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2019年02月13日

バレンタインデーのはじまりは?! キリスト教の殉教者が「恋人たちの守護聖人」となった理由

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2018.02.13 ベーリック・ホール Happy Flower Valentine!


セント・バレンタイン・デー。
「恋人たちの守護聖人」と呼ばれた、聖バレンチノ(ヴァレンタイン)にちなんで、その殉教した命日を記念日としてきたといいます。

日本では、戦後の昭和のいつごろからか、すでに2月14日は、女の子からチョコで告白できる日として知られていました。ところが、主流であるはずのヨーロッパでは、男性が花などを贈ってくれる日だったので、少し驚きました。

起源を調べてみると、そもそもの聖バレンチノ(ヴァレンタイン)あるいは聖ワレンティン(ウァレンティヌス)という人自体が、様々な伝説にまみれているようです。
それも、一人ではなく、3人以上の聖バレンチノ(ヴァレンタイン)という人が記録されているらしいのです。

ウィキペディアの記述から、バレンタイン・デーに関連しそうなこんな伝説が浮かび上がってきます。


時は、3世紀後半ですから、まだキリスト教がローマの国教として認められる前であり、むしろ異教であると迫害されていて、熱心な布教者は、殉教することも少なくなかったようです。

バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼるとされる。
当時、ローマでは、2月14日は女神・ユーノーの祝日だった。
ユーノーはすべての神々の女王であり、家庭と結婚の神でもある。

翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日であった。
当時若い男たちと女たちは生活が別だった。
祭りの前日、女たちは紙に名前を書いた札を桶の中に入れることになっていた。
翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。
ひいた男と札の名の女は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。
そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。

ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、兵士たちの婚姻を禁止したと言われている。
キリスト教の司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は、
婚姻を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを憐れみ、彼らのために内緒で結婚式を行っていたが、
やがてその噂が皇帝の耳に入り、
怒った皇帝は二度とそのような行為をしないようウァレンティヌスに命令した。

しかし、ウァレンティヌスは毅然として皇帝の命令に屈しなかったため、最終的に彼は処刑されたとされる。

彼の処刑の日は、ユーノーの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれた。
ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたという。
このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったというのが一般論である。


また、彼が結婚したカップルに自分の庭で摘んだ花を贈ったことから、バレンタインデーに花を贈る習慣になったとも言われます。
さらに、もう一つの伝説があります。

彼が捕らえられて監獄にいたとき、監獄の中でも礼拝を行っていたのか、盲目の看守の召使の娘(あるいは判事の娘?)が、監獄の彼を訪れては熱心に説教を聞いていて、次第に彼と心を通わせるようになったといいます。そして、あるとき娘の目が見えるようになり、この奇跡を信じた彼女の家族がキリスト教に転向したため、皇帝は怒って彼を処刑したというのです。


ヴァレンタインの死後、キリスト教はローマで公認され、国教になり栄えていきます。そして、カトリック(西方教会)と正教(東方教会)それぞれで、教会中心の時代がくるのです。

中世になって、聖バレンタインデーが盛んになるのですが、それにはきっかけがありました。
496年、法王「ゲラシウス1世」は、「ルペルカリア祭」を廃止しましたが、その際、兵士の反発を防ぐため、「ヴァレンタインの祝日」を設けるようにして、その日にはその年の聖ヴァレンタインをくじで決め盛り上げたということです。

後になってカトリックの正式な祝日からは排除されたものの、バレンタインデーは、さらに中世になって盛んになっていき、数々の伝説的エピソードが語られるようになりました。

正教の版図である東ヨーロッパでは、3世紀後半、ヴァレンタインという3人の聖人(うち一人は現ブルガリアの兵士)のことは記録にあるものの、愛の守護神としての側面は全然なかったのは、このようにバレンタインデーが、カトリックが起源だったからだと、合点がいきました。


カトリックでは、聖ヴァレンタインの殉教日が2月14日と伝えられていますが、正教ではそれぞれ7月や4月になっています。

それにしても、西と東それぞれで3名の同名の殉教者が記録されているのは、偶然とは思えません。
きっと聖ヴァレンタインは実在の人物であり、伝説の中のどれかは、事実に基づいていることでしょう。

これは私がこの記事を書きながらふと感じたのですが、聖ヴァレンタインの殉教日がカトリックでは2月14日ということですが、祝日となったのは、2世紀も後のことで、ルペルカリア祭の代わりに作られたものだとしたら、殉教日がすり替わったとしてもおかしくありません。

たとえば、キリスト教の司祭だった聖ヴァレンタインが、結婚を禁止された兵士をかわいそうに思って結婚させてあげたのが、ローマの結婚の神の祝日、2月14日だとしたら、すぐ処刑されたなら、その日が命日です。ただ、監獄での伝説があったりするので、その後処刑されたとしたら、正教会の記録と重なります。

カトリックと東方教会のそれぞれの記録が別人だとしたら6人の聖ヴァレンタインが同じ時期に殉教したことになりますが、重なる部分が多いので、少なくとも2人は同じ人だと思われます。だとしたら、正教に記録された殉教日が正しい気がするのです。

今の日本型バレンタインデーの発祥についてさえ、モロゾフ説、伊勢丹説、ソニープラザ説など、どれももっともらしくてはっきりしないくらいですから、1700年以上前の聖人の真相はわからなくて当然かもしれません。

クリスマス、イースター、そしてハロウィンもゲルマンやケルトのお祭りと一つとなり、次期とかがズレたりしていました。バレンタインデーは、ローマのお祭りを廃止してできたものだということ。おもしろいですね。

とにもかくにも、明日はハッピー・バレンタインとなりますように。




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写真は:Happy Flower Valentine!
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プロフィール
ほんままゆみ(本名:栗原まゆみ)
世界平和の夢をあきらめられない、ヨーロッパ滞在歴≒ボランティア歴ありの、三男一女の母。見えない世界、霊界、神様についてや、ズバリあなたの使命をお答えします。夢を叶えたい人、カウンセリング募集中!(四柱推命鑑定も可。)
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