本当の自信≠ニいうのは
正しく生きて≠アそ
生まれるものです
良心(本心)が喜ぶ生き方を
良心(本心)が喜ぶ生活を ...
し続けてこそ
自信≠煦轤チて行くのでは
ないでしょうか?
彩-sai-
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正しく生きて≠アそ
生まれるものです
良心(本心)が喜ぶ生き方を
良心(本心)が喜ぶ生活を ...
し続けてこそ
自信≠煦轤チて行くのでは
ないでしょうか?
彩-sai-
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自分に自信をもつことが難しい。自分が信じられないのだという相談がありました。
ずばり、その内容について考えていきたいと思います。
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「自信」の素が何でしょうか。
信じることです。
「自信」も、「確信」も、「信」の字が付いていますね。
それは「信頼」という言葉にもつながります。
さて、自信、確信、信頼。
この「信」という言葉につながるものに、もう一つ「信仰」という言葉があります。
日本人にとって、本来美徳であった「信仰」という言葉は、なんとなく似非っぽい、信じるに値しない、低いもののように、地に落とされてしまっていますが、本来の「信仰」の意味を考えてみましょう。
調べると、「神仏を信じること」が本来の意味ですが、「特定の対象を絶対のものと信じて疑わないこと」という意味もあります。
この後者を見て、一般に信仰をうさんくさく思う傾向があるのではないでしょうか。
それは盲目的な信仰のことですね。
正しい信仰なら、よいわけです。
字のごとく、信じて天を仰ぐというのが、信仰でしょう。
天というのは、正しい道を照らしてくれます。
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本当の「自信」というのは「正しく生きて」こそ生まれるという、冒頭の言葉のように、正しく生きることによって、私たちは自信を持つのではないでしょうか。
それには、正しい道を知らなければなりません。
自信がもてないのは、そもそも何が正しいのか分からないからということもあるでしょう。
神様のことは漠然としていて、何だか分からないかもしれません。
実は、人間の心には、本来神様が働く場所があります。それが良心というものです。
良心のかけらもない人も、良心が曇って働くなってしまった人もいますが、本来は誰にでもその痕跡ぐらいはあるのです。
ですから、良心の声を聞くということは、神様の言葉を聞くのと同じです。
「信」という言葉は、目に見えません。
神様も目に見えません。
見えなかったとしても、これが正しい、と間違わず積み重ねていく。
良心に従った生活をしていれば、いつも神様と一緒ですから心強いのです。見えないけれど、正しい道をいけば、自信が自然とわいてきます。
自信というのも、自分でいくら持とうと思っても、良心に後ろ暗いことをしていたら、虚勢にしかならないということでしょう。
信じて正しい道を行く人には、変わらない信念、信仰、自信が、心の灯火のように灯っていると思うのです。
明日もまたお話しましょう。
過去の記事に加筆・編集して御紹介しました
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