人が死を迎えると、40日ないし49日の期間を過ごしてから、本格的な霊界ライフのスタートとなります。
つまり自分のあの世での居場所が決まるのです。
霊界というのは、その人の魂、人となりで決まるとお話してきました。私たちの心、人格的なもので、自然とその内容にあった場所にいくようになるということです。
私たちは、この世で四苦八苦の生活をしながら、あるいは栄耀栄華を極める生活をしながら、人に成功者、落伍者と言われながら、実は、あの世の場所、霊界での自分の家を準備しているのです。
私たちは、死後、どんな場所に行き、どんな生活をしていくことになるのでしょうか。
できれば、よい場所に当たればいいけど、と思いますが、そのようなくじ引きのようなもので決まるのではなく、公平に、その人の中身で決まるということです。
あの世、霊界とはどのようなところなのでしょうか。一口に霊界といっても、あまりに広く、漠然としていますね。
すべての人が、死んだ後は苦しみも悩みもない、そんな暮らしができるのでしょうか?
天国と地獄ってあるんでしょうか?
それは、はっきりあるということです。
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キリスト教には、楽園(パラダイス)という言葉もありますが、天国と地獄の2つに分けて話すことが多いですね。
天国と地獄とは、諸宗教や、世界中に通じる共通の概念のようです。
仏教では、あの世を六道というものに分けて言っています。
天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の6つに分かれているというのです。
天道というのは、天人の世界。
人間道は、人間の世界。四苦八苦に悩まされるが楽もある。
修羅は、戦いに明け暮れる世界。
畜生は、使役を強いられる世界。本能のままに生きることしか知らない。
餓鬼は、飢えと渇きに悩まされる世界。
他人のことを思いやらなかった人などが行く。
地獄は、罪を償わせるための世界。
六道の修羅・畜生・餓鬼・地獄は、いわゆる地獄と考えられます。
ですから、わかりやすく言うと、霊界は三つに分かれているといえます。
キリスト教でいう天国と地獄だけでなく、その中間の霊界も存在するということです。
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死んでも行きたくないと思う、地獄。
そして、通常の人間世界と変わらない、悩みと労働からは切り離されない世界が、中間の世界。
そして、誰もが羨む天国。
私たちは、死後、どこに行けるでしょうか。天国には行きたいけれど、方法がないと行けないですね。
この世でも中流家庭だから、あの世でも中間の霊界で、いいやと思うでしょうが、そうでしょうか。
天国、中間霊界、地獄、この3つに大きくは分類はされるのですが、その中は実に複雑にいろんな階層に分かれているといいます。
実は、この中で膨れ上がっているのが地獄だということです。
地獄行きにはなりたくないですが、中でも死後すぐに居場所が決定するのは、地獄に行く人たちだということです。
地獄というのは刑場のようなものなので、看守や、刑の執行人、あるいはその手下のような人たちに、さっと連れて行かれてしまうとか。
どんなことをしたら地獄に行かなければならないのか、これも知っておくべきポイントがあると思います。
今後、天国、中間霊界、地獄について、詳しくお話していきますが、そんな中で、私たちのこの世でも生き方も、見えてくることでしょう。
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