思います。

このような事実を知らない多くの人々に
伝えるためにシェアお願いします。

この出来事は決して遠い昔の話ではありませんでした。だから考えさせられます。




日本人が有能だからではなく、働き者だからではなく、もちろんそれもあるのですが、日本が今あるのは、亡き昭和天皇というたった一人の人の、自らを犠牲にしても国民を生かそうとする切実な思いでした。
そしてマッカーサーという人との出会いが、日本の行く末を変えたのですね。

そうでなかったら、今の日本が、飢えで苦しむアフリカなどの国々や、例えば北朝鮮以下の生活をしていたとしてもおかしくはなかったのです。少なくとも、アジアの他の貧しい国々よりも貧しくても何の不思議もなかったということでしょう。

私も、こんな風にブログを書いていることも、きっとなかったでしょう。
これは、単なるラッキーではなく、心から感謝することだと思います。ありがとうございます。


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英ウィリアム王子、両陛下と懇談


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posted by kuri-ma at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本 天皇 皇族  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする