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2015年04月28日

アマガエルが雨が降ると鳴くのはなぜ?! カエルの大合唱ってあるの?!  ★地震でカトマンズが3メートル移動、エベレスト高さは変わらず

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水面の星くず♪


夜鳴くカエルは妻を慕って鳴き、
昼鳴くカエルは親を偲んで鳴く?!



part1
カエルの大合唱


実家の前は、一角だけ田んぼでした。この時期になると、水が張られ、夕暮れの時間になると、その水面に、向こう側にあるスナックの灯りが映り込んで、なんだかライトアップされた湖畔にでも来たような雰囲気もありました。

ただし、その素敵な時間が過ぎ去ると、カエルが鳴き始めます。まさしくカエルの大合唱です。カエルは夜行性なのか、夜中(よるじゅう)けっこううるさいのです。

カエルたちにとってはロマンチックな夜なのかもしれませんが、高校生の乙女の頃、初めてその大合唱を聞いた晩は、なんだか気持ち悪くて仕方がありませんでした。
アマガエルならうるさいと言ってもかわいいですが、ウシガエルは本当に牛のように鳴くのです…。

その実家を離れて久しく、カエルの合唱を聞く機会はなかったのですが、数年前引っ越した家の裏側が、田んぼなのです。住宅地の間に、一角だけ残されています。
最初の年、いつの間にか田んぼに水が張られていたんだなと、水面に打ち付ける激しい雨を見ながら思っていました。

と、夕暮れを過ぎると、聞こえてくるのです。懐かしいあの声が。カエルの大合唱。けっこう激しいです。これは、かわいいアマガエルたちの声!(ウシガエルでなくてよかった・・・。)

私以外はそんな経験を持たない、夫や子供たちは新しい経験で、驚いていました。
「懐かしいか」と夫に聞かれ、複雑な気分でしたが、もう家族も慣れたのか、ああまた鳴いていると、子守唄のように眠ってしまいます。

本当に、すごい数のカエルたちが鳴いているに違いないのに、そういえば、今まで、そのカエルたちはどこにいたのでしょうか。とても不思議です。おたまじゃくしからカエルになるなら、この水田で孵化してカエルになる間はなかったはずなので。
きっと近くのどこかでひっそりと暮らしていたのでしょう。冬眠するはずなので、田んぼの中にでもいたのでしょうか。田んぼに水が張られるこの季節を待ち望んでいたんでしょうね。

おそらく田んぼも少なくなったので、カエルがいやでも集まってくるスポットとなってしまうのでしょう。
今しばらく春の繁殖期の間、カエルの大合唱に毎夜お付き合いすることになりそうです。
とても近所迷惑なのですが…。




part2
アマガエルが雨が降ると鳴く理由(わけ)


アマガエルについて調べてみますと、繁殖のために、夜鳴くのとは別に、雨が降る前に鳴く「雨鳴き(あまなき)」「レインコール」と呼ばれるものがあって、昼間でも鳴くとのこと。

雨鳴きについては、各地に伝わっている昔話があります。あまのじゃくなアマガエルのお話です。


むかしむかしある所にアマガエルの親子がすんでいた。しかし子ガエルは大変なヘソ曲がりで、親ガエルの言いつけと反対のことばかりやっていた。
いよいよ死ぬという時に、親ガエルは(墓が流されないように、山の上に墓を作ってもらいたい。しかしこいつは言いつけと反対のことをするから…)と考え、「墓は川のそばに建ててくれ。」と言い残し死んだ。
ところが子ガエルはこの時になって反省し、「遺言は守らなければならん」と、本当に川のそばに墓を建ててしまった。そのため雨が降りそうになると「親の墓が流される」と泣くのだという。


『アマガエルのヒミツ』 秋山 幸也 
山と溪谷社 2004年3月より


これは、親孝行の教訓になりそうなお話ですね。
確かに、あまのじゃくなアマガエルの話は滑稽ですが、ありがちな私たちの姿ではないでしょうか。

夜鳴くカエルは妻を慕って鳴き、昼鳴くカエルは親を偲んで鳴くんですね。

泣くことにならないように、あまのじゃくもやめて、奥さんにも親にも尽くしておかなければ(?!)ということになるでしょうか。


今日もいい一日を

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地震でカトマンズが3メートル移動、エベレスト高さは変わらず


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2015年04月25日

おまえの笑顔を 捜している♪ 「路上のルール」 《尾崎豊の求めていたもの》  ★囲いのない動物園、鳥たちものびのび イタリア

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かみのけ座(春の星座-2)


月にくるまり 闇に吠え
償いが俺を とらえて縛る
そいつに向って歌った

俺は自分のため息に 微笑み
おまえの笑顔を 捜している



☆毎月25日は 尾崎豊の
メモリアル・デー
今日、4月25日は
尾崎豊の命日です


この歌は、尾崎の他の曲と比べても珍しく、「笑」という言葉が多い歌です。

また、やはりちょっと珍しく、闇だけでなく、月や星を歌に盛り込んでいます。

「星はやさしく 風に吹かれて 俺は少しだけ笑った」

彼女の笑顔を求めつつ、自分も笑顔を取り戻していっているような気がします。

「今じゃ本当の自分捜すたびこんがらがってる」と言いつつも、街の明かりだったり、夢だったり、音楽だったり、そういうものに守られて、疲れてはいるけれど、希望を求めている感じがいいですね。


「路上のルール」という印象的なタイトルですが、この歌の中に、その答えが描かれているのでしょうか。

「路上のルール」というのは何なのか、というと、現実的なしがらみ、のようなものに思えます。

ですから、「路上のルール」と、星が輝き、風が吹いてくる、空や自然、「天上のルール」というのは、ちょっと違うのでしょう。

きっと、彼の探す「笑顔」に鍵があるのではないか、と思うのです。






「路上のルール」

洗いざらいを捨てちまって 何もかもはじめから
やり直すつもりだったと 街では夢が
もう どれくらい流れたろう 今じゃ本当の自分
捜すたび 調和の中で ほら こんがらがってる

互い見すかした笑いの中で
言訳のつくものだけを
すり替える夜 瞬きの中に 何もかも消えちまう

街の明りの下では 誰もが目を閉じ
闇さまよってる
あくせく流す汗と
音楽だけは 止むことがなかった
今夜もともる街の明りに 俺は自分のため息に
微笑み おまえの笑顔を 捜している

傷をなめあう ハイエナの道の脇で転がって
いったい俺は 何を主張し かかげるのか
もう自分では 愚かさにすら気付き 諭す事もなく
欲に意地はりあうことから 降りられない

疲れにむくんだ 顔で笑ってみせる
おまえ抱きしめるには
互い失ってしまうものの方が
多いみたいだけれど

街の明りの下では 誰もが目を閉じ
闇さまよってる
あくせく流す汗と
音楽だけは 止むことがなかった
今夜もともる 街の明りに 俺は自分のため息に
微笑み おまえの笑顔を捜している

河のほとりに とり残された俺は 街の明りを
見つめてた 思い出が俺の心を 縛るんだ
月にくるまり 闇に吠え 償いが俺を
とらえて縛る そいつに向って歌った

俺がはいつくばるのを待ってる
全ての勝敗のために
星はやさしく 風に吹かれて
俺は少しだけ笑った

街の明りの下では
誰もが目を閉じ 闇さまよってる
あくせく流す汗と
音楽だけは 止むことがなかった
今夜もともる 街の明りに
俺は自分のため息に 微笑み
おまえの笑顔を 捜している

おまえの笑顔を 捜している


尾崎豊


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囲いのない動物園、鳥たちものびのび イタリア


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2015年04月19日

みんな違ってみんないい?! 「私と小鳥と鈴と」 金子みすゞ詩の世界  ★安倍首相、桜を見る会で著名人らと歓談

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2015.04.09 和泉川 シジュウカラ


私と小鳥と鈴と


私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。




この詩は金子みすゞの代表的なものの一つですね。とても、きれいでみすゞらしい表現、その当時では、かなり斬新かというような感性です。

有名な詩なのに、なぜ今までこの詩を紹介しなかったかというと、「個性」の貴重さを宣伝するものになっているのはいいのですが、本来みすゞは純粋な思いで書いたのに、捻じ曲げられるような気がして、なんとなく、(この詩を)そっとしておいてあげたい、と思ったからです。

「みんなちがって、みんないい」というのは、よいところが、みんないいのであって、個性の賞賛のようなものです。

しかし、自分が人と違う点を認めろというものではなく、ましてや病気や障害や、悪い癖、犯罪の部分までも、いいとはいえないでしょう。

病気や障害を持ってしまった人が、究極的な境地として、「私はこの病気(障害)を持ったからよかったのだ」と悟ることもあるでしょうが、本来病気や障害自体は、忌むべきものです。克服すべきは克服しようとするでしょう。
その人たちを差別したりは、もちろんしませんが。

そして悪癖や犯罪に関しては、認めることはできません。
この場合もだから嫌悪して蔑視するとかは、あってはならないことですが、だからといって、「いい」と認めることは断じてできないのです。

同性愛の賛歌、のようにされるのは、がまんならないことです。

そんな微妙な点から、避けてきた詩ですが、とてもかわいく、爽やかでしょう。
それは、みすゞの心が、とても澄んでいて、私がごちゃごちゃ考えてしまっているものを越えて、まっすぐに迫るものがあるなぁ、と思うのです。
真実は心を打ちますね。

「本当のことがいちばんいい」と、相田みつをさんも言っています。

汚いものにこの詩を利用すること、悪いものの隠れ蓑にしたり、歪んだ個性の言い訳に使うことがあるとしたら、本当ではないと思うのです。


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