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2015年08月09日

<再編集> 49日の過ごし方?! 《霊界ってあるんでしょうか6》   ★【AFP記者コラム】ボスニア紛争、スレブレニツァ虐殺の悪夢と取材の奇跡

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2015.08.07 追分市民の森 森・向日葵・米


供養とは、
愛すること。

そして、故人の分も
正しい生き方をし、
幸せになること。



人が亡くなってから、よく仏教では49日と呼ばれる期間があります。

私の母の実家の方では、35日で法要することも多いですし、地域などによっても、この期間は少し幅があるようです。
40日前後、ということになりますね。

私も経験して感じるのですが、この40日の期間というのは、とても特別なものです。

まだどこか亡くなった実感がなくて、実家で家族が集まっていると、まだ父がいるような気がしたり、こういう時はこんなことを言うだろうなと、想像してしまうのです。
この頃、実際近くにいると感じる人も多いようです。

遺族にとっても40日ないし49日は、送ってあげながら、身辺を整理してあげ、また気持ちも整理していく、大切な期間ですが、亡くなった人にとっても大切な期間のようです。

以前、亡くなってから、三途の川(境界線)を越えて行くというお話をしました。
死にかけて蘇ったような人は、そこを渡り切る前、ボーダーを越える前に引き返してきたといいます。

そして、その川を渡り切った向こう岸が、あの世、霊界というわけです。


49日は霊界生活の慣らし期間

あの世は、その人の魂がふさわしい所に行って初めて、本当のスタートとなります。
49日までの期間は、あの世に渡った魂が、あの世の生活をスタートする準備期間です。

まだ、この世に未練が多く、名残惜しく過ごしながら、自分のあの世での生活への慣らしをしていくのです。

亡くなったばかりの人は、初めて行くあの世と、自分の状況に戸惑っています。

残された家族や友人などが、その49日の期間、その人との思い出を語り合ったり、心のこもった送り方をしてあげるのが、亡くなった方を慰め励ますことになります。
つい、つもり積もった恨み言や、悪口を言ったりするのは、できるだけ控えてあげたいですね。(聞いてますよ。)

供養、供養といいますが、どんなに立派な法要をするかよりも、悲しい気持ちを抑えて、できるだけ明るく話しかけるようにしてあげるのが一番かなぁと思います。


霊界の私の家
〜魂の行き着く処〜

霊界にはその人が生前、あの世での生活のために準備した家があるといいます。

それは、徳で作る家です。
世のため人のために尽くした分だけ、あの世で立派な家が立っているといいます。
そこを探しに行くのです。

中には家らしい所がない、監獄よりひどい所に行かなければならない魂もいるようですが…。
(魂というと日本語では「ある」というのが正しい言い方かもしれませんが、魂というのは、霊人のことなので、あえて「いる」と表現してみました。)

亡くなった人は、(この世の肉眼では)目には見えない魂の状態、霊人の姿で、自分の家、あの世での自分の安住の地を探し始めます。
というより、磁石で引き寄せられるように、その場所に行かざるを得なくなるといいます。


霊界ライフのスタート

あの世というのは、実に様々な場所があるのだということです。

霊人たちは最初は皆、明るく光の差す、暖かく、芳しい香りがどこともなく漂う、例えようもなく美しい所にいざなわれると言います。
そこが天国でしょうか。

しかし、そこには誰しも長居できるわけではありません。
そこはあまりに眩しいくらいに明るく、自分の姿が恥ずかしくなる人が大半だということです。
中には自分に染み付いた悪臭に居たたまれなさを感じる人もいると言います。

みんながみんな、霊人たちは自分にふさわしい場所に行くのだそうです。誰が命令したり、示したりしたしたわけではなく、皆、本人自身が決めるのだということです。

当人としては、少しでもいい場所に留まりたいはずですが、なかなかそうもいかないようです。
というのも、あの世は、生きている時は肉眼では見ることのできなかった「心」が、包み隠さず見えてしまうのだそうです。

この世では、きれいな服を着たり、きれいに化粧をしたり、整形することも可能ですし、上手に演技したり、嘘で言い繕うこともできましたが、あの世では自分を覆ったり隠してくれるものは何もないといいます。

どのようにしても、本性が丸見え、丸出し状態になってしまうということです。

そして、40日、49日の間に、自分の心根、性根の通りになった霊の体を抱えながら、むき出しになったものを、直すことも隠すこともできずに、隠すとしたら、できるだけ暗く、臭い場所にいくしかありません。

ですから、自然と同じような心のレベル、心根の人が集まっていくのだそうです。

そうやって、自分にあった霊界の位置、あの世の住処に行くことになる、ということです。


49日とその後の心構え(供養)

この40日を過ぎると、亡くなった人たちは、ふさわしい場所で、新しい生活をスタートしていきます。

これ以後は、中には不自由な環境の霊人も少なくないようですし、いつでもどこでも私たちの所に来てくれるというわけにはいかなくなってしまうようです。
命日とか、お彼岸には帰って来られるといいますが。

私たちが亡くなった大切な方々を供養するのは、その人を思う愛情ゆえではないでしょうか。

よい供養、正しい供養というのは、方法より、いかに愛してあげるか、ということなのです。

そして、その人がやり残した思いの分も頑張って正しい生き方をし、幸せになることです。

そのためには、亡くなった方たちがあの世のどのような場所にどんな状態でいるのか、ということをまず知ることが必要です。

天国から地獄まで。
どうも、霊人によって、あの世での暮らしはかなり異なるようです。
私たちの愛する人、親しい人たちは、どのような暮らしぶりをしているでしょうか。

「霊界ってあるんでしょうか」のシリーズでは、あの世、霊界はどんな所なのか、いわゆる、天国とか極楽というもの、地獄というものについても、お話していますので、参考にしてください。

この記事は、好評の記事を再編集しました。



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【AFP記者コラム】ボスニア紛争、スレブレニツァ虐殺の悪夢と取材の奇跡


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2015年05月18日

地獄と紙一重?! 「中間霊界」で永遠を生きる人たち 《霊界ってあるんでしょうか15》   ★宇宙から見たグランドキャニオンの夜明け

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真昼の蜃気楼。


神と霊界を知ることは
私たちの幸せへの近道

信じない人がいく中間霊界は
面白みがない生活が
永遠に続く世界



天国、そして地獄について話してきました。特に地獄については、永遠に抜けられないか、というくらい続きそうでしたので、もう一つあるという「中間霊界」について話していきたいと思います。

この世でも、富者、貧者、そして中間層、というものがあります。
しかし、これはこの世の、お金を中心とした価値観で考えた分け方です。この場合、中間層も制約はありますが、悪くないと考えるかもしれません。

しかし、あの世、霊界はお金や権力などが通用しません。
どんな世界かといえば、「愛」を呼吸する世界だとお伝えしました。

それもその愛は、真実の愛でなければ、なりません。
そして、真実の愛の元はどこか、といえば、それは神様です。
神様から発せられる愛を感じながら、自らも人を愛さないではいられない、呼吸のように自然に愛してしまう、それが本来の霊界、天国だといいます。

ですから、天国に行く人は、神様を信じるのは大前提で、神様の喜ぶことをしたいと常に考えているので、人を愛さざるを得ないのですね。
愛の人であると同時に、神を信じ、永遠に一緒に生きる人が住むところが天国だといいます。

そして、天国の天とは二人と書くように、自分ひとりだけではいけないのです。
夫婦、そして家族単位で行くのであり、誰に対しても、自分ではなく、相手を愛することのできる人が行くところだといいます。

地獄は反対に、神も人も考えない、愛がない人たちが行くのですが、なおかつその人たちが、自分中心に生きるあまり、人を傷つけ、神様から頂いた自分の命や体を傷つけるという行動を取ってしまった場合に、様々な地獄に行くようになっています。


それでは、中間霊界に行く人とはどういう人でしょうか。

愛せない人、神や霊界を信じない人が行くといいます。じゃあ、地獄か、というと、人を傷つけたり罪を犯すことはしなかったので、地獄とまではいかない、といいます。

特に多い人の特色を言いますと、
・ 人生の目的が、愛情を豊かにする、人のためになる内容ではなく、ただ単に、「仕事」が目的、というような人
・ 計算高く、自分の損になることはしないし、人の役に立つことも興味ない。
・ 自分の生活のためにだけ生きた人
・ 真実の愛や、神、霊界という目に見えないものに価値を置かず、外的な自分の生活圏、自分の考えや趣味・嗜好を優先した人
・ 一人を愛する人 

つまり、一見、善良な人に見えるのですが、自分の生活を優先する、「善良な自己中心者」です。

ですから、心(魂)を育てることができず、人とも本当の意味で関わっていませんから、愛情を育てることもありません。

神や霊界はないと考え、まるで関係ないように過ごしてきましたから、あの世でも、霊界の中心である神様からは、知らずにちょっと距離を置き、そこでも神様からは関係なく過ごすことになります。

私たちの考え、思いがそのままその人のあの世の世界になりますから、仕事が全てという人は、明けても暮れても仕事をする、永遠にその生活が続くといいます。

そして、愛情がないと不自由なのが霊界なので、常に不自由を抱えながら、改善することもない生活を、永遠に続けるのだといいます。


私も、毎日、家事など生活に追われている時、ふと中間霊界にいる、と感じることがあります。

家族のために、喜んで食事を作り、家事をして、愛情を込めた生活をしなければ、これは、喜びの薄い中間霊界行き決定だなぁと思います。

また、地獄にまっさかさまに行きそうになる時もあります。

それを引き留めているのは、愛する家族の存在と、こんな私を導いてくれていて、この宇宙全体を守ってくれている神様がいると分かっているからです。

神と霊界を知ることは、私たちの幸せへの一番の近道です。
このブログも、その一助となればと思っています。



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宇宙から見たグランドキャニオンの夜明け


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2014年06月24日

地獄と紙一重?!「中間霊界」で永遠を生きる人たち 《霊界ってあるんでしょうか15》  ★天然ガスが燃え続ける「地獄の門」、トルクメニスタン


真昼の蜃気楼。


神と霊界を知ることは
私たちの幸せへの近道

信じない人がいく中間霊界は
面白みがない生活が
永遠に続く世界



天国、そして地獄について話してきました。特に地獄については、永遠に抜けられないか、というくらい続きそうでしたので、もう一つあるという「中間霊界」について話していきたいと思います。

この世でも、富者、貧者、そして中間層、というものがあります。
しかし、これはこの世の、お金を中心とした価値観で考えた分け方です。この場合、中間層も制約はありますが、悪くないと考えるかもしれません。

しかし、あの世、霊界はお金や権力などが通用しません。
どんな世界かといえば、「愛」を呼吸する世界だとお伝えしました。

それもその愛は、真実の愛でなければ、なりません。
そして、真実の愛の元はどこか、といえば、それは神様です。
神様から発せられる愛を感じながら、自らも人を愛さないではいられない、呼吸のように自然に愛してしまう、それが本来の霊界、天国だといいます。

ですから、天国に行く人は、神様を信じるのは大前提で、神様の喜ぶことをしたいと常に考えているので、人を愛さざるを得ないのですね。
愛の人であると同時に、神を信じ、永遠に一緒に生きる人が住むところが天国だといいます。

そして、天国の天とは二人と書くように、自分ひとりだけではいけないのです。
夫婦、そして家族単位で行くのであり、誰に対しても、自分ではなく、相手を愛することのできる人が行くところだといいます。

地獄は反対に、神も人も考えない、愛がない人たちが行くのですが、なおかつその人たちが、自分中心に生きるあまり、人を傷つけ、神様から頂いた自分の命や体を傷つけるという行動を取ってしまった場合に、様々な地獄に行くようになっています。


それでは、中間霊界に行く人とはどういう人でしょうか。

愛せない人、神や霊界を信じない人が行くといいます。じゃあ、地獄か、というと、人を傷つけたり罪を犯すことはしなかったので、地獄とまではいかない、といいます。

特に多い人の特色を言いますと、
・ 人生の目的が、愛情を豊かにする、人のためになる内容ではなく、ただ単に、「仕事」が目的、というような人
・ 計算高く、自分の損になることはしないし、人の役に立つことも興味ない。
・ 自分の生活のためにだけ生きた人
・ 真実の愛や、神、霊界という目に見えないものに価値を置かず、外的な自分の生活圏、自分の考えや趣味・嗜好を優先した人
・ 一人を愛する人 

つまり、一見、善良な人に見えるのですが、自分の生活を優先する、「善良な自己中心者」です。

ですから、心(魂)を育てることができず、人とも本当の意味で関わっていませんから、愛情を育てることもありません。

神や霊界はないと考え、まるで関係ないように過ごしてきましたから、あの世でも、霊界の中心である神様からは、知らずにちょっと距離を置き、そこでも神様からは関係なく過ごすことになります。

私たちの考え、思いがそのままその人のあの世の世界になりますから、仕事が全てという人は、明けても暮れても仕事をする、永遠にその生活が続くといいます。

そして、愛情がないと不自由なのが霊界なので、常に不自由を抱えながら、改善することもない生活を、永遠に続けるのだといいます。


私も、毎日、家事など生活に追われている時、ふと中間霊界にいる、と感じることがあります。

家族のために、喜んで食事を作り、家事をして、愛情を込めた生活をしなければ、これは、喜びの薄い中間霊界行き決定だなぁと思います。

また、地獄にまっさかさまに行きそうになる時もあります。

それを引き留めているのは、愛する家族の存在と、こんな私を導いてくれていて、この宇宙全体を守ってくれている神様がいると分かっているからです。

神と霊界を知ることは、私たちの幸せへの一番の近道です。
このブログも、その一助となればと思っています。



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天然ガスが燃え続ける「地獄の門」、トルクメニスタン


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