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2014年06月18日

輪廻転生ってあるんでしょうか?! <その三 私たちは、大昔恐竜だった?! 生まれ変わり伝説は寓話???>  ★シューマッハ氏、昏睡から覚め退院


熊野の長藤


日本は四季の移ろいが美しい国であり、その趣を愛してきました。

梅雨の季節であっても、いろんな表現があり、言葉のバリエーションも豊富です。
「梅雨の晴れ間」だとか、今みたいに晴れの日が続く時は、「梅雨の中休み」といったりします。

また、例えば、秋が近づいてくると、虫の声、風の音、月など、「ものの哀れ」を感じさせ、感情を投影させた和歌などが古来から詠まれているように、日本人というのは、風物の中にも、何か魂の陰のようなものを感じたりすることが多いようです。

「草葉の陰」から祈っている、とよく表現します。

亡くなった人たちは、きっと心の残る家族の元を訪れることがあるのでしょう。
そういう時に、遺族が何か気配を感じるようなことがあっても、亡くなった人は姿が見えませんから、風の音だった、木の影だった、あるいは虫や動物だった、ということになって、ああ、お父さんの生まれ変わりかもしれない、という思いにもなったりするでしょう。

できることなら、どんな姿でもいいからそばに来てほしい、という願望があればなお更、生まれ変わりを信じたくもなることでしょう。


また別の観点から、輪廻転生が本当にあるとすると、説明できないことがあります。

私たちが漠然と信じてきた輪廻転生ですが、例えばチベット仏教では、一時的に肉体は滅びても、魂は滅びることなく永遠に継続し、また生まれ変わるといいます。その時、また人になるとは限らず、動物や虫などに生まれ変わる場合もあるといいます。

そもそも、なぜ輪廻転生が起こるのか、その理由も明らかではないのですが…。
それは置いておいても、今いる人が全ていつの時代かの生まれ変わりとすると、生物の個体数は、地球が誕生してからまったく同じ、ということになります。

単純に人だけ考えると、今は70億に膨れ上がった人類ですが、その70億全てが、前のいつかの世でも同じように生物だった、ということになります。
人間が増え、動物は絶滅危惧種も増えているから、きっと合わせれば、帳尻が合うのでしょうか。
計算は難しいですが、いつの時代も同じ個体数だったというのは、ちょっと疑問が残ります。

もしそうだとしても、人口からいって、相当の差がありますから、私たち人間様のうち大半は、前世はうじ虫のような存在だったのかもしれません。少なくとも人間ではなく、動物だったかもしれませんね。

今存在する生物が、前世では偉い人間だったかもしれない、というのは、なんか不思議な気がします。
しかし、反対はもっと考えにくくはないでしょうか。

前世の行いで次の世の階層が決まって、人間は一番上の階層だとすると、どう考えても腑に落ちないのです。
元は人間だったのに、悪いことをしたから、次の世では動物や虫けらとして生まれ変わるのだとしたら、だんだん人口が減っていくのが普通なのではないかと思うのです。

どんなに前世に素晴らしいことをした虫や動物が多かったから、現代に人間に大出世した人が爆発的に増えることになったのでしょうか?虫や動物に善行ができるはずがないと思いませんか?

また、人類の誕生は生物の歴史からすると、かなり浅いのですが、人間がまだいなかった時代、大昔、恐竜などの爬虫類の世界から輪廻転生は起こっていたのでしょうか?
これは、猿が人類の祖先だというのを理解するよりも、更に荒唐無稽な内容で、私の良心がどうしても納得してくれません。


輪廻転生、生々流転、これは、たとえば、「亡くなった人が星になる」というのと同じように、寓意の込められたものではないでしょうか。

寓話というものは、人を諌める内容も多かったりします。
「悪いことをしたら、閻魔さまに舌を抜かれるよ」と同じノリで、「悪行を繰り返したら、来世ではろくなものになれないよ」こんな風に言われてきたのではないでしょうか。

生まれ変わりはなかったとしても、私たちが先人の残したものを、いいものも悪いものも受け継いでいくしかなかったように、私たちの生き様は、子孫に影響を与え、受け継がれていくのでしょう。
悪いことをたくさん残してしまったら、次の時代は、獣のような恐ろしい時代になってしまうかもしれません。
因縁果報というものですね。生々流転というのは、そういうことではないでしょうか。


もう一つ、「前世の記憶を覚えている人が大勢いるから」、と根拠にあげることが多いかと思います。

これも、多重人格者の場合と同じで、憑依している霊、守護している霊たちの生きていた時の記憶、と考えるのが、一番納得できる答えかと思います。


私たちは、亡くなった人を供養し、成仏してほしいと願っています。
その一方で、輪廻転生を信じるというのは、実はとても矛盾しているのではないでしょうか。

私たちが手を合わせているその大切な人が、別の誰かに転生して、前世のことを覚えているかもしれないけれど、大体は忘れてしまって、違う人生を歩き始めているかもしれない、それが輪廻転生です。

そうだとしたら、お墓や供養はどうなるのでしょうか。私たちの一時の慰めのためだけにあるのでしょうか。長い文明の期間、様々な宗派でそれぞれ大切に死者を弔ってきたのではないでしょうか。それは無意味にも感じます。

疑問ばかりの輪廻転生説だったという結論で〆させて頂きます。

そうではありますが…、気持ち的には、誰それの生まれ変わりだ、と思う気持ちも理解できます。
あの人は、星になったんじゃない。次の世に、誰それと呼ばれる人、その人こそ、生まれ変わりだったのではないか、と言われるようになる、かもしれません。
それはそれで、メルヘンや、詩心としてとらえれば、また素敵です。


今日もいい一日を

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写真は:熊野の長藤
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シューマッハ氏、昏睡から覚め退院 広報担当者

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