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2012年10月04日

「死んだあともなにかが残るって考えたいんだ」《スティーブ・ジョブズ1周忌に寄せて》1


ファイティングポーズ。


人生を左右する分かれ道を選ぶとき、
一番頼りになるのは、
いつかは死ぬ身だと知っていることだ
と私は思います。
ほとんどのことが
── 周囲の期待、プライド、
ばつの悪い思いや失敗の恐怖など
──
そういうものがすべて、
死に直面するとどこかに行ってしまい、
本当に大事なことだけが残るからです。
自分はいつか死ぬという意識があれば、
なにかを失うと心配する落とし穴に
はまらずにすむのです。
人とは脆弱なものです。
自分の心に従わない理由などありません。


スティーブ・ジョブズ
2006年6月スタンフォード大学卒業式*


明日はスティーブ・ジョブズの1周忌を迎えます。
思えば、私が彼をこのブログで紹介するようになったのは、彼が亡くなってからのことです。
今でも語り草になっているスタンフォード大学でのスピーチ**を紹介したのが最初でした。その頃は、「ジョブズ氏」と紹介しています。

死後、更にその人の真価が発揮されることが往々にしてあります。彼のような精神性が豊かで旺盛だった人は、その肉体では限りがあった活動の成果が、死後、立体的に花開くことがあるようです。
霊になれば制約なく動けるのかもしれません。

スピーチのなかにあるように、自分は死ぬのだ、という思いの中で、長くなかった生涯を太く生き抜いた人だと思うのです。

「死んだあともなにかが残るって考えたいんだ」
ジョブズの言葉


がんと診断されたとき、息子さんの卒業を見たいと思い「神だかなんだかと取引した」と彼は言っています。息子に遺せるものをという思いで、遺言のように最後の数年間の仕事をしていったのでしょう。

禅宗を信じる彼は、禅宗では自己の悟りというものを強調しますから、精神力はかなり鍛えられたことでしょう。
本当に強い人だった、という印象がジョブズにはありますね。

きっと彼は「神」に関する概念は曖昧だったことでしょう。しかし、その彼が、「神だかなんだか」という言い方をしていますが、つまり神様に切実に祈り、誓いを立てたということでしょう。

神様について曖昧にしか信じられない人であっても、神に向かうことがあります。真摯な思い、切実な思いというのは、なぜか、神様に届くことがあるのです。

私たちは、神様に祈ってお願い事をしたら、それで満足してしまうのですが、それで願いが叶うのではありません。
自らも一生懸命、それが叶うようにできることをすべてし尽くさなければならないのです。それを結構、私たちは怠ってしまうんですね。

きっとジョブズは、自分のやれる努力を尽くしたことでしょう。
その願いに関して真剣に、あきらめずに自分のやるべきことをやったのでしょう。

ですから、息子さんの卒業は見ることができました。また、倒れ、最終的にはこの世を去らなければなりませんでしたが、そういう意味では、悔いはなかったのではないでしょうか。

今日もいい一日を

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写真は:ファイティングポーズ。
by (C)芥川千景さん
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