春の太陽が輝けば、
穀種ははじけずにはいられない。
しかし、真の愛は
世間が冷たくても花を開く
ネーティヒ
◇
穀種ははじけずにはいられない。
しかし、真の愛は
世間が冷たくても花を開く
ネーティヒ
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春が来ると思い出す、感動的なお話です。
フランスの詩人、アンドレ・ブルトンのエピソードをアレンジしたものだということ。実話なんですね。
まさに、詩人の美しい言葉で起こした魔法のようなエピソードです。
「春の魔法」
まもなく春を迎えようとする、ある晴れた日、
NYの公園で浮浪者と出会った。
その浮浪者は首に「I am blind」と書いたものを掛けて物乞いをしていた。
そうか。彼は目が見えないのか・・・・
しかし通行人は誰一人として彼にお金をあげる者はいない。
素通りだ。
芝生に座っていた男は立ち上がり、その浮浪者に近づいた。
男は少しばかりのお金を浮浪者に恵み、その間に気づかれないように
浮浪者が首から掛けていた「I am blind」という文字を書き換え、そして別れた。
それから 1時間が過ぎる頃、その浮浪者は異変に気づいた。
おかしい・・・
おかしい・・・・
「あの男に恵んでもらってからの1時間。
それまでは誰一人お金を恵んでくれる人がいなかったのに
あの男に出会ってから、今度はすれ違う人、すれ違う人が
恵んでくれるようになった。
物乞いのお椀にはコインが溢れ、人々が同情の声まで
かけてくれるようになった。
あの男の運なのか?あの男は魔法使いなのか?」
実は、男は「I am blind」という言葉をこう書き換えていたのだ。
「Spring,s coming soon. But I can,t see it」
ひすいこたろう
人生を3秒で変える名言セラピー
一部適当と思われる訳に直しました。
文責:ほんままゆみ
人生を3秒で変える名言セラピー
一部適当と思われる訳に直しました。
文責:ほんままゆみ
最後の言葉は、このような意味ですね。
(春が来ようとしている。しかし、私は見ることができない。)
「I am blind」というのは、私は目が見えません、つまり、視覚障害者です、という意味になります。事実その通り、かわいそうな身の上を語っているには違いありません。
しかし、書き直した言葉では、春が来るというのに、その美しさを見ることができないのか、と心に訴えかけられたわけです。
事実ではなく、その表現のしかたで、伝わり方がこんなに違うんですね。
辛いこと、苦労を経験した人ほど、「春」のありがたさや、嬉しさを知っているのではないでしょうか。
だからこそ、その「春」を永遠に見ることができない男性に、同情したのだと思うのです。
◇
さて、「coming soon」というと、最近は映画やCDなどの上映、発売がもうすぐだということで、よく使われるようになりお馴染みの言葉になりました。
なじみの言葉にはなっても、もう一つ日本人にはピンと来ない部分があります。
「be coming soon」という言葉には、言葉通りの希望的な意味と共に、どこか虚しいような、別の意味が感じられてしまうかもしれません。
実は、イエス・キリストの遺した言葉が「I’m coming soon」(私はすぐ来る)でした。
クリスマスソングや賛美歌にもありますよね。「Jesus is coming soon」
どんなに寒い冬でも、やがて春がやってくるのは確実です。しかし、「私はすぐ来る」という言葉を遺して、イエスは2000年もクリスチャンたちを待たせてきました。
それでも、キリストはもうすぐ来るんだ、この目で見るんだ、それが代々欧米に伝わった人々の思いの中に残されているような気がするのです。
「Spring,s coming soon. But I can,t see it」
この言葉の背後に、soonといっているのに、永遠に来ないんじゃないかというような、長い冬、それでも待っている、そんな切ないやるせなさを、ほのかにですが感じてしまうのです。
でも、やはり、春は毎年やってきます。
今年も、コロナ騒動の中で冬の終わりをいつの間にか越えて、春を迎えました。
私たちに感じられる方法で、思いっきり、春の美しさを満喫しましょう。
プロフィール
ほんままゆみ(本名:栗原まゆみ)
世界平和の夢をあきらめられない、ヨーロッパ滞在歴≒ボランティア歴ありの、三男一女の母。見えない世界、霊界、神様についてや、ズバリあなたの使命をお答えします。夢を叶えたい人、カウンセリング募集中!(四柱推命鑑定も可。)
自作の小説と詩のサイトはこちらから→三月 さくら待つ月、四月 しあわせの始まり
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