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2016年09月03日

「神、霊界を信じない!」という人ほど、怖がりだったりする?!  《神様っているの?!》 -1-

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夏の名残り。


神様っているの?!

何回か、触れている問題です。

私は、神様がいるという前提で何もかもお話ししていますから、また、どうせそういう結論なんでしょう、と神様は信じない人たちは言うかもしれません。

で、今回は、私が神様のことを信じなかった頃のこと、というよりは、あんまり考えてもみなかったというのが近いでしょうか、その頃のことを思い出しながら、話してみたいと思います。


学校や、テレビなどを通して刷り込まれたのは、神様はいない、死んだら終わり、ということ。

神・霊界は非科学的であり得ないことだ、というような、存在しないのが当然、逆に存在を信じることは、非常識あるいは理論的でない、という感覚でした。


よく考えてみたら、その頃も、神様のことを完全否定したわけではありません。

理解できなかったし、学校でも家でもテレビ等でも教えてくれないので、さっきも言ったように、考えたことがなかったのです。

神様がおられ、私たちには魂(心)があり、死んだ後もなくなるわけではなく続くのだということ、そういうことを考える機会がありませんでした。


中学・高校頃から、金縛りをよく経験するようになりました。

(夜見る)夢についても、とても不思議なものだなぁと感じていました。私は小さいころからカラーの夢をよく見る方でした。
今考えても意味のある夢をよく見たのです。

母を通じて神様や霊界のことを知るようになり、尊敬する人に会い、多くのことを学び、知りました。また、気づきにつながる体験をしました。

それでも、時々「神様なんていないんじゃないか」という思いもよぎりましたが、その都度検証し、また実感の世界の中で、神様とは離れられなくなってしまいました。


神様や霊界をよく知らなかった頃は、逆に怖かったのです。
もちろん今でも、夜道やお墓などは怖いですが、以前ほどの怖さはありません。

金縛りも、霊(悪霊や怨霊)も、大得意ではありませんが、前のようにやたら怖いという、そんなことはなくなりました。

厄介だけれど、知ってみれば、大丈夫なのです。


思うに、失礼になるかもしれませんが、幽霊を信じない、という人ほど、怖がりだという気がします。

本当にいないなら、怖がる必要はないのに、私の経験上からも、目に見えないものを信じないことは、なんだかとても怖くて仕方がありませんでした。

信じないと言いつつも、心のどこかに「いるよ」という声が響くように、良心に働きかけるものがあるのです。

真っ暗な中を歩くことは、怖いこと。
知ることは、灯りをつけるように、怖さがなくなるのです。


神様のことを毛嫌いする必要はないのではないでしょうか。

それは、自分の親や、先祖などの血筋を否定するのと同じで、天井に向かってつばを吐く行為かなぁとも、思うのですが、いかがでしょうか。

続きは、また。



今日もいい一日を

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プロフィール
ほんままゆみ(本名:栗原まゆみ)
世界平和の夢をあきらめられない、ヨーロッパ滞在歴≒ボランティア歴ありの、三男一女の母。見えない世界、霊界、神様についてや、ズバリあなたの使命をお答えします。夢を叶えたい人、カウンセリング募集中!(四柱推命鑑定も可。)
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2016年06月02日

幽霊っているんでしょうか?! 生きている私たちも幽霊?!

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2016.06.02 瀬谷市民の森 アジサイ


「幽霊っているんでしょうか」

このブログタイトルでスタートしてから、6年余り。

「幽霊」について何にも書いてないじゃないかという日も多かったこのブログではありますが、ブログタイトルがクウェスチョン形式なので、それに対するアンサーをちゃんと書いておいてもいいんじゃないかと思って、今日の記事を書くことにしました。


幽霊っているんでしょうか。
この質問の答えは、YESです。

幽霊というと、日本で言えば「うらめしや〜」と出てくるイメージが強いですね。

厳密にいうと、「幽霊」というのは、さまよっている霊のことを言うと思うのですが、それは狭義であって、一般に「幽霊」というと、時に怪しい科学的でない錯覚や作り話であるというような皮肉をこめて、時には親しみをこめて、霊全般のことをいう総称でもあります。

たとえば、亡くなった人のことを仏さまとか、霊とか言いますが、もしそこに霊がいるとして、声を掛けるとしたら、名前を知らなければ、「幽霊さん」と呼ぶのが、いい気がします。


見える、見えない、感じる、感じないにかかわらず、私たちは霊的なものと、とても密接に交わって生きています。

私たちの心と体。
見える体は見えない心の影響を受けますし、心は同じ成分である、目に見えない霊的なもの、霊人たちの影響を知らず知らずに、受けています。


もちろん、亡くなった人は霊ですが、生きている私たちもその霊の姿を持っています。

「生霊(いきりょう)」というのがそれです。

通常は、霊的な能力がない私たちは、体から離れては存在できませんが、人によっては、霊体離脱(幽体離脱)することができる場合があります。

また、悪いように働けば、生霊の祟りなどと言われるものもあったりします。

霊というのは、魂のこと。
死んで初めて魂が現れるのではなくて、生きているときから、私たちの肉体とともにいるのが魂、つまり私たちの霊的な部分です。


今連載中のドラマで『お迎えデス。』いうのがあります。
幽霊がいっぱい登場するドラマで、憑依現象が毎回起こりますし、「成仏」という単語が飛び交っています。

先日の回では、ヒロインが、霊体離脱に成功するのですが、霊のようにどこでも行けるのではなくて、まだ生きているから肉体からは遠くに離れられないという、飼い犬のリードか、胎児の胎盤のようなものでつながっている様子が描かれていました。

これは、おもしろい描き方だと思いましたが、彼女の霊的能力の限界でもあるのでしょう。


ある霊的な知人が言っていましたが、彼は亡くなった人と交信ができる人なのですが、生霊(いきりょう)の場合は、自由に交信するのは、なかなか難しいのだそうです。

肉体がある状態、つまり生きているときには、死んだ後のように、魂=霊体が自由に行き来できないのです。


中には霊体離脱にたけた人もいますし、霊媒のようなことを専門にする人もいます。
ただし、霊的な能力とその人の魂の階級というものは、皆無とはいいませんが、あまり関係ないといいます。

魂が光り輝く人というのは、後光となって輝く様子で描かれますが、人格的に磨かれた人です。

さて、生きている私たちも霊的な存在であるといいました。
目には見えないけれど、幽霊と同じ姿を併せもつのが、私たち人間です。
心、精神、魂、そういうものは、目には見えなくても、私たちを形作る大きな要素だといえます。

生きている私たちも、内面的に素晴らしい人となり、霊的な私を、成長させていくことが、この地上に生まれ落ちた私たちの目的ではないでしょうか。

言い換えれば、立派な幽霊になるために、私たちの命はあるのです。


それは、今この生涯での生き方にかかっています。

あくまで神様はいない、死んだら終わりだと、主張したとして、死んだ後には、そう言っていた心は見えないだけでなくなりはしません。
その時に知っても仕方がないこともあるのです。

立派な幽霊になるために、私たちが生まれてきた意味を知ってください。

宇宙(大自然)の法則の中で、私たちは命を得ました。
宇宙の法則では、自己中に存在することができません。

ギブ&テイク、ギブ&ギブ、そういう状況の中でも自分のためではなく、他のために生きていくのが宇宙の流れです。


幽霊っているんでしょうか、答えは当然YESですが、それだけでは終わらないのがこのブログです。

最高の人生を生きて、最高の幽霊となる日のために、冗談ではなく、本気で様々な提案をさせて頂いているのが、このブログであるとご理解ください。

私も、同じ土俵に立っています。
さて、あの世で、いつの日にかお会いするときに、勝負が決まります。

よい人生、その後のよいあの世での永遠の人生のために、役立つものを発信していきたいと考えています。



今日もいい一日を

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参考記事
 神さまっているんでしょうか?!」そして、幽霊は?! 私がまだ神様を知らなかった頃…



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2015年08月09日

<再編集> 49日の過ごし方?! 《霊界ってあるんでしょうか6》   ★【AFP記者コラム】ボスニア紛争、スレブレニツァ虐殺の悪夢と取材の奇跡

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2015.08.07 追分市民の森 森・向日葵・米


供養とは、
愛すること。

そして、故人の分も
正しい生き方をし、
幸せになること。



人が亡くなってから、よく仏教では49日と呼ばれる期間があります。

私の母の実家の方では、35日で法要することも多いですし、地域などによっても、この期間は少し幅があるようです。
40日前後、ということになりますね。

私も経験して感じるのですが、この40日の期間というのは、とても特別なものです。

まだどこか亡くなった実感がなくて、実家で家族が集まっていると、まだ父がいるような気がしたり、こういう時はこんなことを言うだろうなと、想像してしまうのです。
この頃、実際近くにいると感じる人も多いようです。

遺族にとっても40日ないし49日は、送ってあげながら、身辺を整理してあげ、また気持ちも整理していく、大切な期間ですが、亡くなった人にとっても大切な期間のようです。

以前、亡くなってから、三途の川(境界線)を越えて行くというお話をしました。
死にかけて蘇ったような人は、そこを渡り切る前、ボーダーを越える前に引き返してきたといいます。

そして、その川を渡り切った向こう岸が、あの世、霊界というわけです。


49日は霊界生活の慣らし期間

あの世は、その人の魂がふさわしい所に行って初めて、本当のスタートとなります。
49日までの期間は、あの世に渡った魂が、あの世の生活をスタートする準備期間です。

まだ、この世に未練が多く、名残惜しく過ごしながら、自分のあの世での生活への慣らしをしていくのです。

亡くなったばかりの人は、初めて行くあの世と、自分の状況に戸惑っています。

残された家族や友人などが、その49日の期間、その人との思い出を語り合ったり、心のこもった送り方をしてあげるのが、亡くなった方を慰め励ますことになります。
つい、つもり積もった恨み言や、悪口を言ったりするのは、できるだけ控えてあげたいですね。(聞いてますよ。)

供養、供養といいますが、どんなに立派な法要をするかよりも、悲しい気持ちを抑えて、できるだけ明るく話しかけるようにしてあげるのが一番かなぁと思います。


霊界の私の家
〜魂の行き着く処〜

霊界にはその人が生前、あの世での生活のために準備した家があるといいます。

それは、徳で作る家です。
世のため人のために尽くした分だけ、あの世で立派な家が立っているといいます。
そこを探しに行くのです。

中には家らしい所がない、監獄よりひどい所に行かなければならない魂もいるようですが…。
(魂というと日本語では「ある」というのが正しい言い方かもしれませんが、魂というのは、霊人のことなので、あえて「いる」と表現してみました。)

亡くなった人は、(この世の肉眼では)目には見えない魂の状態、霊人の姿で、自分の家、あの世での自分の安住の地を探し始めます。
というより、磁石で引き寄せられるように、その場所に行かざるを得なくなるといいます。


霊界ライフのスタート

あの世というのは、実に様々な場所があるのだということです。

霊人たちは最初は皆、明るく光の差す、暖かく、芳しい香りがどこともなく漂う、例えようもなく美しい所にいざなわれると言います。
そこが天国でしょうか。

しかし、そこには誰しも長居できるわけではありません。
そこはあまりに眩しいくらいに明るく、自分の姿が恥ずかしくなる人が大半だということです。
中には自分に染み付いた悪臭に居たたまれなさを感じる人もいると言います。

みんながみんな、霊人たちは自分にふさわしい場所に行くのだそうです。誰が命令したり、示したりしたしたわけではなく、皆、本人自身が決めるのだということです。

当人としては、少しでもいい場所に留まりたいはずですが、なかなかそうもいかないようです。
というのも、あの世は、生きている時は肉眼では見ることのできなかった「心」が、包み隠さず見えてしまうのだそうです。

この世では、きれいな服を着たり、きれいに化粧をしたり、整形することも可能ですし、上手に演技したり、嘘で言い繕うこともできましたが、あの世では自分を覆ったり隠してくれるものは何もないといいます。

どのようにしても、本性が丸見え、丸出し状態になってしまうということです。

そして、40日、49日の間に、自分の心根、性根の通りになった霊の体を抱えながら、むき出しになったものを、直すことも隠すこともできずに、隠すとしたら、できるだけ暗く、臭い場所にいくしかありません。

ですから、自然と同じような心のレベル、心根の人が集まっていくのだそうです。

そうやって、自分にあった霊界の位置、あの世の住処に行くことになる、ということです。


49日とその後の心構え(供養)

この40日を過ぎると、亡くなった人たちは、ふさわしい場所で、新しい生活をスタートしていきます。

これ以後は、中には不自由な環境の霊人も少なくないようですし、いつでもどこでも私たちの所に来てくれるというわけにはいかなくなってしまうようです。
命日とか、お彼岸には帰って来られるといいますが。

私たちが亡くなった大切な方々を供養するのは、その人を思う愛情ゆえではないでしょうか。

よい供養、正しい供養というのは、方法より、いかに愛してあげるか、ということなのです。

そして、その人がやり残した思いの分も頑張って正しい生き方をし、幸せになることです。

そのためには、亡くなった方たちがあの世のどのような場所にどんな状態でいるのか、ということをまず知ることが必要です。

天国から地獄まで。
どうも、霊人によって、あの世での暮らしはかなり異なるようです。
私たちの愛する人、親しい人たちは、どのような暮らしぶりをしているでしょうか。

「霊界ってあるんでしょうか」のシリーズでは、あの世、霊界はどんな所なのか、いわゆる、天国とか極楽というもの、地獄というものについても、お話していますので、参考にしてください。

この記事は、好評の記事を再編集しました。



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【AFP記者コラム】ボスニア紛争、スレブレニツァ虐殺の悪夢と取材の奇跡


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