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2014年05月28日

どんな人が地獄に行くのか?! 「地獄」4 《霊界ってあるんでしょうか13》  ★夫を自分で選んだ女性、親族が殴殺 パキスタン


2014.05.27 瀬谷市民の森 ドクダミ 祠


最近は記事の半分が地獄に関連するものになりつつあります。そういうものが好きだからではないのですが、実際、地獄のお話は尽きないほどあるのです。

それほど、地獄というのは、実は私たちに密接しています。紙一重のところにあります。
私たちも簡単に地獄に巻き込まれていくことになるかもしれないし、知らずに地獄行きのバスに乗ってしまっているかもしれません。
そんな危険を避けてほしい思いから、あえて、霊界、特に地獄について書いているわけです。

さて、地獄にも血の海、針の山、灼熱地獄だとか、借金地獄に蟻地獄(?)、いろんな地獄があるらしいのですが、いったい、どんな人が地獄にいくのでしょうか。
こういうことを知っていけば、地獄を避ける一助となるかと思うのです。


地獄に行く人

どんな人が地獄に行くのでしょうか。
結論は、「愛のない人」ということになります。

反対に言えば、大きく深く強い「愛」を持った人が、天国に行けるということになります。

本来霊界は「愛」の世界だといいます。
「愛」によって呼吸し、「愛」の光によって照らす場所です。ですから、「愛」がすべての基準になります。
「愛」のあるなしで、天国から地獄の底までの細かい階級が決定します。

愛といっても、好いた惚れたの愛ではありません。
また、自分が一番かわいい「自己愛」は、ここでいう「愛」に逆行するものです。

地獄に行く人はこの「愛」を育てられなかった人であり、それゆえに人を傷つけ、苦しめ、大切なものを奪ってきた人です。

この世では、目に見える体や財物などを傷つけ奪った時にしか、罪に問われないことが多いのですが、あの世の基準というのは、人の心を傷つけ、苦しめ、大切なものを奪ったことが問われます。

地獄という監獄で問われる罪とは、人から、体、財物、そして愛するものを傷つけること。
そして、体(命)、財物、愛するものを奪えば、やはり罪になるということです。



「言葉」にご用心
これも地獄行き?!「性愛絡み(不倫)」と「自殺」

実際に銃器や刃物などを使わなくても、言葉で人を傷つける場合もあります。
言葉で人から生きる希望を奪ったら、それも命を奪ったほどの罪になるといいます。

また、「愛」が基準となる霊界ですから、人が大切にするもの、愛するものを奪い、「愛情」を踏みにじった罪が、重いのは当然です。
愛を汚し、奪うのは欲情、色情のなさる技ですから、いわゆる性犯罪だけでなく、女性を手篭めにしたり、愛人、妾、不倫、というものが、人を傷つける以上に、霊界の基準に引っ掛かるということです。

また、自殺者の罪が重いというのは、自分で自分の大切な命を奪うからです。英語でも自殺を「kill oneself」というように、自分を殺すことですから、殺人よりも罪が重いのです。
そして本来はもっと育てるべきだった自分の魂、愛情を、豊かに育てられなかったということになります。
ひいては例えば独身で自殺したとすれば、将来愛を育むべきだった家庭を自分で壊し、そして代々続くはずだった子孫が生まれる機会を失くしたことにもなります。



被害者も地獄に?!

ここで問題になるのは、こういう悪い人に大切なものを傷つけられ、奪われ、時には殺されたそのような人、被害者の立場の人たちです。

日本の怪談でいえばかわいそうなお岩さんや番町皿屋敷のお菊さんは、おどろおどろしい幽霊となってしまいました。彼女たちの様子を見ると、とても天国に行った霊人の姿には見えません。
「うらめしや〜」というのが、幽霊の発する常套句です。つまり、「恨み」を持ってしまうと、愛を呼吸し、愛の光に満ちた、天国には行けない、ということです。

傷つけられ、奪われ、たとえ殺されても、恨んで死んだら、実は地獄に行くこともあるのです。
その人の愛の状態で、霊界の住処、階級が決まるのですから。

仏教の言葉で「成仏する」と言いますが、それは、心残りを残さずに、あの世に行った霊をいいます。
つまり、たとえ不本意ではあっても、恨みをもたずにあの世に行かないと、大変なことになってしまいます。
「恨み」というのはその人のもっていたはずの愛や思いやりをどこかにやってしまう、強烈な毒薬となるのです。

地獄に行くのは「愛のない人」と一口で言いましたが、恵まれた状態での「愛」を言うのではないようです。どんな状態でも、人を恨み、憎みそうになる時でも、それを恨みにはしない、そうでなければ、一歩間違えば、何にも悪いことをしていなくても、とんでもない辛い地獄に落ち込むことにもなりかねません。

地獄行きとなる候補者は、今の世の中で大勢生きています。
ありがたいことにこの世にいる間、生きている間は、刑の執行猶予期間でもあり、いくらでも挽回して過去の罪は情状酌量となる機会もあるということです。

逆に一生懸命生きてきた人が、誰かに酷い仕打ちを受けたとして、復讐の鬼になってしまえば、これまでの人生を棒に振ることもあるのです。

不条理なこと、恨みたくなるような辛い仕打ち。
そういうものも、とらえようによっては、あの世に持っていくたった一つのもの、私たちの「魂」を輝かせ、私たちの「愛」を育てることになる大きなチャンスだ、そう思ってみましょう。

心にいつも太陽を。そうすれば、晴れても嵐がきても関係ありません。
どのような辛い状況があったとしても、恨みに身を焦がすことなく、早く切り替えて、私たちの持っている「愛情」を更に豊かなものにしていきましょう。

下手したら、地獄行きになるかもしれない、私たちの人生。
いつからでも、天国行きに変えることもできるといいます。遅すぎることはありません。


今日もいい一日を

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写真は:ドクダミ 祠
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