さあ夢を叶えましょう

無料カウンセリング
を募っています。詳しくはこちら
まずは記事にコメントをお寄せくださるか
あるいは→のファンより
メッセージをお寄せください
お待ちしています

2014年08月18日

願いを叶え、幸せになるためには?! 幸・不幸の分かれ道って・・・  ★見捨てられた一家の死、恐怖が生む差別 エボラの悲劇 リベリア

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

幸せになるためのポイント・ゲット作戦──
シリーズでお届けします。

カンカン照り。


どんな偉大な事業も、はじめは、
すべて『夢』に過ぎなかったのです。
だから必要なのは、勇気です。


キッシンジャー(元米大統領補佐官)



幸福は小鳥のようにつかまえておくがいい。
できるだけそっと、ゆるやかに。


フリードリヒ・ヘッペル(独作家)



私たちは幸せを求めて生きています。

しかし…理想と現実のギャップに、思わずため息が増えていく、ということもあるかもしれません

ささやかな願いでも、叶えばいいと思いながら、生活しています。
そして、できることなら、したたかな大きな願いも叶えたいと。

本当は、私たちは、自分も気づかないところで、願いを叶えられているのです。十分に幸せを与えられているのです。

でも、往々にして気づかないし、それどころか、自分で自分を不幸にしていっていることもあります。


どうやって不幸になるかというと、分かりやすくいうと、人には二つの道があるのですね。

難しい道と、楽な道。
人のために生きる道と、自分のわがままを通す道。
人の道理にかなった正しい道と、自分が得をする楽な道。

突き詰めると、人の役に立つ道と、自己中の道です。

前者の道は行きにくい難しい道です。
いろんな言い訳はできるけれど、後者は、楽な道です。

残念ながら、楽な道を行けば、不幸に向かいます。
難しい道を行かなければ、幸福に至らないのですね。

普通に流されていると、後者の道を行ってしまうことも往々にしてあります。人は楽な道を行きやすいのです。

心の片隅では良心がダメだと言っていたとしても、蓋をしたり、言い訳や口実を考えたりして、その良心の声に逆らって、自分の思いを通してしまうんですね。

一度ならいいのですが、そういうことが癖になると、ささやかに与えられていたはずの幸せにも影が落ち始めます。

誰も人の子として生まれてきます。
女性ならば娘として愛され、社会でもそれぞれ番茶も出花の時をもち、大切にされ、結婚し妻となり、嫁となり、母となり、また姑や祖母になっていく。
そんなささやかな自分の位置や立場があるんですね。

不幸になっていくときには、その方が良いと思っていますから気がつきませんが、自分のことしか考えられなくなり、与えられている家族への愛情や思いやりを貫けなくなります。

また、ささやかな自分の立場から離れてしまい、不幸になっていきます。
家なんか嫌だと家出する娘に、素晴らしいシンデレラストーリーが待っている、のではなく、不孝は不幸の出発なのです。


では、再び幸せになるためにはどうしたらいいかといえば、単純明快です。
人を愛し、自分のためでなく、相手のために尽くす心が必要です。

答えるのは簡単ですが、行くのは大変なのがこっちの道です。
人の役立つことをする、人に喜んでもらう、思いやりを込める。愛情を注いでいくことは、口で言うほど簡単にはいかないのです。

そもそも、私の心には、愛情なんてない・・

だから、 ホ・オポノポノです。
だから、お祈りをするのです。
だから、笑顔。

愛情のポイントは、ゼロ、あるいはマイナスかも、という状態でも大丈夫です。

「ありがとう」の一言で、「神様」と一言呼びかける祈りの言葉で、また無償で人にあげる笑顔で、ひとつひとつポイントをあげることができます。

そして、そんなプラスの言葉や祈りや笑顔を通して、いつのまにか神様から、愛とパワーをもらっていくことができるのです。

そうすれば、今まで無視していた良心の声が耳に届くようになり、いつしか、その良心の導きに従うことができる素晴らしい人に変わっていきます。

私たちは自分の願いを叶えることができます。
ただ、なんでもかんでも魔法のように叶う願いはないというだけです。

お空の星を取ってと子どもが願う、その心情がただの我が儘から出たものなら、叶うはずがないのですが、誰かを喜ばせたいという愛の思いからだったら、神様は叶えたいと思ってくださるかもしれません。

そういったことは、また次回にお話しましょう。



今日もいい一日を

クリックありがとうございます。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村
写真は:カンカン照り。
by (C)芥川千景さん
画像あるいはタイトルクリックで写真のページへ
撮影者の名前をクリックすると撮影者のページへリンク
撮影者に許可を得て使用しています
無断転用はご容赦願います


見捨てられた一家の死、恐怖が生む差別 エボラの悲劇 リベリア

唯一陰性だった兄の言葉が胸を突きます。
「誰も僕に近づこうとしない。僕がエボラに感染していないことを知っているのに。お腹がすいたら外で草を探す。それが神のおっしゃることだから、受け入れている」


◇ブログをご覧になった全ての方へ◇
無料カウンセリング
を募っています。
詳しくは
こちら
お待ちしています


posted by kuri-ma at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛と幸福 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする