さあ夢を叶えましょう

無料カウンセリング
を募っています。詳しくはこちら
まずは記事にコメントをお寄せくださるか
あるいは→のファンより
メッセージをお寄せください
お待ちしています

2015年01月14日

私は「シャルリー」とは言わない?!  ★銃撃された仏紙、最新号表紙にムハンマド風刺画、批判も

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

冬景色。


愛は寛容であり、愛は情け深い。
また、ねたむことをしない。
愛は高ぶらない、誇らない、

不作法をしない、自分の利益を求めない、
いらだたない、恨みをいだかない。

不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

そして、すべてを忍び、
すべてを信じ、すべてを望み、
すべてを耐える。


『新約聖書』
コリント人への第一の手紙 第13章



仏風刺週刊紙シャルリー・エブド銃撃事件における
風刺画家5人を含む12人の犠牲者と
一連の銃撃事件等の犠牲者を悼み
御冥福をお祈りします



フランスにおけるデモや、下に添付した、再度モハンマドの風刺画を表紙とすることなど、それが風潮となり、世論となっていますし、気持ちも充分理解するものです。

ただ今回の件は、犯人や、テロだけを批判するのではなく、他の大多数のイスラム教徒たちには、複雑な思いを与える内容だと思います。

もちろん、テロを容認するつもりはありませんし、イスラム国や諸々のイスラム過激派の行動は、許されるものではないと思います。

ただ、その彼らを怒らせて、何か得があるのでしょうか。

フランスでは、風刺画が盛んなのでしょう。
風刺は、ウィットに富んだ高尚なジョークだ、という意見もあるでしょうが、ある人の気持ちを逆撫でしたり、不愉快な思いにさせる極端なものは、あまり趣味のいいものという感じがしません。

まるで、子どもの喧嘩のような感じを受けます。


子どもは、どちらも自分の言い分を正しいと言って聞きません。

喩えとして適当かどうかは分かりませんが、うちの4人の子供たちがゲームをする時、末の子は自分が負けそうになったり、やられたりすると、すぐ怒るのです。性格もあるでしょうが、一番子どもなので大人気ないのです。

兄弟の様子を見ていると、兄姉たちは、弟にうまく手加減してやっているようです。
そうでないと、ムキになられたり、逆上されると、ゲームが台無しになるからです。
弟の性格や、器を理解したうえで、できるだけ長くゲームを楽しめるようにしているのです。

もちろん、子供同士のこと、そうやって調節していても、喧嘩はしゅっ中です。
我慢が足りない、理解も愛も足りない、基本、自己中の子どもたちですから、そういう喧嘩も経験で、成長しながら、覚えていくと思うのです。

我が家の平和も、世界の平和も基本は同じなのではないでしょうか。


冗談が通じない相手もいます。
気持ちをなだめるような、もっとよい方法がないのでしょうか。

そんな人をも納得させるのは、「愛」しかないという気がします。
愛は寛容で情け深い、しかも忍耐強く、諦めもしません。

相手を、何を持ってでも攻撃しません。銃だけが攻撃ではなく、シャルリーたちは、風刺画を持って彼らをあざけったのです。

たとえ犯人たち、テロリストたちがいけないとして、彼らが銃を向けて来るようなことをすべきでしょうか。

もちろん、彼らは誇りと信念をもって風刺していたのでしょう。批判していたのでしょう。
悪いことは悪いと、宣言したかったのかもしれません。
それは素晴らしいことなのかもしれませんが…。

もし、そこに愛がないなら、その風刺は憎しみに聞こえ、銃による攻撃より、はるかに彼らを傷つけるのです。彼らの誇りを傷つけたのではないでしょうか。

その勇気は、残忍なテロリストたちを逆上させ、さらにまた今回の事件に終わらず、報復は続くのではないでしょうか。

事実を指摘するだけでも、不愉快になることがある、私たち人間。
であるから、やはり、批判はすべきではないのではないか、と思うのです。
批判と指摘の差は不明瞭ではありますが。

イスラム教徒をすべて敵のようにする風潮も、心痛む内容です。

自分と違うからと言って、受け容れない。
人種差別や様々な人間関係のトラブルも、人を理解しようとしない、そういうところから発していると思います。

今起こっている、内乱も戦争も、社会問題も家庭問題も、元を正せば、私たちの愛と理解のなさ、自己中のゆえではないかと思うのです。

つまり、もうちょっと大人になって、自分の意見だけが、正しいと思うのはやめたい、と思います。

もちろん、悪と罪は憎みつつ、人を憎まないということ、また、自分の家族のように相手の特徴を理解して、戦いや殺生を事前に防ぐ、そういうことを、天は願っていると感じるのです。


冒頭にあげた新約聖書にはこういう前後があります。

たといわたしが、人々の言葉や
御使(みつかい)たちの言葉を語っても、
もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や
騒がしい鐃鉢*(にょうはち)と同じである。

たといまた、わたしに預言をする力があり、
あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、
また、山を移すほどの強い信仰があっても、
もし愛がなければ、わたしは無に等しい。

たといまた、わたしが
自分の全財産を人に施しても、
また、自分のからだを焼かれるために渡しても、
もし愛がなければ、いっさいは無益である。

愛は寛容であり、愛は情深い。
また、ねたむことをしない。
愛は高ぶらない、誇らない、

不作法をしない。自分の利益を求めない、
いらだたない、恨みをいだかない。

不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

そして、すべてを忍び、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてを耐える。

愛はいつまでも絶えることがない。
しかし、預言はすたれ、異言はやみ、
知識はすたれるであろう。

なぜなら、
わたしたちの知るところは一部分であり、
預言するところも一部分にすぎない。

全きものが来る時には、
部分的なものはすたれる。




*鐃鉢(にょうはち)というのは、法事や葬式で打ち鳴らして音を出す、銅製の皿のような楽器のことだそうです。
つまり、シンバルのこと。

うるさい鐘のような騒音で終わらないようにしたい、ですね。


今日もいい一日を

クリックありがとうございます。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村
写真は:冬景色。
by (C)芥川千景さん
画像あるいはタイトルクリックで写真のページへ
撮影者の名前をクリックすると撮影者のページへリンク
撮影者に許可を得て使用しています
無断転用はご容赦願います


銃撃された仏紙、最新号表紙にムハンマド風刺画

イスラム最高権威、仏紙風刺画を批判 「憎悪かき立てる」

福島風刺の仏紙、「ユーモア感覚ない」と日本の批判を一蹴


◇ブログをご覧になった全ての方へ◇
無料カウンセリング
を募っています。
詳しくは
こちら
お待ちしています


【関連する記事】
posted by kuri-ma at 17:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 中東・イスラム圏、インド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック