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2010年10月13日

見えない壁?!ドイツ統一20年記念式典ニュース



ドイツで統一20年記念式典開催
ドイツで統一20年記念式典開催
ニュースが漫画になってます。わかりやすいので是非全部お読みください。
(↑クリックしてください)

記事に書かれているように、40年間の東西分裂から統一されてから、
二十年が経ちましたが、まだまだ東西の壁のあるドイツの状況です。

私が旧東ドイツの町々を回ってから、10年以上経ちましたが、
あの時に見られた東西の格差や溝というものも
そのまま残っている感じですね。

変わってきているのは、若い世代。
W杯の記事で触れましたが、統一後に生まれた世代は分断されていた
当時のことを知りません。
親子での感覚のギャップがあるとのこと。
新生ドイツ、組織力(?!)でイングランドに圧勝


当時、分断されていた東西ドイツは、ベルリンで二つに分けられて
いたような感覚があったのですが、実は認識不足で、
西ベルリンは、東ドイツの町々の中に
陸の孤島のように囲まれた一地域に過ぎませんでした。

壁は、分断というより、西ベルリンを囲んでいたのです。
国境線は西ベルリンの更に西で、壁ではなく、
鉄条網で仕切られていました。

西ベルリンは英米仏の3か国占領地域で、西ドイツにも属さない
特殊な地域だったのですが…。
「資本主義のショーウィンドー」とも、たとえられていました。(下記参照)

壁博物館・チェックポイントチャーリーハウスで見ましたが、
命がけの脱出をした人たち、
失敗してあえなく惨殺された人たちの記録があり、壮絶で、
映画を見るより、ゾクゾクきました。(下記参照)

今は壁もなく、明るいはずの旧東ベルリンが、
なぜか暗く殺伐として見えてしまうのは
気のせいではありません。
何か、空気というのか、雰囲気というのか、
違うものが流れているのです。

上の動画の写真、
だだっ広いカール・マルクス通り(下記参照)もそうです。  

動画は、山中允(まさし)さんの作曲とピアノ演奏です。
あの場にピッタリの曲調です。

クリックで再生、Wクリックすると、YouTubeに移動します。


東西冷戦の、犠牲となったドイツ。
あの、40年はなんだったのか、と思った時に、
まだ旧東ドイツの時の生き方から逃れられない人々や、
そして格差。また、受け入れたはずの東ドイツを
疎ましく思う人々がいて、複雑なものばかり残しました。

すっかり過去のものにするためには、共産化ゆえに荒んでしまったもの、
爪あとというものを理解して、
でもやはり次の世代に期待するところが大きいかもしれませんね。

また、追々、こんなお話も。

o0519034410301599591.jpg
壁崩壊時、ブランデンブルク門



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参照:  当時の西ベルリンについてはこちら

壁博物館・チェックポイントチャーリーハウス Museum Haus am Checkpoint Charlie
1961年8月13日のベルリン封鎖当時の市内の様子や、東側から逃れてきたときのいろいろなルートや手段がパネルや写真で紹介されている。境界となった建物の4階から飛び降りる子供の写真や、女の友達に縫ってもらったソ連兵の軍服を着て、うまく壁を通過することのできた人たちの話。また実際に利用された車や気球なども展示されている。これらの成功談に対して、妻と子供を東側から連れ出そうと地下通路をひとりで造ったが、監視兵に知られて射殺された人の話など。思わずだまり込んで説明書きに読み入ってしまう。壁博物館には、なるべくたくさんの人に訪れてほしい。壁は消えても悲劇の記憶は消えないのだから。          地球の歩き方より

カール・マルクス通り参考ブログ

ベルリン観光地図(地球の歩き方) 


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