7月7日は七夕。
台風は去りましたが、まだ梅雨は明けない関東地方、天の川が見られるか微妙なところですね。
ところで「七夕」と書いて、なんで「たなばた」なのでしょうか?
よく知っているようで、実は知らない、「七夕」の由来など、お話してみたいと思います。
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元旦、雛祭り、端午の節句に続き、並びの数字の日には、宮中などでも昔から五節句の行事がありました。
七夕もその一つです。もともとは宗教的な意味のある大切な行事でした。
また沖縄では、お墓を掃除し、もうすぐお盆ですよ、と伝える日となっているということ。
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当然これらの行事は陽暦でなく、陰暦(旧暦)で行われていました。
七夕は陰暦では立秋の後頃が多いので、古来の七夕は秋の季語なのだそうです。
ちなみに今年は閏(うるう)5月が入るので、陰暦の7月7日は、8月28日になります。
毎年、梅雨と重なり雨の多い七夕。
日本では、織姫と彦星が会えないんじゃないか、とかここ何十年、やきもきしてきたわけですが、陽暦で祝うこと自体に無理があるのではないか、と私は毎年思っています。
仙台の七夕祭りなどは、月遅れの8月7日にやりますね。陰暦は年によってズレますが、それでも陽暦よりはいいのではないか、と思います。
陰暦では、梅雨時とかさなるグレゴリオ暦よりもずっと晴れる確立が高いし、必ず下弦の月になることから、月が地平線に沈む時間が短く月明かりの影響を受けないそうです。
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さて、七夕と言えば、七夕飾り、笹飾り。
今では各家庭で笹飾りをすることは少なくなりましたね。
この笹には、先祖の霊が宿るのだそうです。
七夕と言えば、笹飾りと、織姫と彦星の話で終始してしまいやすいですが、実はお盆行事のひとつで、先祖崇拝の行事だったということです。
本来はやはり宗教的意味合いが強かったようです。
クリスマスのサンタクロースと同じように、現代に至るまでに様変わりして、お祭り化、さらにはイベント化して来てしまったんですね。
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では、織姫と彦星がどうつながるかというと、このあたりは中国からきています。
織姫(織女・しょくじょ)は、その名のごとく機織(はたおり)の神。
元々中国にあった牽牛(けんぎゅう)星と織女星の伝説と、手芸や芸能の上達を祈願する乞巧奠(きこうでん)という行事が合わさって、七夕の起源になったようです。
お願い事をするなら、芸事の上達などを願う方が、本来の七夕の目的には合っているかもしれません。
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それから、「七夕」を「たなばた」と呼ぶようになったのは、これまた中国の行事が日本に入ってからです。
五節句のひとつとして、日本でも昔から宮中で行なわれた行事が「しちせき」でした。
また、民間では古くから豊作を祈り種をまく「種幡祭り(たなばたまつり)」や、「棚機女(たなばたつめ)」という禊ぎ(みそぎ)の行事があったといいます。
これらが混同され、「七夕」=「たなばた」として伝わったのではないかと言われています。
「七夕」が「しちせき」だったというのは、読み方からして、そうでしょう。
宮中の由緒ある行事が、民間のお祭り行事と一緒になった、というところでしょうか。
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さらに、「たなばたさま」の歌にもある「五色の短冊」の五色は、五行説にあてはめた五色で、緑・紅・黄・白・黒をいいます。
短冊は日本だけのもので、中国では五色の糸をつるすのだそうです。
織姫にあやかった手芸と芸事のお祭りにふさわしいですね。
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何かわからないながらに、短冊に願い事を書いたり、天の川を見上げてきた七夕の日でしたが、深い意味のある宮中の儀式であり、先祖を祭るものであったようです。
つまりは、お寺や神社に行かないまでも、厄除けや祈願をし、先祖供養をする家庭の宗教行事といえるかと思います。
宗教行事は、早朝にするもの。
本来の行事としては、6日の夜から、7日の朝にするのがいいそうです。
星に願いを託すのも、天の川を見上げるのも、夜が合っています。
七夕の前日には、ささやかな祈りの時間を持ちたいですね。
ただ、長い日本列島、まだ梅雨の影響で雨模様の地域も多いことでしょう。
陰歴の7月7日(今年は8月28日)の前夜には、もう一度空を見上げながら先祖のための行事をしてみるのもいいかもしれませんね。
プロフィール
ほんままゆみ(本名:栗原まゆみ)
世界平和の夢をあきらめられない、ヨーロッパ滞在歴≒ボランティア歴ありの、三男一女の母。見えない世界、霊界、神様についてや、ズバリあなたの使命をお答えします。夢を叶えたい人、カウンセリング募集中!(四柱推命鑑定も可。)
自作の小説と詩のサイトはこちらから→三月 さくら待つ月、四月 しあわせの始まり
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