この世は
わたしが
わたしになる
ところ
あなたが
あなたに
なるところ
相田みつを
◇
わたしが
わたしになる
ところ
あなたが
あなたに
なるところ
相田みつを
◇
この世で一生懸命生きて、私が任されたことを、まるで、そのために生まれたかのようにこなして。
私は、私になっているでしょうか。
磨くしかないんでしょうね。
時々、というより、大体の場合、私の願う通りには、私は人から願われはしません。
たとえば、子が母に願うのは、「今日のご飯何?」の質問が一番多いのを考えれば、やっぱりおいしいご飯を作ってほしいのでしょう。
それだというのに、ずぼら母の私は、できるだけ手抜きをすることを考えてしまって、手抜きをした分、子どもたちにもそれが伝わるのか、食の進み方が違います。
おいしいご飯というよりも、愛情のこもったご飯を食べたいのでしょうね。
だから、まるでおいしいご飯を作るために生まれてきたように、心を込めてしてみる。そうしたら、子どもたちは、私の愛情を食べて、満たされ、私も、少し本当の私に近づくのではないかと。
このブログも同じ。
心を込めて、人を前向きにし、この世で大切なこと、目に見えない神様や霊界のことを伝えるだけです。
そして、一人でも二人でも、元気になったり、気持ちがすっきりして、そうだね、やはり私たちは神様に愛されているんだ、なんて、信じてみたい気持ちになってくれたら、幸いだと思うのです。
そして、一生懸命生きたら、私たちは、いずれ先祖になります。
次代にバトンをつないで、あの世に旅立っていく時、もっていけるのは、どれだけ人のために役に立てたか、愛情を注げたか、ということになります。
私のいのちをどれだけ、磨くことができるかは、どれだけ人が願う私になれたか。
だから「今日のご飯何?」と訊いてくれる子どもたちは、私の魂の先生でもあります。
本当の私になる、というのは、まずは、人に願われる私になることではないか、と思うのです。
この世で、多く先生を持ち、本当の私の輝きをもちたいと思うのです。シビアな先生が多いので、簡単なことではありません。
そして、もう一つの先生は私自身。これが一番厄介です。身内と自分自身が、一番の味方であると同時に、裁判官なんですね。
◇
「 自分の番 」
いのちのバトン
父と母で二人
父と母の両親で四人
そのまた両親で八人
こうしてかぞえてゆくと
十代前で 千二十四人
20代前では……?
なんと百万人を越すんです
過去無量の
いのちのバトンを受けついで
いまここに
自分の番を生きている
それが
あなたのいのちです
それが わたしの
いのちです
相田みつを
「 自分の番 」
いのちのバトン
父と母で二人
父と母の両親で四人
そのまた両親で八人
こうしてかぞえてゆくと
十代前で 千二十四人
20代前では……?
なんと百万人を越すんです
過去無量の
いのちのバトンを受けついで
いまここに
自分の番を生きている
それが
あなたのいのちです
それが わたしの
いのちです
相田みつを
黒く染まるシリア ─ 活動家が語る「イスラム国」支配地の実態
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