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2012年05月29日

人間追いつめられると何をしでかすか分からない?! 「最後の砂糖」前《相田みつをの講演から》


2012.05.21 和泉川 ブタナ


きれいごとは、
ギリギリに追いつめられた経験のない者の
寝言です。
ほんとうに追いつめられると、
人間てやつは
何をするかわかりません。


相田みつを


昨日今日のニュースを見ていたら、シリアの大虐殺は、さらに恐ろしい事態を生んでいて、中国では村人11人を虐殺した「食人魔」、ボスニア・ヘルツェゴビナでは、少女を家畜扱いし、8年間も監禁…と、人間といえない、餓鬼・畜生に成り下がった人たちがいるんですね。
あまりにも多くて、いつも取り上げるには、むごすぎる内容なので、躊躇してきました。これらの事件を見ると、生き地獄というのがあるんだな、と思わされます。(ニュースは下に掲載)

今日は相田みつをさんのお話を紹介します。
長いので、2回に分けますが、今日の内容は、人間は追いつめられたら、餓鬼・畜生のようになるというお話です。自らの戦時中の得がたい体験談です。
相田さんにしては厳しい話しのような感じがしますが、今日の前編は地獄篇と考えて下さい。


最後の砂糖(前編)

今は去ること三十二年前、昭和二十年の八月でした。それは、言うまでもなく終戦の年の夏。わたしは当時、最下級の陸軍二等兵として宇都宮の部隊におりました。
その頃の軍隊というものが、最下級の初年兵にとって、どんなに過酷なものであったかは経験した者でないとわかりません。わたしは終戦まぎわの六月初めの入隊でしたから、終戦の日まで名実共に初年兵でした。初年兵というものは、朝起きてから寝るまで古参兵に追いまくられ、自分の顔を洗うひま等全然ありません。

入隊してから約二か月目のある日曜日の午後のことでした。隊の古参兵達が殆ど外出して留守になりました。井戸のコンクリートの流し場に、なんと、食器を洗ったあとの、ごはん粒が沢山落ちていたんです。
「しめたァ!!これは一人で食えるッ」
わたしは洗い終わったごはん粒をガツガツと喰いはじめました。

その頃軍隊では流し場の残飯を拾って喰うと重営罪です。それは軍隊の中の牢屋のことで、最も重い罪を犯した者がぶち込まれるところです。もし、チフスやコレラ等の伝染病にでもなると、団体生活ですからたちまち部隊全員に広がってしまいます。だから、厳重に禁じられていたんです。
厳重に禁ずるということは、裏を返せば、残飯を喰う者がいっぱい居たということです。つまり、それほど、いつも腹が減っていたということです。

人間、追いつめられないと、なかなかほんとうの姿を現さぬものです。ふだん、どんなにカッコいいこと言っていても、いざとなるとだらしのないものです。カッコいい言葉なんて追いつめられるとなんの役にも立たぬものです。腹が減って腹が減って、どうにもならなくなると、重営倉を覚悟で、流し場の汚い残飯を拾って喰っちゃうんです。
キレイだとか汚いなんて言っているのは、ゆとりのあるときの話です。きれいごとは、ギリギリに追いつめられた経験のない者の寝言です。ほんとうに追いつめられると、人間てやつは何をするかわかりません。人間てやつ − なんて、他人ごとじゃなくて自分のことです。
ひとはともかく、この自分は、追いつめられると何をしでかすかわからぬ、というのが本音です。そういう地獄、餓鬼、畜生的な要素を多分に持っている、というのが人間であり、この自分だ、と思うんです。そこのところをゴマかすと体裁のいい偽善者や、うすッぺらな道徳者になると、私は常々思っています。

さて、ちょッと話がかわりますが、宮本武蔵という人は、人間が一番油断する時は、生理現象を満たすときだ、と言っております。生理現象を満たすということは、喰うこと、寝ること、便所や風呂に入ること。そのとき人間は一番きがゆるみ、油断をする。刺客にやられるのは、大体そういうときなんだそうです。これはいつか紀野先生から聞いた話。

その頃の私は宮本武蔵の話を聞いておりませんから、残飯を喰いながら、やっぱり油断をしたんです。ポンと後から肩を叩かれたので、振り返りますと、Kという古参兵が立っていました。
全身の血がサッと引き、絶体絶命と思いました。
(一部省略、要約しています)
「一生感動一生青春」あるいは
相田みつをカセットシリーズ3「雨の日には…」より


追いつめられると人間何をするか分からない、というのは相田さんの場合、ひもじすぎて処罰されるかもしれないのに、残飯を拾って食べたという経験から言われているので、とても鬼気迫るものがあります。

餓鬼、畜生というのは仏教用語です。
地獄にも段階があって、餓鬼とか畜生というのは地獄の様子の一部でもあり、つまり、地獄には餓鬼の国や、畜生の地域があるということです。そこに住むような人のことも餓鬼や畜生といいます。(いずれ、地獄の様子については、「霊界ってあるんでしょうか」で詳しくお話します。)

そういう地獄を見たんですね。
経験した者しかわかりません、というのはそういう意味でしょう。

さて、相田さんは地獄を見ましたが、そこで話は終わりません。そもそも、そこで終わったら、相田さんが私たちに素晴らしい言葉の数々を残すことにはならなかったでしょう。

ニュースにのぼる人間とは思えない凶悪犯たち。彼らと私たちはもちろん違いますが、彼らのような餓鬼・畜生になるかもしれない要素は、私たちも持ち合わせているということです。
ただ、一朝一夕にあのような極悪な人たちは生れません。そうなってしまった背景が必ずあるでしょう。また一代では生れませんから、親や血筋や、環境も…極限状態だったに違いありません。
誰も彼らを凶悪犯になる道を妨げられなかったということも、悲しい事実です。


今日もいい一日を

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写真は:ブタナ
by (C)ひでわくさん
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無断転用はご容赦願います

相田みつをカセットシリーズ3
「雨の日には…」
朗読 渡辺裕之
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posted by kuri-ma at 10:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 相田みつをの言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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