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2011年05月26日

詩「死者にことばをあてがえ」作家・辺見庸「瓦礫の中から言葉を?!」2


金、銀、パール、プレゼント。
 


悲しみをもっと深めていく。
絶望をもう一段深めていく。
自分の魂、自分の悲しみの
質に合った言葉を探して、
それを一連なりの表現にしていく、
それが絶望から這い上がる
糸口になるのではないか。

我々は、新しい内面をこしらえる必要がある。
それが希望ではないかと
僕は思っているわけであります。


辺見庸


昨日、全文を記載した辺見庸さんの言葉には共感する内容も多かったです。ほとんど私の思いを代弁しているといってもいいくらいですが、もう少しわかりやすく、私の言葉でまとめてみたいと思います。

震災で破壊されたものは、いずれ元に戻るというが、それは違う、彼の予感として、そんな時限の犠牲ではなかったとも言われています。
私もそう思います。私たちの大きな転換点であって、(一昨日の記事の言葉であれば)「戦後」と同じくらい大きな変化である「震災後」をすでに出発している私たちなのですから。
逆に変わらなくてはいけないのでしょう。震災前から感じてはいても、変えるに変えられなかった殻を、震災が壊してくれました。

「震災で崩れたバベルの塔」とは何かというお話を以前しました。こちら
嘘や虚栄のため、私たちが本当に求めている愛やまごころや、幸せというものではなく、一時的に満足するドラッグ的な、即席の娯楽や快楽、外見主義の中身のないものたち…。見た目はよく、みんな飛びついていたもの。
辺見氏は「金儲け」「投資」というような言葉でいっていますが、そういう儲け主義的なものは、結局は何にもならないし、後にはひけなく更に高みを目指していた「巨大なバベルの塔」がきっと震災で崩壊したのだと、私も信じたいのです。

「バベルの塔」とは、もともと聖書の中に出て来るものです。神や祖先の意向に逆らって建てられていた巨大な塔だったのですが、神が言語を混乱させて、その人たちは世界に散ってしまい、未完成で終わってしまいました。悪なる企ては最後まで実現しないということでしょうか。

震災前は、善いことを大声で叫んでも、バカにされる風潮があったと確かに思います。本当は、心の内には、優しい心を持っていても、何かしたいと思っても、できないみたいなものがありました。
よくないな、だめだとわかっていることも、やめられませんでした。
『節電』といくら呼びかけても、空しい呼びかけに終わっていたのが、社会全体から変わったのは確かです。

作家である辺見氏が、「元に戻ることはない」と予感することは確かだと思うのです。
経験してしまったものは、どうしても消すことはできません。

また、多くの犠牲者は、たとえ皆きれいに葬られたとしても、肉体はなくなったとしても、その魂は残っています。犠牲者がそのまま消えうせはしません。
私たちは、その犠牲者ひとりひとりの思いを浮かばせてあげなければならないのでしょう。簡単に風化することではありません。

下に掲載する辺見氏の詩も、犠牲者のひとりひとりの、空しい思い、そういうものを掬い上げて、花を手向ける、ただ形だけの供養ではなく、犠牲者の思いを言葉にして、それを代わりに実現するというような思いに満ちています。簡単なことではないけれど、それが残された私たちの使命なのでしょう。

あの津波の恐ろしい威力の前では、生きていることが当たり前ではない、死ぬことの方が当たり前にも思える状況だったと言われています。その中から生き残ったのは、被災者だけでなく、私たち全てなんでしょう。

私などは、被災地に個人的なつながりはほとんどなかったので、痛みはないだろうと言われればそれまでなのですが、これは被災地の問題ではなく、日本全体の痛みであり、悲しみです。そして大変革されて変わっていかなければならない、今の時なのでしょう。

すべてが枯死した中から蘇る"辛卯(かのとう・しんぼう)"の年である今年、前半を乗り切ったならば、復興への足がかりはつかめるでしょう。でも、あくまでも辺見氏の言う「内面」を作っていかなければならないと思うのです。
最近、つくづく痛みを忘れてはいけないと感じています。

犠牲になった方たちはどうしたら、成仏されるのでしょうか。そういうお話もまたしていきたいと思います。


「死者にことばをあてがえ」

わたしの死者ひとりびとりの肺に
ことなる それだけの歌をあてがえ
死者の唇ひとつひとつに
他とことなる
それだけしかないことばを吸わせよ
類化しない 統(す)べない
かれやかのじょだけのことばを
百年かけて
海とその影から掬(すく)え
砂いっぱいの死者に
どうかことばをあてがえ
水いっぱいの死者は
それまでどうか眠りにおちるな
石いっぱいの死者は
それまでどうか語れ
夜更けの浜辺にあおむいて
わたしの死者よ
どうかひとりでうたえ
浜菊はまだ咲くな
畦唐菜(アゼトウナ)はまだ悼むな
わたしの死者
ひとりびとりの肺に
ことなる
それだけの
ふさわしいことばが
あてがわれるまで


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