人間と動物の違いはなんでしょうか。
動物にも、動物なりの心のようなものがありますし、忠犬ハチ公のような美談を生んだりもします。
しかし私が思うに、それは主人の愛情の投影であって、人間が愛情を注いだ分しか動物は返すことができません。
人間は、愛情(心)を深め、育てることができますし、成長していくことができます。しかし、動物はインプットされたことしかできません。
それでも、接する人間次第で、素晴らしいこともできたりしますから、動物に負けそうな人間様も多いかもしれませんが…。
愛し、しつけ、よい環境を与えてあげた分だけ、動物は応えてくれます。しかし、主人になることができないのが、動物です。
だから昔の映画「猿の惑星」のような状況は、ありえないのです。
動物は、責任をもてません。どんな忠犬であっても、賢いお猿さんであっても、地球温暖化も、世界平和も感心がありません。
自分の人生を考えたり、祈ったり、供養したり、神様を信じることもありません。
動物は、鏡には反応しますが、鏡に映った自分の姿を、自分だとはなかなか認識できません。仲間の犬がいると思うだけです。
職務に忠実な盲導犬は、下手な人間よりも責任感がありそうですが、そのように訓練されたからこそで、教育されたこと以上のことは、あまりできない、つまり教育した人間が素晴らしい、ということになります。
子どもは動物が大好き。動物に接することで情緒も育ちます。
ロングブームとなっているペットブームも、情緒の足りない私たちに、それを補足するためのアイテムだからではないでしょうか。
たとえば、責任のない赤ちゃんがかわいく癒されるように、動物は人間と違って、責任も愛情もなくても癒されます。そういうものだから、それでいいのでしょう。
◇
東欧のブルガリアにいた頃、よく野良犬たちを見かけました。
郊外の公園を住処にしている犬たちがいたのです。
その中で、ちょっと疲れたようなオス犬がいて、
私たちは「オヤジ」と呼んでいました。
見るからに雑種ではありましたが、性格のいい犬でした。
野良犬というのは始末が悪いものです。
人の手によってしつけられたことがなく、自分たちの生きるためには、
当然、人間様の迷惑は知ったことではありませんから。
人間という主人、あるいは愛情をかけて保護してくれる存在がいないと、
犬というのは野生動物以下の存在になってしまいます。
この「おやじ」は他の野良犬とちょっと違っていました。
なんとなくまじめなおじさんの姿に見えるので、
誰かがそう呼び始めたのです。
彼は私たちのそばが好きでした。
私が頭をそっと撫でてあげると、彼は、目を閉じて、
恍惚に浸るような状態になったものです。
私が行くたびに、遠慮がちに近づいてくるので、
いつも撫でてあげるようになりました。
私は、犬が恍惚に浸るということがあるとは思っていませんでした。
私が推察するに、彼は以前に人に飼われていたことがあったのでしょう。
その遠い、もう還ってこない飼い主との日々を追憶しているに
違いないと思いました。
少しあごをあげて、目を閉じている姿は
野良犬ながら、野良犬の心は持っていないようでした。
ある、季節は春だったか、彼は子犬たちを引き連れて世話していました。
母犬らしき犬を見掛けることもありました。
血統書というのがありますが、一回でも他の種類の犬と交わったら、
純血種は生まれないのだそうですね。
雑種の場合も、そのようです。
「オヤジ」の子どもたちと、母犬の状況を見た時に、
その通りだったとわかりました。
この一匹の犬は、私に多くのことを教えてくれました。
野良犬を英語でastray dogといいますが、単に迷い犬という意味も、
正道からそれた、堕落したというような意味もあります。
生まれながらの野良犬は性質(たち)が悪いと言いますが、野良犬でも人間に愛された記憶を忘れない場合もあるのです。
私はもうこの世にはいないに違いない「オヤジ」を思い出し、
そっと撫でてあげた時の彼の陶酔したような表情を思い出します。
果たして彼の子犬たちは、無事に生き延びたかどうか…。
彼は、私があの世に行った時、近くにきてほしい犬です。
写真は:野菜売り場 ポスト改め入金箱
by (C)ひでわくさん
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無断転用はご容赦願います
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