人の悪口は
私はつまらない人間ですよ
っていう自己紹介とおなじです。
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私はつまらない人間ですよ
っていう自己紹介とおなじです。
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人の悪口・陰口、批判、それに止まらず誹謗中傷、デマもいとわないそういう発言が、いろんな口から、また、ネットを通じても発信され、その応酬が限りなく続くというようなことがあります。
最近では、日韓の間での、批判合戦は、まるで相手の国の人たちは、とんでもない非常識で、人間でないかのような言い方をし合っています。
その傾向に関して、昨日もある方が話していましたが、反日派の韓中の人たちの言う様な、南京大虐殺のデマだとか、批判は酷いとは思うが、そういう人ばかりじゃないのを自分は知っている、というのです。
実際に知っている韓国人の中には、とても立派な人も多いし、普通の人間だ、と言っておられました。
一部の人たちが言い合っていることが、まるでそれぞれ国の代表者の言葉のようになって、国民の感情にまで反映しているのはどうかと思います。
韓流ドラマブームによる韓国への好感度は、あまり変わっているようにも見えませんが、それも水に流されてしまいそうな日韓関係の悪さを感じさせられるのは、マスコミの影響でしょうか。あるいは一般の嫌日家、嫌韓家たちがネットを通じて拡散しているからでしょうか。
心痛いことです。
悪口というのは、同じレベル同士の時に言い合うことが多い気がします。
また、悪辣なコメントなどをする人、というのを客観的に見ると、品位の高い人には見えません。自分のことは棚にあげたままで、相手を批判しますが、実際は同じようなものが自分にあるから、こだわって攻撃するのでしょう。
子どもほど、相手のことを理解する包容力がありませんし、自分のことしか考えられない自己本位になりがちです。
一方、不本意な悪口を言われても、できた人は相手にしません。人のことを認め、褒めはしても、あまり批判はしません。
また、何か目的をもって前向きに一生懸命な人は、人の何かを重箱の隅をつつくように批判したり、揚げ足を取ったり、そんな暇がありません。
前向きな人はひたすら前向き、なのではないでしょうか。
そうして、より高みを目指している人は、よいものを求め、下劣なことには、過敏な反応はせずうまく対処するのではないか、と思うのです。
こう書きながら、私も耳が痛い話です。
もちろん、悪意のこもったコメントなどをする性分ではありませんが、自分の子どもたちの前では、つい叱る言葉が出てくると、止まらなくなります。そして、小言を言いながら、なんだかイラついてくるのです。
悪口を言うと、自分の気分も悪くなるのはどうしてでしょうか。
また、人が悪口を言うのを聞いているだけで、なんとも嫌な気分になるのは、どうしてでしょうか。
実は、人間の脳(正確には大脳新皮質以外の脳)というのは、主語を理解しないので、誰かの悪口を言っていても、まるで自分のことを言ったようにとらえ、ダメージを受けるのだそうです。
きっと、悪口を聞く場合もそうなのではないでしょうか。
私たちが日頃何気なく使っている言葉が、脳と体に大きく影響しています。例えば、脳は主語を理解できないという性質を持っています。
主語が理解できないので、自分が発した言葉全てを自分のこととしてとらえてしまいます。*
タイガーウッズは、ココ一番の大勝負の瞬間、対戦相手が上手くいきますように!と祈るそうです。
相手という自分に余計な呪いをかけない!だから自分を妨げる思いが少ないのです。その結果あれだけの成果を出せるのです。
凡人とは逆の思考なのです。
そうすると、いつも両親の喧嘩を聞かされている子供は、いつも傷つき、不信感を持ち、自分にも自信がなくなってしまい、イラつきストレスを受けていることになりますね。
夫婦喧嘩は、子どもの前ではしてはいけない、というのは深い意味のあることだなぁと改めて思いました。
母の口うるさい小言を聞かされる場合も、同じでしょうか。
人の悪口が出るときって
話題がないとき
話題がないのは
毎日がつまらないから
毎日がつまらないのは
自分がつまらないから
人の悪口は
私はつまらない人間ですよ
っていう自己紹介とおなじです。
SNSでこんな言葉がシェアされてきました。
確かに悪口って、人のことを言っているようで、自分の品性、物事の捉え方、すべて表れてしまっています。「自己紹介」というのは、うまい言い方です。
後で恥ずかしくなるような内容にならないように、できるだけ人のことを理解し、理解できないことも、下衆な想像でデマを飛ばすことにはしたくない、と思うのです。
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