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2014年02月25日

♪あと何度「卒業」すれば、本当の自分に辿り着けるだろう?! 《尾崎豊の求めていたもの》  ★豪華すぎるヤヌコビッチ前大統領の私邸に見学者殺到!


雨上がりの空.jpg


あと何度自分自身 卒業すれば
本当の自分に たどりつけるだろう




尾崎豊の「卒業」といえば、大ヒットした後、卒業式でも歌われて、大人への反抗のシンボルのようにされ、社会現象にまでなりました。

当時、卒業式で歌う、と聞いて、嘘だろと思いました。

あまりに卒業式にはそぐわない曲だと思っていたからです。
「卒業」というタイトルはついていますが、これは、いわゆる「卒業式」の歌ではないですから。

「夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」と、晴れの場で歌われた日には、先生たちはさぞ複雑な心境だったでしょう。
いくら子どもたちを自由にさせるといっても、これではただの放縦で、好き勝手にさせるにもほどがある、と当時しっかりOGだった私は、苦々しく感じたものです。

やはり、卒業式のスタンダード「仰げば尊し」あるいは、現代であればニュースタンダード「旅立ちの日に」がふさわしいでしょう。

この歌は、尾崎の心のあがきのような曲であり、突き破りたいのにできない葛藤を描いた、内的世界の卒業を願う歌なのです。
尾崎豊以外の人がなかなか歌えるものではありません。

いずれにしても、中高生が、大合唱する歌ではない、と私は今でもそう思っています。尾崎自身も困惑していたに違いありません。

…何に従い 従うべきか考えていた
ざわめく心 今 俺にあるものは
意味なく思えて とまどっていた…

退屈な心 刺激さえあれば
何でも大げさにしゃべり続けた

自分がどれだけ強いか 知りたかった
力だけが必要だと 頑なに信じて
従うとは負けることと言いきかした
友達にさえ 強がって見せた
時には誰かを傷つけても


こんな、若者がぶつかる葛藤を露骨なくらい素直に描いています。

思うのですが、「夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」の部分をなぜリフレインにしたんでしょうか。
一番インパクトが強いからそうなったのでしょうが、これでまるで、校内暴力の歌みたいなイメージがつくことになったのかと思います。

「あと何度自分自身 卒業すれば 本当の自分に たどりつけるだろう」
この世界が強調されれば、そして、卒業式で歌うなどという現象がなければ、尾崎豊のイメージもまったく変わっていたことでしょう。

永遠の未成年というのは、存在しません。

彼は、(霊界に在っても、)彼自身の本当に求めるものを、今もきっと求め続けているに違いありません。
そして、今の若い人たちに、生きている人たちの中に、彼の意思を受け継いで、自分を実現する姿を見たいに違いありません。

いま、この時勢で、ふさわしい曲かどうかわかりませんが、
ご紹介させて頂きます。






「 卒 業 」


校舎の影 芝生の上 すいこまれる空
幻とリアルな気持 感じていた
チャイムが鳴り 教室のいつもの席に座り
何に従い 従うべきか考えていた
ざわめく心 今 俺にあるものは
意味なく思えて とまどっていた

放課後 街ふらつき 俺達は風の中
孤独 瞳にうかべ 寂しく歩いた
笑い声とため息の飽和した店で
ピンボールのハイスコアー 競いあった
退屈な心 刺激さえあれば
何でも大げさにしゃべり続けた

行儀よくまじめなんて 出来やしなかった
夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
逆らい続け あがき続けた
早く自由になりたかった

信じられぬ大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした
ひとつだけ 解ってたこと
この支配からの 卒業


誰かの喧嘩の話に みんな熱くなり
自分がどれだけ強いか 知りたかった
力だけが必要だと 頑なに信じて
従うとは負けることと言いきかした
友達にさえ 強がって見せた
時には誰かを傷つけても

やがて誰も恋に落ちて 愛の言葉と
理想の愛 それだけに心奪われた
生きる為に 計算高くなれと言うが
人を愛すまっすぐさを強く信じた
大切なのは何 愛することと
生きる為にすることの区別迷った

行儀よくまじめなんて クソくらえと思った
夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
逆らい続け あがき続けた
早く自由になりたかった

信じられぬ大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過した
ひとつだけ 解ってたこと
この支配からの 卒業


卒業して いったい何解ると言うのか
想い出のほかに 何が残るというのか
人は誰も縛られた かよわき小羊ならば
先生あなたは かよわき大人の代弁者なのか
俺達の怒り どこへ向かうべきなのか
これからは 何が俺を縛りつけるだろう
あと何度自分自身 卒業すれば
本当の自分に たどりつけるだろう

仕組まれた自由に 誰も気づかずに
あがいた日々も 終る
この支配からの 卒業
闘いからの 卒業


尾崎豊



「あと何度自分自身 卒業すれば
本当の自分に たどりつけるだろう」
これは、私たち一人一人が、問い掛けてみるべきことではないでしょうか。


今日もいい一日を

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ヤヌコビッチ大統領の私邸公開、豪華な暮らしぶりが明らかに

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posted by kuri-ma at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 尾崎豊の求めていたもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月24日

Facebookの感動話には要注意?! 《感動》「一沈一珠」、海女の心意気から生まれた言葉!  ★閉会式に参加した日本選手団、ソチ五輪


2014.02.24 大池公園 ウメ


「一沈一珠」

海女がいったん海に潜ったら、
どんなに息が苦しくなっても、
一個の真珠を見つけ出すまでは、
決して浮上しない




ソチ五輪が幕を閉じました。
2週間の間、様々な感動を分けていただきました。

オリンピックは、参加することも意義のあることですが、その中で頂点を極めるということは、本当にスペシャリストの中のスペシャリスト、しのぎを削るものがあります。

誰もが一生懸命がんばっていて、多くの人の力が合わさって、その時の運のようなものも絡んで、差がほとんどないところで、結果が出てきます。
トップになった人にもドラマがあり、惜しくもメダルを逃した人にも、感動の物語があります。

「感動というのは、感じて動くと書くんだなぁ」という相田みつをさんの言葉がありますが、五輪というのは、心をわしづかみにされることが連続で起こります。

本物に触れられるから、すべての選手が体当たりで一生懸命にやっているから、いいんでしょうね。
嘘とか演技とか、繕いとか、たとえあったとしても、それだと結果が出ないことでしょう。

スペシャリストたちにとっては、一定の水準までできることは、当たり前のこと。
その一つの基準を超えた人たちの、必ず出してくる結果があります。

それを海女にまつわる言葉で、「一沈一珠」というのだそうです。
素晴らしい言葉ですね。


一沈一珠(いっちんいっしゅ)という言葉があります。青森在住の木村将人さんから教わりました。

木村さんは大学生の頃、二人一組でやる、肉体的に非常にきついアルバイトをしたことがあったそうです。ある夜、寝起きを共にした大学浪人中の相棒がいいました。

「自分は母一人子一人の身なのだが、きっと大学に入って母を安心させてやりたい。卒業して仕事に就き、母を楽にさせてやりたい。

自分は小さい頃から、一沈一珠という言葉をかみしめながら頑張ってきた。海女がいったん海に潜ったら、どんなに息が苦しくなっても、一個の真珠を見つけ出すまでは、決して浮上しない。というところからこの言葉はできたらしい。

自分はいままで何度もつらい思いをしてきたけれど、その都度、この言葉を思い出して生きてきたんだよ」

一夜、一緒にアルバイトをした相棒が漏らしたこの言葉を、木村さんはいまも忘れないといいます。

一沈一珠──すばらしい言葉です。本書に収録された5つの物語に登場される人たちに思いをはせる時、そこに共通しているのは、この「一沈一珠」の生き方ではないだろうかと思います。

 藤尾英昭=文
「心に響く小さな5つの物語U」 あとがきより
(抜粋編集しています)



フェイスブック(FB)などで出回っている感動話の中に、捏造があったり、それどころかそれを利用した悪質なものまであるようです。

私も、FBで回ってきた感動話に涙して、すぐに「いいね!」をして、時にはシェアまでしています。このブログにもいくつも紹介してきました。
出典がはっきりしているものもありますが、実はよくわからないものもありますね。

ただ、私に回ってくるまでに、多くの人が感動したから、私にまでつながってきたわけです。それくらい感動話には力があるということでしょう。
誰かが書き加えたりすることはできるのですが、大体は、コピペでそのごとく伝えることが多くなった現代、伝言ゲームのようにとんでもないことには、あまりならないように思います。

とはいえ、こうやってSNSが広がる前、チェーンメールで広がった「100人の村」というメッセージがありましたが、これには同性愛賛美の一文が加えられ、広く伝わってしまっています。
悪意や何らかの意図があれば、変わる余地はいくらでもあるということなのですが…。

ちなみに、今日紹介している「心に響く小さな5つの物語U」については、1話以外は、ネット検索しても、出てこないということは、誰も紹介していないのでしょう。
ですから、全部、私がタイピングしました。それなりに労力を使っています(笑)。

感動話というのは、実話というのが前提ではありますが、多くの人が心を動かされたということなのですから、それだけですごい、とも思います。

私は創作もする人なのですが、人が感動する話を、作り上げるということは、それが全くのフィクションであればあるほど、難しいことではないでしょうか。
事実は小説より奇なりというように、すごいことは私たちの身近にも起きていると思うのです。

特に子どもが小さいころは、ささやかなことですが、感激や感動、笑いの連続だったような気がします。今でもそうですが。

悪意のある捏造やデマは許せませんが、美談がたとえフィクションでも、私はその美談には罪がないと思うのです。
多くの人を感動させたこと、その一人ひとりとの出会い、その人が感動した心というのは、嘘はなかったと思うので。
感動は人の心を洗い、時にはその人の人生を変えるほどの大きなパワーを与えます。

事実がどうか、よりも人はデマを信じることもあります。
デマや噂話ほど、まことしやかに伝わることもあります。しかし、できるなら、そういう話はほっておいて、いい話こそを、伝えていきたいものです。

たとえ、ほら話であったり、誇張が混じっていたとしても、いい話であるなら、嘘から出たまこと、ということもありえます。
いいことであるなら、悪い結果はでないのです。

もちろん、故意に捏造したり、悪意や利己的な金儲けのためにすることはよくありません。

そういうものは、胡散臭い雰囲気が漂います。
また、もしも感動話を利用して、騙して何かしようとするとしたら、感動話から逆襲に遭うことでしょう。
罪のないほら話は、人を愉快にさせたりもしますが、悪意のある場合は、その分だけ自分の首を絞めることになるのではないか、とこう思います。

以前紹介した椋鳩十さんのお話では、『ジャン・クリストフ』に感動して人生を変えた人が出てきます。
『ジャン・クリストフ』というのはベートーベンをモデルにしていますが、フィクション小説です。作者のロマン・ローランはベートーベンに思い入れがあったようで、彼に関する本も書いていますが、それも必ずしも事実ではない部分があると判明しています。

作り話に感動して、人生を変える、そういうこともアリなのですから、感動話について、これ実話じゃないんじゃないかと勘ぐったりする必要はないのではないかと思うのです。

たとえ、作り話に感動してしまったのだとしても、それで泣いた人の心は、その涙で洗い流されてきれいになり、感動に膨らんだ心は、パワーが満ちているのです。何も損はないのではないでしょうか。

ということで、感動エピソードはこれからも発信していきたいと思うのです。
一沈一珠、一度始めたからには、よいもの、キラッと光る珠玉を見つけて発信し続けます。


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閉会式に参加した日本選手団、ソチ五輪


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2014年02月23日

五輪マークの意味は?! もともとは休戦協定のしるし・・・?  ★今もなお輝くベテラン選手たち、ソチ五輪(葛西選手など)


綿帽子。


自己を知る、自己を律する、
自己に打ち克つ、これこそが
アスリートの義務であり、最も大切なことである


ピエール・ド・クーベルタン
(近代オリンピックの父)



オリンピックマーク、いわゆる五輪マークは、五色(左から青・黄・黒・緑・赤)あるいは単色の5つの輪を重ねて連結した形をしています。
その5つの輪は、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニアの五大陸を表わすのだそうです。
(どの色がどの大陸というわけではないとのこと。)

そして、その5つの輪がそれぞれ鎖のように繋がっています。それは、その大陸の相互の結びつき、連帯を意味しているのだそうです。
つまり、世界を表わすシンボルマークといえるでしょうか。世界の国々の絆、結びつきが、合わさって一つの世界を作っているのだ、という素晴らしいイメージですね。


この五輪のマークを考えた人は、近代オリンピックの父といわれるフランスのピエール・ド・クーベルタンという人です。

「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」という有名言葉を言った人とも言われていますが、これは、エセルバート・タルボット(ペンシルベニア大主教)の言葉を引用したところ、間違って伝わってしまったようです。


「五輪」といえば、もともと仏教の教えなどにあるものです。
その意味を調べてみますと、

1仏教で万物を構成する5つの要素のことで、
「地・水・火・風・空」(五大)を表わすのだそうです。

2人間の体の5つの部分(五体)のことでこのように意味するそうです。
・仏教においては、頭・両手・両足。
・漢方においては、筋・脈・肉・骨・毛皮。( あるいは、頭・頸(くび)・胸・手・足 )。


アジアを中心として、意味あるものとして伝わった「五輪」。
それがなぜかヨーロッパ発祥のオリンピックのシンボルマークになるというのも、なんだか不思議な気がします。

また、もともとは、古代ギリシャの都市の祭壇にあった、休戦協定を刻んだ五輪の紋章をもとに考案したものだと言われています。

一時的には、冷戦により五輪も全世界くまなくできなかったこともありましたが、本来はスポーツにより、争っている国と国が、休戦協定を結ぶ場であるともいえるかもしれませんから、本当にふさわしいデザインなんだと、なんだか今更ながらに気に入ってしまいました。


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今もなお輝くベテラン選手たち、ソチ五輪

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