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2014年03月31日

霊界で「魂の記録」初上映?! 生涯を振りかえるフラッシュバック、走馬灯 《霊界ってあるんでしょうか5》  ★7空港で「歓喜の歌」同時生演奏、政変犠牲者を追悼 ウクライナ


出発進行!!


まもなく、〇〇さんの「魂の記録」初上映です。
列車に御乗車ください。
こちらの窓から、生涯の景色が見られます。
超高速再生ですのでお見逃しなく。
それでは、発車いたします──



卒業式の答辞の中で「〇〇の場面が走馬灯のように甦ってきます」という、思い出を振り返るシーンがあります。

小学生の時は「走馬灯」ってなんだろうなぁと思ったものです。回すといくつもの絵が移り変わって見える灯篭のようなものなんだとか。樋口一葉の「たけくらべ」で子どもたちがお祭りに幻燈というのをして遊ぶのですが、似た遊びだったのかもしれません。
その当時は映画はなかったでしょうから、ぽおっと何かの場面が見え、また消えていき、次の場面となる、そんな調子だったのでしょう。

また、走馬灯というのは、私たちが亡くなる直前に、自分の人生を超スピードで振り返るフラッシュバックのことを差す場合もあります。


人が亡くなった直後、誰もが同じような状況を辿っていくことが知られていますが、神さまのような眩しい光の存在に、「あなたは死の準備はできていますか」また「生きているときに満足のいくことをしてきましたか」と尋ねられた直後、否応なく、自分の生涯の映画を見ることになるのだそうです。

亡くなる前に自伝を書かれる方もおられるようですが、自分の主役の映画まで作った人はあまりいないでしょう。

しかしそれは、生を受けてから息を引き取るまでの、一瞬も逃さないような、自分の都合のいい部分だけではなく、隠しておきたいことまで、包み隠さず表れてしまうような映画だといいます。
とても鮮明であり、例えば子どもの頃に遊んだおもちゃの色や形、その時の両親の笑顔や会話まで、まるで経験した通りだといいます。

少しも端折られていないのに、それを瞬間にすべて見るのだそうです。
あの世は永遠の世界と言いますが、この世に親しむ私たちとは、時間の感覚が違うのでしょう。

例えば何か事故などに合う瞬間に、実際の時間では一瞬のうちに、いろんなことが一気にビジュアルで思い出されることがあります。それと似通っているかもしれません。それが、映画の予告版のようなものだとしたら、この「フラッシュバック」は本編ということになります。

さて、その映画は、自分が主役の映画でありますが、自分だけでなく、その場にいる人、誰でもが一緒に見ることが出来、隠すことができないようです。

一生の間に、どれだけ恥ずかしいことがあったでしょうか。それを隠しておけないようなのです。

フラッシュバックとは映画を見るという表現がわかりやすいですが、走馬灯に近い感覚もあります。電車に乗っていて、外の景色が移り変わっていくのを見るように、窓から見える自分の生涯を見る、というように捉える人もいるようです。

いろんな懐かしい人も映画には表れてきます。しかしあくまでも、これはその人が主役の物語なのです。
自分が覚えていなかったような幼い日から、懐かしい思い出、消し去りたいシーンもカットはありません。
こうして、流された自分の生涯にふさわしい霊界の場所に、行かざるを得なくなるといいます。

私たちの魂そのものに、人生の記憶がビデオテープよりも性能よく記されているということです。高性能の高画質の映像のように。
それも立体的だともいいます。3D映画以上の迫力があるのでしょう。
まるで、電車から、すぐ外を見るような感覚だといいます。

私の魂に、すべてが刻まれるように残っているなんて…!
どんなに自分の悪事をこの世では隠しおおせた人であっても、これでは万事窮す、となるでしょう。

私も、いつか自分の主演映画を見るのは楽しみな反面、恥ずかしいこと愚かなこと、また罪深いことを重ねてきましたから、きっと裁きの場のようにもならざるを得ないなと、恐れる気持ちもあります。

頑張って生きた、満足だと言える人生でなければなりませんし、ただの自己満足でもいけないということになりますね。

いろんなことがあっても感謝の生活。
そして祈って、神様にバカな過ちも報告して、許して頂きながら、反省して気を取り直して、また一日を笑顔で過ごす。
こういう繰り返しの中でも、魂を少しずつでも輝かせていきたい、と思うのです。


今日もいい一日を

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7空港で「歓喜の歌」同時生演奏、政変犠牲者を追悼 ウクライナ



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2014年03月29日

死んだらどうなるのでしょうか?! 《霊界ってあるんでしょうか4》  ★羽生が史上2人目のシーズン三冠、世界フィギュア


2012.01.26 JAL1841 本州と九州と四国の間


死は生を最後に完成させるもの。

タゴール



多くの人が、死んだ後の世界のことをよく知らず、知ろうともしないのですが、知っておく方が得かもしれないし、少なくとも無駄にはならないでしょう。
前回お話したように、霊界を知ることは、亡くなってからの永遠の霊界での生活の準備であると同時に、人生を幸せに過ごすことにつながるのですから、お得を通り越して、本当は必須科目なのではないかと思います。

それでは、今日の本題です。実際、寿命が終わり、亡くなったとして、私たちはどうなるのでしょう。

この死んだ直後の内容については、臨死体験者たちの話に共通項がありますので、そこからまとめてみましましょう。不思議なことに、洋の東西を問わず、いろんな臨死体験者が同じようなことを経験しています。
先回紹介した米・精神科医レイモンド・A・ムーディ・Jr.の資料を参考にしていきます。

まず、亡くなる本人が病院で医師の死亡宣告を聞きます。「ご臨終です」という言葉です。あるいは、どこかで死を迎えます。
その前から、体はいわゆる霊(幽)体離脱を始めているようです。そして、以下のような状況を順に辿っていきます。

1 トンネル、下水道のようなところをジェットコースターのように勢いよく通り過ぎる

2 不思議な感覚を持つことに気づく
   病院の天井の方で自分の亡くなった(あるいは延命治療中の)
   肉体を見つめる。
   声が人に聞こえず、見えない。
   体がほんの狭い所も通り抜けられる。
   人や物に触れることができない。等々

3 「お迎え」が来る(亡くなった親や友人、先祖、守護霊だった人など)
   死んだことを悟り始める

4 光の存在 二つの質問

5 フラッシュバック(自分の人生の映画上映)

6 ボーダーライン(境界線)まで進む
   柵が延々と続く、大きな川を渡っていく
   懐かしいすでに亡くなった人たちが
   境界線で待っているのが見える


臨死体験者の体験は、ここまでです。
皆、境界線まで行かず、川を渡る舟が途中で引き返したり、元来た道を戻りました。そして、幸いにも息を吹き返し、よみがえってきたのです。ですから、彼らは霊界の入り口を見てきただけということです。

私たちは通常肉体が元気なうちは、霊的な体、自分の魂を感じることができません。
亡くなる時、寝ている体から起き上がるように霊の体が抜け出して霊体離脱を始めてから、今まで肉体を通じて動いていたのとは別の体を感じるようになりますが、それは肉体とは違い、霊的な別の性質のものだというのです。

中にはそういうことが生きているうちできる霊能者や霊的な人たちがいるのですが、もしかしたらそれは特殊な能力でもなんでもないのかもしれません。ただ啓発されていないだけで。
実際、霊体離脱できるから、霊的な能力が高いから、死後の霊界ライフがよりよいものになるかどうかはわかりません。おそらく純粋な人がそういう能力が高いのではないかとも思いますが、そうばかりとは限りませんし…。

境界線を越えたらどうなるのでしょうか?
それは霊界の門をくぐり、入り口に入ることです。

霊界というのは、肉体のように心を隠しておくことができませんから、心が露わにならざるを得ません。
そして、自らにふさわしい霊界の場所に行くのだそうです。
それが40日から49日と言われています。その期間は、亡くなった人たちも家族や大切な人の側で過ごすことが多い、といいます。

次回は今日お話した中で、4と5の内容などについてもう少し詳しくお話します。その後、40日以降の霊界での暮らしについて、お話していきましょう。


今日もいい一日を

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羽生が史上2人目のシーズン三冠、世界フィギュア


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2014年03月28日

「怒り」は無駄に疲れる?! 克服法は、美しい考え! 《デール・カーネギーの言葉》  ★浅田が世界最高得点で女子SP首位、世界フィギュア


ファ〜


憎しみの炎が
自分の体の中へ入ってきたら、
すぐさま消すことだ。

その代わりに美しい考えを入れてやろう。
われわれの精力は、
神から授かった貴重なものだから、
価値のあるものだけに費やさねばならぬ。


デール・カーネギー




恥ずかしながら、私は、温厚に見てくれる方もおられますが、それは超よそゆきの、ネコっ被りの私しか知らない方だけで、結構うるさいし、怒りっぽい、熱いものを持っております。

特に子どもが生まれてからは、我ながら自分の人格を疑うような事態を、何度も(毎日と言っていいほど)体験しまして、ここまで激しやすいか、器が小さいのう、と感じ入っている次第です。

今週の初めに、人生最大くらいの、震撼するような事件がありました。

私は、口げんかに負けたことがないような人間ですが、私より口がうわてというよりは、その相手を思いっ切り怒らせてしまいまして、いいたいことはまだまだあったのですが、ヤバイと思ってやめました。

それほど恐ろしいほど感情的になる相手を目の当たりにして、私はどうしたかといいますと、必死であやまったのです。
謝り続けましたが、許してはくれませんでした。というか、私の声は耳に届いていなかったのかもしれません。(その後、許して頂いていますので、この件は一応、解決済み案件です。御心配なく。)

今回のことで、私も反省しました。
感情的になってはいけないなぁ。怒りは抑えなければ、大きな被害が出るなぁ、ということです。

言ったことに関しては、後悔はしていませんし、途中でやめたので言い足りないくらいですが、やはり、怒り、感情にまかせて言うと、相手にもそうですが、自分自身への痛手が大きいです。
なによりすごく消耗します。疲れます。
建設的、発展的な話にはなりません。

結局、私の思いは伝わりません。正しいことだったとしても、誠意が伝わらないのです。

また、激怒して我を忘れた人を目の当たりにして、どうして、私はあの時、謝ったのだろうか、と客観的に自分を分析しました。とにかくその場を収集したかったのですね。
ああ、人が謝るのは、悪いと思ったからではない、この事態を早く終わらせて、逃げたいからなんだ、という発見がありました(笑)。

話を漏れ聞いた息子に、「お母さんって、よく人を怒らせるよね」と言われてしまいました。

そういえば、先月、受験生の息子のフラストレーションを刺激して、キブツ破損事件を家庭内で発生させたのも、私のしでかしたことでした(汗)。

人は、本当のことを言うと怒る、ということが、これらの事例からも分かります。

言い方の問題だよ、というでしょう。
そうです。
特に喧嘩が乗じてとか、怒りなどの感情をぶつけた場合、大爆発が起こることがあります。火種を持った人に、火を近づけてはいけない、ということですね。

ですから、自分自身の火種も、早いうちになくして、更に怒りに火をつける言葉や態度は、慎まなければならない、とつくづく思っています。

性格というのは癖ですね。怒り癖がついた私ですが、温厚な人になれるように、ちょっと自分自身の中の獣を調教してみたいと考えています。

FB仲間が、よい言葉を紹介していました。

素直にきいて反省しているところです。

ああ、私は、大半は無駄なことが原因で、無駄に疲れていたのだなぁ、ということです。
「怒り」におさらばしないと、更に私は消耗し、またなんだかイラついて人に難癖をつけ、また怒りをかったり雰囲気を悪くして、悪循環に陥りそうです。

正義感も強かったりするのですが、義憤なら止むをえないのでしょうが、正しいのなら、逆に、絶対に怒ったらいかん、ということでしょう。



ご存知だろうか、
1日中礼儀正しく朗かな気持ちで仕事をすれば、
1日中腹を立てて仕事をしたときよりも、
夜寝るときの疲労がずっと少ないということを。

にこにこ朗かにしていれば緊張がほぐれる。

疲れるのは仕事のせいではない。
心の持ちようが悪いのである。
この方法を一度試してみることだ。


憎しみは、
他のどんなものよりもエネルギーを消耗する。
その消耗のひどさは、重労働よりも病気よりも、
ちゃんと理由があって、心配する場合よりも、
はるかに甚だしい。

だから 憎しみの炎が
自分の体の中へ入ってきたら、
すぐさま消すことだ。

その代わりに美しい考えを入れてやろう。
われわれの精力は、
神から授かった貴重なものだから、
価値のあるものだけに費やさねばならぬ。


☆デール・カーネギー☆




今日もいい一日を

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デール・カーネギー(1888年11月24日〜1955年11月1日)
デール・ブレッケンリッジ・カーネギーは、アメリカの作家で教師にして、自己開発、セールス、企業トレーニング、スピーチおよび対人スキルに関する各種コースの開発者。ミズーリ州の貧しい農家に生まれ、今日でも支持の高いベストセラー『人を動かす』の著者として有名である。また、『道は開ける』、なども著している。


「怒り」についてのkuri-maの参考記事
 イラッとした時の3つの対処法とは?! 枡野 俊明「怒らない 禅の作法」より
 ささいなことで怒らない私に生まれ変われる?! 枡野 俊明「怒らない 禅の作法」より2
 憤る貴公はそんなに偉いのか?! どっちもどっち、怒るでない! 聖徳太子の十七条の憲法(10)



浅田が世界最高得点で女子SP首位、世界フィギュア



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