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2014年04月12日

人の悪口=自己紹介?! 悪口を言うと気分が悪い理由(わけ)?!  ★沈む夕日を「プレゼント」、パレスチナ・ガザ 


枝垂れの桜。

人の悪口は
私はつまらない人間ですよ
っていう自己紹介とおなじです。




人の悪口・陰口、批判、それに止まらず誹謗中傷、デマもいとわないそういう発言が、いろんな口から、また、ネットを通じても発信され、その応酬が限りなく続くというようなことがあります。

最近では、日韓の間での、批判合戦は、まるで相手の国の人たちは、とんでもない非常識で、人間でないかのような言い方をし合っています。

その傾向に関して、昨日もある方が話していましたが、反日派の韓中の人たちの言う様な、南京大虐殺のデマだとか、批判は酷いとは思うが、そういう人ばかりじゃないのを自分は知っている、というのです。
実際に知っている韓国人の中には、とても立派な人も多いし、普通の人間だ、と言っておられました。

一部の人たちが言い合っていることが、まるでそれぞれ国の代表者の言葉のようになって、国民の感情にまで反映しているのはどうかと思います。

韓流ドラマブームによる韓国への好感度は、あまり変わっているようにも見えませんが、それも水に流されてしまいそうな日韓関係の悪さを感じさせられるのは、マスコミの影響でしょうか。あるいは一般の嫌日家、嫌韓家たちがネットを通じて拡散しているからでしょうか。

心痛いことです。

悪口というのは、同じレベル同士の時に言い合うことが多い気がします。
また、悪辣なコメントなどをする人、というのを客観的に見ると、品位の高い人には見えません。自分のことは棚にあげたままで、相手を批判しますが、実際は同じようなものが自分にあるから、こだわって攻撃するのでしょう。

子どもほど、相手のことを理解する包容力がありませんし、自分のことしか考えられない自己本位になりがちです。

一方、不本意な悪口を言われても、できた人は相手にしません。人のことを認め、褒めはしても、あまり批判はしません。

また、何か目的をもって前向きに一生懸命な人は、人の何かを重箱の隅をつつくように批判したり、揚げ足を取ったり、そんな暇がありません。

前向きな人はひたすら前向き、なのではないでしょうか。
そうして、より高みを目指している人は、よいものを求め、下劣なことには、過敏な反応はせずうまく対処するのではないか、と思うのです。

こう書きながら、私も耳が痛い話です。
もちろん、悪意のこもったコメントなどをする性分ではありませんが、自分の子どもたちの前では、つい叱る言葉が出てくると、止まらなくなります。そして、小言を言いながら、なんだかイラついてくるのです。

悪口を言うと、自分の気分も悪くなるのはどうしてでしょうか。

また、人が悪口を言うのを聞いているだけで、なんとも嫌な気分になるのは、どうしてでしょうか。

実は、人間の脳(正確には大脳新皮質以外の脳)というのは、主語を理解しないので、誰かの悪口を言っていても、まるで自分のことを言ったようにとらえ、ダメージを受けるのだそうです。
きっと、悪口を聞く場合もそうなのではないでしょうか。

私たちが日頃何気なく使っている言葉が、脳と体に大きく影響しています。例えば、脳は主語を理解できないという性質を持っています。
主語が理解できないので、自分が発した言葉全てを自分のこととしてとらえてしまいます。


タイガーウッズは、ココ一番の大勝負の瞬間、対戦相手が上手くいきますように!と祈るそうです。

相手という自分に余計な呪いをかけない!だから自分を妨げる思いが少ないのです。その結果あれだけの成果を出せるのです。

凡人とは逆の思考なのです。


そうすると、いつも両親の喧嘩を聞かされている子供は、いつも傷つき、不信感を持ち、自分にも自信がなくなってしまい、イラつきストレスを受けていることになりますね。

夫婦喧嘩は、子どもの前ではしてはいけない、というのは深い意味のあることだなぁと改めて思いました。
母の口うるさい小言を聞かされる場合も、同じでしょうか。


人の悪口が出るときって
話題がないとき
話題がないのは
毎日がつまらないから

毎日がつまらないのは
自分がつまらないから

人の悪口は
私はつまらない人間ですよ
っていう自己紹介とおなじです。


SNSでこんな言葉がシェアされてきました。

確かに悪口って、人のことを言っているようで、自分の品性、物事の捉え方、すべて表れてしまっています。「自己紹介」というのは、うまい言い方です。

後で恥ずかしくなるような内容にならないように、できるだけ人のことを理解し、理解できないことも、下衆な想像でデマを飛ばすことにはしたくない、と思うのです。





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2014年04月10日

桜を見ると、日本好きになる?!  ★日本から贈られた桜、もうすぐ満開 米首都


2014.04.08 和泉川 シダレザクラ 満開



早いもので、私の周囲の桜も、もう散りかけています。
日本列島をさくら前線が北上しながら、すっかり空気の一つまで、春を感じるようになります。

「桜」というのは、春の植物のなかでも、とりわけ「気」が強いのだそうです。
知らず知らずに、桜からパワーを得ようと、多くの人が花見を楽しむのかもしれません。

確かに、桜の花には癒し効果があります。

そして、桜が日本の国花だからなのか、私にとっても、きっと多くの人にとってもそうだと思うのですが、桜というのは「日本」を思わせます。
日本をもっと好きにさせるのが、桜の不思議な魅力だと思います。

桜を見ていると、日本っていいなぁと思いますし、日本人でよかった、と思わせてくれます。

そして、桜のパワーは、乏しい私の表現力を刺激し、インスピレーションを与えてくれます。
このブログでも、桜にまつわる歌などを紹介しましたが、もう一つの創作のブログでも、詩を投稿して、なんだか、桜づいた日々でした。

これから、また北国はいよいよ桜のシーズンを迎えるのでしょう。うらやましいですね。

そうやって、日本中が、桜の花びらで覆われ、桜吹雪のシャワーを浴び、洗礼を受けたように、新年度がスタートしましたね。

また、米国、ワシントンでももうすぐ満開とのこと。

日本の桜は、もともとはヒマラヤから来たものだといいます。それが、日本に伝わり、長い年月を経て、すっかり日本独自のものであるかのように、馴染んでしまっています。
それが、また、台湾や米国ワシントンに伝わっているというのは、とても素晴らしいことだと思います。
よいものだから、伝わってほしい、心からそう思うのです。

きっと、今年も桜の「気」が満ちて、よい年になることでしょう。



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2014年04月08日

49日の過ごし方?! 《霊界ってあるんでしょうか6》  ★シリアを故郷と呼んだオランダ人司祭、ホムスで殺害される

☆この記事より
さらに読みやすく再編集しました!
  こちら をどうぞ☆

2014.04.07 和泉川 春の水溜り


人が亡くなってからよく仏教では49日と呼ばれる期間があります。私の母の実家の方では、35日で法要することも多いのですが、地域などによっても、この期間は少し幅があるようです。
40日前後、ということになりますね。

私も経験して感じるのですが、この40日の期間というのは、とても特別なものです。
まだどこか亡くなった実感がなくて、実家で家族が集まっていると、まだ父がいるような気がしたり、こういう時はこんなことを言うだろうなと、想像してしまうのです。この頃、実際近くにいると感じる人も多いようです。

遺族にとっても40日ないし49日は、送ってあげながら、身辺を整理してあげ、また気持ちも整理していく、大切な期間ですが、亡くなった人にとっても大切な期間のようです。

以前、亡くなってから、三途の川(境界線)を越えて行くというお話をしました。死にかけて蘇ったような人は、そこを渡り切る前、ボーダーを越える前に引き返してきたといいます。
そして、その川を渡り切った向こう岸が、あの世、霊界というわけです。

49日までの期間は、あの世に渡った魂が、あの世の生活をスタートする準備期間です。すでに、2つの質問や走馬灯というフラッシュバックなどを通して試験はほぼ済んでいるのですが、あの世は、その人の魂がふさわしい所に行って初めて本当のスタートとなります。

亡くなったばかりの人は、初めて行くあの世と、自分の状況に戸惑っています。
残された家族や友人などが、その49日の期間、その人との思い出を語り合ったり、心のこもった送り方をしてあげるのが、亡くなった方を慰め励ますことになります。つい、つもり積もった恨み言や、悪口を言ったりするのは、できるだけ控えてあげたいですね。(聞いてますよ。)

供養、供養といいますが、どんなに立派な法要をするかよりも、悲しい気持ちを抑えて、できるだけ明るく話しかけるようにしてあげるのが一番かなぁと思います。

霊界にはその人が生前、あの世での生活のために準備した家があるといいます。そこを探しに行くのです。中には家らしい所がない、監獄よりひどい所に行かなければならない魂もいるようですが…。
魂というと日本語では「ある」というのが正しい言い方かもしれませんが、魂というのは、霊人のことなので、あえて「いる」と表現してみました。

亡くなった人は、(この世では)目には見えない魂の状態、霊人の姿で、自分の家、あの世での自分の安住の地を探し始めます。
というより、磁石で引き寄せられるように、その場所に行かざるを得なくなるといいます。

あの世というのは、実に様々な場所があるのだということです。
霊人たちは最初は皆、明るく光の差す、暖かく、芳しい香りがどこともなく漂う、例えようもなく美しい所にいざなわれると言います。

しかし、そこには誰しも長居できるわけではありません。
そこはあまりに眩しいくらいに明るく、自分の姿が恥ずかしくなる人が大半だということです。
中には自分に染み付いた悪臭に居たたまれなさを感じる人もいると言います。

みんながみんな、霊人たちは自分にふさわしい場所に行くのだそうです。誰が命令したり、示したりしたしたわけではなく、皆、本人自身が決めるのだということです。
当人としては、少しでもいい場所に留まりたいはずですが、なかなかそうもいかないようです。
というのも、あの世は、生きている時は肉眼では見ることのできなかった心が、包み隠さず見えてしまうのだそうです。

この世では、きれいな服を着たり、きれいに化粧をしたり、整形することも可能ですし、上手に演技したり、嘘で言い繕うこともできましたが、あの世では自分を覆ったり隠してくれるものは何もないのだそうです。どのようにしても、本性が丸見え、丸出し状態になってしまうということです。

そして、40日、49日の間に、自分の心根、性根、というものの通りになった霊の体を抱えながら、むき出しになったものを、直すことも隠すこともできずに、ふさわしい霊界の位置、あの世の住処に行くことになる、ということです。

この40日を過ぎると、亡くなった人たちは、ふさわしい場所で、新しい生活をスタートしていきます。これ以後は、中には不自由な環境の霊人も少なくないようですし、いつでもどこでも私たちの所に来てくれるというわけにはいかなくなってしまうようです。
命日とか、お彼岸には帰って来れるといいますね。

どうも、霊人によって、あの世での暮らしはかなり異なるようです。私たちが亡くなった大切な方々を供養するのは、その人を思う愛情ゆえではないでしょうか。よい供養、正しい供養というのは、方法より、いかに愛してあげるか、ということなのです。
そのためには、亡くなった方たちがあの世のどのような場所にどんな状態でいるのか、ということをまず知ることが必要です。

今後、あの世、霊界はどんな所なのか、お話していきます。いわゆる、天国とか極楽というもの、地獄というものについても、お話していきます。




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