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2011年05月06日

お祈りとは亡くなった人との会話?!相田みつをの言葉「あんちゃんの死」


2010.08.14 和泉川 荒地瓜にヤマトシジミ.jpg


東日本大震災や、また最近では田中好子さん等の訃報を聞く時に、今生きていることを感じると共に「死」というものを身近に感じるのではないでしょうか。
いつかは死ぬとわかっているけれども、だからこそしっかり生きようと思いながらも、どういう生き様がいいのだろうか、どんな死に方がいいのだろうか、わからないことばかりですね。
相田みつをさんの言葉です。

あんちゃん……
それはわたしが幼いころ
二人の兄たちを呼んだ呼び名です
二人のあんちゃんは若いころ
いまの中国やアメリカを相手の
戦争に行って二人ともなくなりました
もう五十年も昔の話です
それでも兄の位牌やお墓に
手を合わせるときは
むずかしい戒名などは呼ばずに
わたしは心の中で
「あんちゃん!!」と呼びます
そのほうが二人の兄とわたしと
三人だけの楽しい会話が
できるからです
「あんちゃんの戦死」

「自分が死ぬと、
やがて日本のふるさとにいる両親のところへ、
自分の死んだ知らせがゆくだろう。
両親や弟妹たちが
さぞかしびっくりするだろう。
そしてみんな自分の死を嘆き悲しむだろう。
死んでゆく自分はいいけれども、
両親や弟妹たちの嘆き悲しむ様を想うと
そのことが一番つらい」
(戦友の手紙に書かれていた二番目の兄の最期の言葉)

人間が「いのち」を終えるときのことばに「うそ」はないと思います。右とか左とかいうイデオロギーや理屈はありません。
故郷に待っている父母や弟妹たちへの熱い想い、つまり望郷の念ただそれだったと思います。
以上、『いちずに一本道 いちずに一ッ事』より


亡くなる直前に思うのは愛する者のこと、愛する家族のことだというのです。これは理屈ではなく、そうなんでしょう。

相田みつをさんは敬愛していた兄たちを亡くしたことが一つの大きな転機となりました。結婚もしないで死んでいった兄たちの分もと、いつも自分の人生にお兄さんを重ねるようにして生きていかれたのです。
また、兄たちの死に対して嘆く親の姿を見ながら、「愛別離苦」というものに触れました。特に親より子どもが先立つことは、どれだけの悲しみか―。

先ごろ来日したダライ・ラマが
私たちは自分の国を失って以来、
困難な状況の中で、
自分自身の心の内なる力を
高めることができた。
日本も第2次世界大戦で
多くの方々を失ったが、
落胆することなく立ち上がった。
前に進む力を思い出して欲しい
と語られたということですが、
多くの「愛別離苦」の悲嘆の中から、私たちは人の痛みを知る機会を与えられているのでしょう。辛抱する思いも培えるでしょう。日本がもっと大きく成長できる契機なのでしょう。

今回の震災で、私は身内を失ったわけでもなく、その思いを分かったように言うことはできませんが、わずかばかりは察することはできます。祈りながら、少しでも、ご遺族の痛みに共感して、見えないところで支える立場に立ちたいと思うのです。

亡くなった方を祈る時には、相田みつをさんのように、生前呼んでいたように呼びかけてみるのがいいと思います。そして、その人の代わりに、その人が喜ぶことを一緒にしてあげるのがいいのでしょう。
寝るときも食べる時も何か楽しいことをする時も、話しかけて一緒にしていく、そういう風に、見えない先祖となられた方々と、日常の中で一緒に過ごしていくことが、一番の供養だと思うのです。
相田みつをさんが常に二人のお兄さんを意識されたように。

そうしていくと、何かしら見えない人からの守りを頂いたり、力を頂くことがあるのです。気づかないけれども、必ず起こっていることです。
分からなくても、そう思うと何でも感謝の思いが湧いてくるでしょう。だから、見えないものに手を合わせる生活はいいのです。

私も海外から帰ってから、そういう機会がより増えてきました。
特に姑が亡くなってからは、お料理する時、買い物する時、洗濯物を干す時などなど、亡くなったお義母さんを意識して、心の中で話しかけるような毎日になりました。
忘れていることも多くてごめんなさい、なのですが、夜寝る時など、思い出した時に、こんなことがあった、と報告するようにするのがいいと感じています。
お義母さんと会話する時は、私の心の整理の時間になるような気がしています。
うっかりしていたことを思い出したり、こうしてみようと思い立ったりと、お祈りの中で得ることが多いのです。

人が亡くなることは、辛くて寂しいのですが、本当にその人が消えて無くなったわけではありません。確かに見えないので、(肉体は)ないともいえるのですが、魂は残っています。
そんなのは私の思い込み、と言われればそれまでなのですが、思い込みではすまないことが多いのです。

死んで消えると思わない方が賢明ですよ。あえて目くじら立てて否定することはなく、信じて損はないと思うのですが…。
芋虫やさなぎで終わるのではなく、美しい蝶となって自由に羽ばたくことができるとしたら…。

大切な人が亡くなったなら、生前と同じように話しかけ、楽しみも悲しみも共有していくと、もっと深みのある濃い一日一日を送れるような気がしています。
そして、亡くなった方たちの分も、笑顔と感謝で今日も過ごしたいですね。

よい一日を!
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写真は「荒地瓜にヤマトシジミ」ひでわくさん



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posted by kuri-ma at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 相田みつをの言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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