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2014年02月17日

イメトレの先駆け?! 《感動エピ》フランス兵たちが守った「幻の少女」!  ★科学と宗教、協調への道 米調査


2014.02.16 追分市民の森 梅の木の下で


オリンピックの様子を見るにつけ、メダルという高みを目指して、どれだけの努力が注がれたのか、頂点をつかむ人はもちろん素晴らしいけれど、その舞台を作っているのはメダリストだけではない、と思わされます。

どうなることか、と思ったソチ五輪ですが、大会自体は滞りなく成されています。
その五輪を作る、空気というものは、テレビの中継を通じて応援している全世界の人々の思いと関心、祈りも合わせて作られているものだ、と感じます。

オリンピックの頂点という熾烈な場所で、多くの感動が生まれています。
何かを目指すということ、あきらめずにやり続けること、そのためには、心に何かが注入されなければなりません。目に見えない、何かが私たちの精神を強くして、歓び、パワーが与えてられるようです。

イメージ・トレーニングというものが、スポーツ界においても、一般社会においても、取り入れられています。そのさきがけといえるようなエピソードがあります。

やる気のなくなるような、自尊心がボロボロになるような、最低の環境で、男たちを変えたものとは。



「ウソをつく力」

これは、第二次世界大戦中のドイツの捕虜収容所での、
フランス兵捕虜たちのエピソードである。

フランス兵たちは、ドイツ軍にとらえられ、
いつ故郷にかえれるのかもわからない重苦しい状態の中で
苦しんでいた。

彼らは、絶望し、
すこし頭がおかしくなったり、
いらいらしてケンカをしはじめたりし、
退廃の度をふかめていく。

兵士のなかにロベールという若い将校がいて、
なんとかしてみなを元気づけたいと思う。

それに、いかにしてとらわれの身とはいっても、
フランス軍兵士らしい節度、規律、
礼儀正しさをしっかり再建しなければならない。

ロベールは、みなに、こう提案する。

「諸君、わたしの話を聞いて協力してくれないか。
われわれは、男ばかりで、いつ解放されるかわからない、
はなはだ心ぼそい状況におかれている。
故郷に恋人や妻をのこしてきて、さみしい思いもしている。
ここには、女性は一人もいない。

けれども、もしも、
ここにわたしたちの祖国の美しい女性がいたとしたらどうか。
目にはみえないが、
ここにフランスの少女が一人いると想像しよう。

わたしたちが大声でどなりあったり、放屁をしたりしたとき、
彼女にあやまってみることにしたらどうか。
裸になるようなときは、毛布をつるしてみえないようにする。

どうだ、諸君。
そういうウソ遊びをやってみようではないか。

ここにフランスの美しい少女がいると思って、
おたがいに、彼女に気に入られるように
紳士的にふるまってみないか?!

わたしたちの祖国、フランスは、やがては勝つ。
それまで、誇りたかく
おたがいにたえぬく根性をやしなうためにも、
そういう遊戯をやってみよう。」

奇妙なことに、
この一見、無意味にみえる遊戯は、
見事に成功する。

兵士たちの間に規律がもどってくる。
道徳感がとつぜんめばえる。

ドイツの監視兵たちは、立ち聞きをして、
「おや、女をかくしている!」
と、思う。

収容所の所長がやってくる。

「ここに女の子がいることはわかっている。
それは禁じられている。
明日、わたしは、もう一度ここにくる。
その時までに、彼女をこちらにひきわたすことを命ずる。
その女は、ドイツ軍将校の給仕にする。」

所長が、そう言って去ると、
フランス兵たちは狼狽する。

ロベールは、くちびるをかんで考える。
――もしも、
「じつは、ウソなのです。
作り話でやっていただけなのです。」
と言ったなら、
兵士たちは意気消沈し、
二度と彼女をつくりだすことはできないだろう。

よし、彼女に、ぼくは命を賭けよう……。

翌日、収容所の所長が屈強の部下たちをつれてあらわれたとき、
ロベールは全員を代表して言う。

「わたしたちは、わが祖国フランスの女性をまもります。
ひきわたすことはできません。」

所長は、一本とられたと思う。
こうなると、どんな手をつかっても、
女をみつけてひきたてていかねばならない。

所長は、まず、ロベールを逮捕し、
独房にぶちこむという。

「結構です。独房につれていってください。」

兵士たちは息をのむ。
独房にいれられるということは、死を意味する。

毅然としてひきたてられていくロベールのうしろ姿をみて、
兵士たちは感動する。

少女が、ほんとうに、生きてここにいるかのように、
だれもがあらためて実感する。
ロベールは命をかけて、われわれのために、
少女をまもってくれているのだと思う。

身うごきできない、レンガづくりの
せまくて暗いあな倉のなかで、
鎖につながれているのは、とてもつらいことだ。
ムカデがいたりする。
足もとはみえない。

一日だって、そんなところにいられたものではない。
たいていは、おかしくなって、
「助けてくれ!」と絶叫しながら
水ものめなくなって死んでしまう。

ところが、どうだろう。
数週間たえぬいて、
ひどくやせてしまったけれど、
ロベールはもどってきた。

兵士たちは大喜びである。

「よくごぶじでした。うれしいです。
よかった、よかった。」

だれもが、ロベールの手をにぎる。

「それにしても、よく幽閉にたえぬけましたね。
どうしていたのですか?」

「じつは、ぼくは、
目にみえないフランス少女をまもるという、
われわれの遊戯でわかったのだ。

想像力というものが、べつの世界、
物理的な現在とはことなった、
もうひとつの現実をつくる力なんだとね。

だから、ぼくはへこたれなかったんだ。」

ロベールは、
足音をならしてすすむゾウの大群をイメージしていた。

自分は、今、その先頭のゾウにのってすすんでいく。

祖国はとおい。
しかし、一歩一歩ちかづいてくる……

そのように想像することで、
神経衰弱になるのをまぬがれたのであった。

夏休みがちかづくと、なんとなく楽しい気分になってくる。
クリスマスがちかづいてくるときもそうだ。

なぜだろう。
それは、「意味」がみえてくるからだ。

夏休みになったらプールで泳ごう、
つりにいこう……そういう意味がみえてくる。

クリスマス・イブもおなじで、
あの人に贈り物をしよう、
あの人は、どんなプレゼントをくれるかしら、
そういうことを考えるだけでも楽しい。

わたしたちは、毎日、おなじような生活をしている。
だから日常が退廃して、
「意味」をうしなってしまう。

わたしたちは、ときどき、
「意味」をひろくかいまみることがたいせつで、
「意味」が、わたしたちの生きようとする「意志」を刺激する。

「意味」をみつけると、
わたしたちの生きようとする「意志」が、
ふたたび生気あふれるものになる。

赤塚行雄著   ポプラ新書

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http://tsuitel.in/archives/1401
早川勝メールmagazine【694号】より抜粋
2014-2-16  「ウソをつく力」


私の目の前には、雑然とした部屋があり、やり残した家事があり、子ども達が騒いでいて、もちろん幸せではあるけれど、時々、いえ、しょっちゅう気持ちが揺らいでしまいます。

これから、想像力を呼び集めて、食事の支度をし、また、このブログを通じてよいものを発信して、インスピレーションを具体化する創作の作業を継続していくつもりです。
とても、力の出るエピソードでした。


今日もいい一日を

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写真は:梅の木の下で
by (C)ひでわくさん
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