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2014年06月16日

輪廻転生ってあるんでしょうか?! 〈その二 ダライ・ラマは生まれ変わりか?!〉  ★【特集】金星 ─ 灼熱の「地球の双子星」


ポピーが満開


日本人の心に深く浸透している、輪廻転生について、今日も考えてみたいと思います。

その代表的例として、ダライ・ラマは、やはり転生者なのでしょうか。
ダライ・ラマは、代々、先代が亡くなって、40日、あるいは3年以内くらいに、転生して誕生すると信じられています。

本当に生まれ変わりなら、先代のダライ・ラマが亡くなってから誕生した子どもしか、生まれ変わりではありえません。その子が成長するまでの期間、空位が続くということになりますね。。。
実際、その生まれ変わりの子どもを捜すための努力は相当なものがあります。

ダライ・ラマ14世は素晴らしい方であると思います。その方への尊敬心から、多くの人が、よけいに「輪廻転生」の根拠のように感じてしまうことも理解できます。

しかし、ダライ・ラマ14世の素晴らしさと、彼がさて転生者かということは別問題ではないでしょうか。
つまり、転生者であるとは言い切れないのではないか、と思うのです。
信じている方たちからすれば、こういうことを言うこと自体が、侮辱に感じるかもしれませんが、どうぞ誤解しないでくださいね。


昨日も述べましたが、一般にも誰それの生まれ変わりと言われる現象があるということは、お伝えしている通りであり、真実で、確かなことでしょう。それを疑うわけではありません。
嘘や思い込みだとも思いません。

私が思うに、そういう転生・生まれ変わりと言われているものは、霊的な現象であり、私たちが気づく以上に、一般的によく起こっていることではないでしょうか。

亡くなった人たち、霊人たちというのは、肉体はありませんが、見えない魂という姿で、私たちに影響することができます。
一般にも憑依現象と呼ばれるものがありますね。

亡くなった人の立場で考えてみましょう。
大切な家族のそばにいたい、見守りたい、と思う気持ちがあるはずですね。見えない存在ですが、いつも見守ってくれ、時にはいろんな影響を与えていく、それが霊人の姿です。

そんな中、かわいい孫が生まれれば、その子は亡くなったお祖父ちゃんにとっても希望の存在ですから、いつでも一緒にいたいと見守るようになります。
そうすると、自然とその子は歩く姿や語る言葉まで、お祖父ちゃんに似るようになり、「生まれ変わり」と家族からは信じられるようになるわけです。

憑依現象というと恐ろしい感じですが、愛する人と共にいたいという身内だったら、恐ろしいことではありませんね。


また、ダライ・ラマの場合も同じです。
チベット宗教と、民族の行く末を案じる先代のダライ・ラマが、「この子だ」と思える、使命を委ねられる子どもを一緒に捜し、また見つけ出した後も、その子とずっと共にいて助けるようになるのは、想像に難くないことです。

ダライ・ラマ14世は、人格的にも素晴らしい方ですが、霊的感性も類まれなものがあり、様々に非凡さ、カリスマ性を発揮しているのは、代々のダライ・ラマや信奉者たちの霊が、守り導いている部分もあるかと思います。

まさに生まれ変わり、と信じて疑いようのない資質があったり、例えば子どもが知るはずのない、先代のダライ・ラマでしか答えられないようなことを知っていたりということが、きっとあるのでしょう。
それは素晴らしいことですが、先代の霊がいつも一緒にいて、働きかけているとしたら、可能なこととは思えないでしょうか。


小さい3歳くらいまでの子どもの中には、自分がお母さんのお腹の中にいた時の記憶が残っている子が多いのだそうです。うまく表現できないし、だんだん現実の生活が大きくなって、それ以上になると忘れてしまうことがほとんどなのだということです。
また、乳児や幼児は、霊的な力が強いような気がします。

生まれてから、赤ちゃんというのは、不思議なことにコロコロと顔が変わります。
お祖父ちゃんの顔にそっくりと思っていたら、お母さんの方の父方の顔になったり、母方の顔になったり、いつの間にか、2、3歳になると落ち着いてしまうんですけど。

きっと、いろんなご先祖様の顔を一巡するのではないか、と私は考えています。
ご先祖が、入れ替わり立ち代り影響を与えているのではないでしょうか。

私の子どもも2歳くらいの頃、霊的に見えることがあったのです。今でも熱を出したりした時に、ちょっと霊的になりやすい傾向があるようです。

ですから、小さいうちだったら特に、霊的に影響を受けたり、知らず知らず憑依されたり、ということはあり得ることかなぁと考えるのです。というより、普通によく起こっていることかとも思います。


そのように、霊的現象がある、ということを理解するならば、生まれ変わりでなくても、子どもがだんだん親に似るようになり、酒乱のお祖父ちゃんが亡くなったら、その酒乱が息子や孫に飛び火したように始まったりする意味も理解できます。

霊界を知れば、知るほど、生まれ変わりと言われていた証言は、霊的な現象だと、よく理解できます。

何より、霊界をよく知る人によれば、人はたった一度の人生を生き切って、永遠の霊界ライフを生きているのが人間であるのです。それはとても理にかない、宇宙の法則にマッチした内容かと思います。

輪廻転生が本当にあるとすると、説明できないこともあります。明日に続きます。



今日もいい一日を

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2014年06月15日

輪廻転生ってあるんでしょうか?! 〈その一 父と祖父と卵焼き。。。〉  ★サッカーW杯ブラジル大会、宇宙ステーションからも声援


幻想飛翔。


亡くなった私の父の好物の一つに卵焼きがありました。母の作るだし巻き卵は、実は祖父も生前、「おいしい、おいしい」とよく食べていた記憶があります。


さて、今日は輪廻転生のお話です。
魂の存在を信じる人の中で、輪廻転生というものをセットで信じる人も多いかと思います。伝統的な日本人の考え方の中にも残されています。

その考えは元々の仏教の教えというよりは、中国の土着の信仰が混じって朝鮮、日本へと伝わったというのが実情のようです。

とはいえ、転生、生まれ変わり、というのはもうかなり古くから広まった考えであり、私たちが先祖代々、なんとなくおぼろげに、そんな概念を聞きながら育ってきたのではないでしょうか。

実際、亡くなった人の生まれ変わりではないか、ということは、よく起こってくる現象です。また宗教的にも、例えばダライ・ラマは代々生まれ変わりであると強く信じられています。

亡くなったお祖父ちゃんの生まれ変わりか、と思えるようなことが、家族であればたくさん発見されて当然です。生まれたばかりの子が、亡くなったお祖父ちゃんによく似ていれば、そう思いたくなるのが人情というものかもしれません。


実は、この輪廻転生についても、霊界についてよく理解されれば、事実はどうであるのか、おのずと理解することができるのです。

実際、霊界をよく分かる人から見れば、人は人生を終えれば魂だけの存在、霊人となって、霊界の人となるということです。そして、そこで永遠に生きるのだそうです。
そうすると、転生者というのは宙に浮いた存在になってしまいますね。

それではなんで、転生とか、生まれ変わりと言われるようになったのか、そのカラクリも、あの世や幽霊のことをよく知れば、すっきり理解できるのです。

あの世とは、この世とまったく別の彼方遠くにあるのではなく、私たちの生活する空間と重なるように存在しているということですから、私たちはあの世の人たち、霊人といつも重なるように生活しているのかもしれません。

見える人から見れば、霊から多くの影響を受けて私たちは存在している、らしいのです。


ところで、時々、父が亡くなった途端に、その息子の性格が父そっくりに変わってしまったり、ということがあったりします。
お父さんが亡くなってから生まれた息子なら、まさしく生まれ変わりだと大騒ぎするところですが、この場合は、生まれ変わりではありえないのに、よく似た状況になったりします。

亡くなってすぐにコロッと変わるのでなく、急激ではなかったとしても、年を経るに従って、若い頃は全然違っていたのに、めっきり亡くなったお父さんに似てきたねぇ、ということは、往々にしてあるようです。

うちの父と祖父もそうでした。
歩き方や、息遣い、ちょっとした癖まで似てくるのです。親子でDNAも譲り受けていますから、もうお祖父ちゃんそっくりに見えたりします。
まるで双子か、というくらい、ハッとするように似ている瞬間があったりするのです。

そういう時は、ああお祖父ちゃんが父の体を通して、好きなものを食べ、いつも言っていた話をするんだな、と、私は感じていました。

その父も亡くなりましたから、今度は弟やその子どもに現れるのかな、と思っていたら、実は母と一緒にいるような感じもあります。。。
私の長男にも。。。


家族で私の実家に行ったときのこと。
私と母、甥っ子、姪っ子とで、いろんなことを会話してすっかり夜も更けてしまいました。

さあ、もうおしまいにしようという前になって、母が「じゃあ明日の晩は、〇〇食堂に行こう」と言い出しました。
近くの、お袋の味の店で、手軽に行けるので、生前父も好きでよく家族や母と行っていたところです。

反対する理由もないので、そうしようということになって、次の日に確認すると、母は「私は言っていない」というのです。
私一人が聞いたなら、私が寝ぼけていたということになりますが、甥や姪という証人もいたので誤魔化しようがありません。
きっと、父がみんなと一緒に行きたかったから、母の口を通して語ったのではないかと思います。

そしてそのお店で、父が必ず注文していたという卵焼を、卵アレルギーで食べたことのない長男にあげたところ、「うまい!」ということになって、今は毎日卵を食べています。
アレルギーも解消されてるかという感じもこれまでもあったのですが、まさしくその日から“卵解禁”となってしまいました。
父や祖父が一緒に食べているとしか考えられません。

このように、幽霊たちは、どうも私たちの体を使って、いろんなことをしているようです。


輪廻転生と呼ばれるものはどうして起こっているのかについても、勘のよい方は、もうお気づきのことと思いますが、長くなりますので、結論は明日に譲ることにします。


今日もいい一日を

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2014年06月12日

サボテン夫婦、棘があれども水入らず、「四苦八苦」は当たり前?!  ★無人の空港で一晩を過ごした男性の音楽ビデオが大ヒット(動画も)


父の日。


私の人生は、なんだかいつも四苦八苦、アドリブ満載のドタバタ喜劇のようだ、なんて思います。

さて、本来「四苦八苦」というのは、仏教用語で「思うようにならないこと」をいうのだそうです。「苦しみ」というよりは「苦(にが)さ」と言ったほうが近いかもしれませんね。



【私とあなたはサボテン夫婦、棘があれども水入らず】

四苦八苦という言葉を知っていますね。
生病老死が四苦です。

八苦のなかに怨憎会苦(おんぞうえく)、会いたくないのに会わなくてはならない苦しみというのがあると仏様は述べておられます。

恋愛と結婚の違いを知っていますか?

恋愛は会いたいという時だけ会ってりゃいいんですが、
結婚したら、会いたくない時も会わなきゃいけないという苦しみがあると言うことをあの仏様もおっしゃっているのです。

男と女の一番の距離というのは、どれくらいでしょう?
会いたい時に会えないのが一番いい距離だと思いなさい。
毎日会うからいけないのです。
「プロポーズ、あの日にかえって断りたい」というサラリーマン川柳がありました。

日々の人生は思い出作り!
あなたの目の前に起きることは全て試され事と考えてご覧なさい。
最後に自分の人生を映画で見た時、平々凡々より、色々なネタで波瀾万丈の方がエキサイティングだと思いませんか。

昇 幹夫 著「泣いて生まれて笑って死のう」より


いろんなとらえ方かあると思いますが、ちょっとおもしろいかなと思い、紹介してみました。

結婚したら、毎日会うのが当たり前、そういう特別な関係なのです。
いつも顔を合わせているから、かっこ悪いところも、弱いところも全て分かってしまっています。お互い持ちつ持たれつでもあるし、あるいは、弱みを握られている、と言ったらいいでしょうか。

また、夫婦となると、なぜか採点が厳しかったりしないでしょうか。要求することも、相当高く細かいことを要求していたりします。

家族以外の人は、よそ行きの姿しか見る機会はないですし、たとえ何か見る機会があったとしても、私には特別の人ではないですから、大概の場合、普通の人の枠内に納まるのではないでしょうか。

パートナーには、着るものから腕の揚げ降ろしまで、厳しい採点をつけますが、隣の御主人なら、迷惑行為がない限り、全然問題ありません。ちょっとよい挨拶をされたりすれば、「いい人」という評価までつくのではないでしょうか。

夫婦になってから、お互いに愛し高め合う存在になる、ということはやはりちょっと努力が必要かもしれませんね。
だいたい、要求は相手に向けますが、よく考えれば、自分のことは棚に上げていることが多かったりします。
これは、夫婦が顕著ですが、親子・兄弟などの家族関係もそうかと思います。
大切な関係ほどありがちなことではないでしょうか。

夫婦そして家族は鏡と考えたらいいかと思います。
私が持っているものが、その鏡にはよく映ります。私が我が強ければ、相手の我が映ります。気にしていることほど、強調して見えるのです。


さて、さきの文中に使われていた怨憎会苦(おんぞうえく)とは、怨んだり憎んだりする人に会ってしまう、思うようにならないもどかしさを表わした言葉。
「会いたくないのに会ってしまう苦しみ」と、上では言っていますが、もしも、夫婦でこんな状態になったとしたら、ちょっと不幸ですね。

私が思うに、ちょっと疎ましい、粗大ごみ的な存在は「怨憎会苦(おんぞうえく)」とまではいえないのではないかと思うのですが。
いずれにしても、怨み・憎しみを持つこと自体がこの苦しみの始まりといえるかもしれません。

しても仕方のないことで、逃れようもないことで、四苦八苦しているのが私たちでしょう。
四苦八苦とは、「苦しみ」というより、「思うようにならない」ことを意味するのだといいますから、誰もが持ち得ること、と考えられるかもしれません。

もう一度まとめてみますと、
四苦とは、生老病死の四つのままならない根本的なものをいい、その他に以下の4つを加え八苦といいます。

• 愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
• 怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
• 求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
• 五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと

これが、四苦八苦である、というわけです。


考えてみれば、四苦八苦というものは、避けようとしても避けることができないことです。
ある意味、宿命的なことです。

ですから、とらえようによって、それこそ不幸のどん底に落ち込むこともあるし、こういうことをも笑い飛ばすような、ポジティブな人もいるかもしれません。

ですからこんな「四苦八苦」というものに、振り回されて四苦八苦していないで、梅雨の時期に雨に降られるのは当たり前なんだからと、備えていくくらいの心の余裕もほしいですね。

四苦八苦は当たり前、と思えば、ちょっとした普通のことがありがたく感じられるのかもしれません。

自分の人生だというのに、振り回されてばかりでは、負荷が激しいので、台風の目の中に入ってしまう、そんなことも一つの手なんでしょう。

ということで、夫婦もいつ会っても新鮮、くらい愛し合える関係でありたいですね。
大概は、この「四苦八苦」の落とし穴に、うまく落ち込んで、自分を不幸だと嘆いて穴を更に深く掘ってしまったりして…。

苦い薬が、健康に効果があるように、四苦八苦の苦みも、かめばかむほど味が出る、苦さの中に味わいを感じられるようになる、…のではないでしょうか。
まだまだ修行の足りない私です。


今日もいい一日を

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posted by kuri-ma at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛と幸福 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする