もともと、秋雷という言葉はありません。
異常気象のせいでしょうか、昨夜の雷は風雨と共に、
とても激しくて子供たちが、怖がって眠れないほどでした。
「おへそを取られないようにちゃんとしまったから」という末の子は、
怖がりもせず、怖がったのは上の子たちでした(笑)。
「桑原桑原」四字熟語で出てきたので、驚きました。
「くわばら、くわばら…」邪気を追い払うおまじないでもありますが、
特に雷から身を守るというのは、
これも菅原道真の所領の桑原には、一度も落ちなかったことから、
「桑原桑原」と言うようになったとか。
京都で伝わっていることのようです。
もともとは、こんな話もあるのです。
菅原道真は、学問の神様として有名ですが、
実は怨霊として名高いことを知っていますか?
彼は、幼い頃からの秀才で、宇多天皇を支え大出世した人です。
周りの藤原氏は面白くなかったのか、
彼は晩年、大宰府に左遷されてしまい、数年後に無念のままに
亡くなってしまいます。59歳でした。
(参考 → 「菅原道真が大宰府へ左遷される」)
さて、そこまでなら悲劇の人で終わるのですが、
彼の死後、彼を左遷に追いやった人たちは、
次々に亡くなっていきます(それも変死。早世が多い)。
雷に打たれた人もいました。
そして、「清涼殿」の落雷事件があってからは
これは、道真の祟りだということで、ますます恐れられ
その怨霊を封じ込めるために祀ったものが始まりです。
菅原道真は、平安京最大の「御霊」であり、「雷神」として恐れられた人なのです。
御霊とは、怨霊のこと。怨霊も大きいと、こう呼ばれるんですね。
実際、道真の左遷に関わった人たちは、その子供たちなども含めて、
皆祟られて亡くなったということです。
学問の神様、「北野天満宮」も、そういう意味ではご利益があるかどうか…。
実際、私は昨夜この記事を書いていて、重くなってきて
この方も解放されていないなぁと、感じました。
59歳で亡くなるというのは、還暦を越えられなかったということですね。
彗星のごとく一代で出世しましたが、
空しい最期だったのでしょう。
歌人として、文人としての道真は素晴らしい才能があり、
しかし特に有名なのは大宰府左遷が決まった時のこの和歌でしょうか。
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
百人一首の中にあるのは、以下の歌です。
「このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず手向山(たむけやま) もみぢの錦神のまにまに」
見事というしかないですが、これも上皇となった宇多天皇に捧げた歌なので、晩年のものですね。
「代りにこの紅葉を御幣として捧げますので、どうぞ神の御心のままにお受け下さい」
この歌からは、御霊となるとは、伺うことはできませんが…。
くわばら、くわばら…、ではなくて…、やはり冥福をお祈りした方がいいのでしょうか。
また、追い話。
参考にしました:「菅原道真の祟り」
ラベル:菅原道真

