地獄はどこかにあるのではない。
自分がつくって
自分が堕ちるところ
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自分がつくって
自分が堕ちるところ
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あるお寺の前を通りかかったら、このような言葉が書いてありました。そこには、お坊さんのお言葉なのか、いつも分かりやすい、よい言葉が書かれています。
人間の心が、天国、地獄を決める、これはやはり真実のようです。
人から見た環境が問題ではなく、同じ状況だったとしても、その人の心次第で、地獄にも天国にもなる。
いつもいつも、雨や嵐にばかり遭遇する人はいないとは思いますが、たとえ、なんで私ばかり…、と思うような状況だったとしても、感謝していく人、そして、どんな悲惨な状況だったとしても、周囲に笑顔を振りまく人は、天国をつくり出しているともいえるかもしれません。
私の心というのは、魂であり、小さな霊界です。
愛を呼吸するという霊界と、同じ要素でできているのが、私たちの心だといいます。
今日は、雲 黒斎さんの「あの世に聞いた、この世の仕組み」からの言葉を紹介して終わります。
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人を「笑わせよう」としている人は、
日々、どうすれば人が笑えるかを考えている。
だから、自分が「楽しい」「おもしろい」と
感じるものに意識を向けている。
人を「幸せにしよう」としている人は、
日々、どうすれば
人が幸せになれるかを考えている。
だから、自分が「幸せだ」と感じるものに
意識を向けている。
人を「困らせよう」としている人は、
日々、どうすれば人が困るかを考えている。
だから、自分が「困る」と感じることに
意識を向けている。
人を「悲しませよう」としている人は、
日々、どうすれば人が悲しむのかを考えている。
だから、自分が「悲しい」と感じることに
意識を向けている。
人を「痛い目にあわせよう」としている人は、
日々、どうすれば人が苦悩するかを考えている。
だから、自分が
「つらい」と感じることに意識を向けている。
同じ世界に住んでいても、
人が見ている世界は別のものだ。
だから、ほら、
あなたの「思っている」世界が、
そこに「そのまま」あるじゃないか。
人を「笑わせよう」としている人は、
日々、どうすれば人が笑えるかを考えている。
だから、自分が「楽しい」「おもしろい」と
感じるものに意識を向けている。
人を「幸せにしよう」としている人は、
日々、どうすれば
人が幸せになれるかを考えている。
だから、自分が「幸せだ」と感じるものに
意識を向けている。
人を「困らせよう」としている人は、
日々、どうすれば人が困るかを考えている。
だから、自分が「困る」と感じることに
意識を向けている。
人を「悲しませよう」としている人は、
日々、どうすれば人が悲しむのかを考えている。
だから、自分が「悲しい」と感じることに
意識を向けている。
人を「痛い目にあわせよう」としている人は、
日々、どうすれば人が苦悩するかを考えている。
だから、自分が
「つらい」と感じることに意識を向けている。
同じ世界に住んでいても、
人が見ている世界は別のものだ。
だから、ほら、
あなたの「思っている」世界が、
そこに「そのまま」あるじゃないか。
私の思っている世界、それがそのまま、私の霊界、私の魂の住み処。魂のレベルは誤魔化しようがないですね。
冒頭の言葉ですが、再度通りかかって確認しました。
うろ覚えだったのですが…。
こちらの方がいいですね。
変更しました 5.24
バルカン、と聞くと、懐かしいような、きな臭い、
ちょっと不穏で、整っていない
…あの国々の雰囲気を思い出します。
ボスニアには危険でしたし、行ったことがありません。
セルビアには、ブルガリアに滞在中、何度か行きました。
思い出すと同時に、すっと気持ちがそこに行きます。
バルカンの雰囲気を肌で感じる感じ。
これこそ心が霊界の成分でできているからでしょう。
やはり懐かしいですね。 お祈りします↓
バルカン半島大洪水、内戦後最大の「住民脱出」 地雷露出の危険も
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