わたしは無駄にこの世に生れてきたのではない。
相田みつを
◇
本当の人間になるためには、
第二の誕生をしなければならない。
安岡正篤(まさひろ)
◇
相田みつを
◇
本当の人間になるためには、
第二の誕生をしなければならない。
安岡正篤(まさひろ)
◇
年頭になると、また気を引き締めて、自らの天命とは何か、使命とは何かと考え、私がこの世にある価値のある生き方をしたい、と決意を新たにします。
若い頃は、なぜか分からずに心が「書きたい」という欲求に従って書いていたのですが、ある時、自分の中身がないと、よいものが書けない、と痛感するようになり、作家になりたいという自分の夢はいったん置いて、自分磨きの旅に出発しました。
素晴らしい人々に出会い、またボランティアや様々な体験を経て、また個人的には私の心の拠り所になる家庭を持つことができ、今の私に至りました。
現在ブログを始めて3月で4年となりますが、書くことを通して、人を幸せにしたい、そう考え続けています。
作家の神渡(かみわたり)良平先生は、病気を克服し、その時に、先人の素晴らしい生き方を知らせていくのが自分の使命だと悟り、今に至るまで、安岡正篤氏を始め、多くの人たちの生き様、そして言葉を紹介してこられました。
特に安岡正篤先生は高徳な人ですが、その言葉は少々難しいので、神渡先生の解説があるととても分かりやすいのです。
◇
「私でなければできない仕事」
わたしは無駄にこの世に生れてきたのではない。
また人間として生れてきたからには無駄に
この世を過ごしたくはない。
私がこの世に生れてきたのは、
私でなければできない仕事が何か一つ
この世にあるからなのだ。
それが社会的に高いか低いか、
そんなことは問題ではない。
その仕事が何であるかを見つけ、
そのために精一杯の魂を
打ち込んでゆくところに、
人間として生れてきた意義と生きてゆく
よろこびがあるのだ。
(相田みつを)
◇
「天命に目覚めること」
本当の人間になるためには、
第二の誕生をしなければならない。
宇宙の本体は絶えざる創造変化活動であり、
進行である。
その宇宙生命より人間が得たる物を徳という。
この徳の発生する本源が道である。
道が人間に発して徳となる。
その本質は常に自己を新しくすることである。
(「安岡正篤 人間学」神渡良平著より)
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「私でなければできない仕事」
わたしは無駄にこの世に生れてきたのではない。
また人間として生れてきたからには無駄に
この世を過ごしたくはない。
私がこの世に生れてきたのは、
私でなければできない仕事が何か一つ
この世にあるからなのだ。
それが社会的に高いか低いか、
そんなことは問題ではない。
その仕事が何であるかを見つけ、
そのために精一杯の魂を
打ち込んでゆくところに、
人間として生れてきた意義と生きてゆく
よろこびがあるのだ。
(相田みつを)
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「天命に目覚めること」
本当の人間になるためには、
第二の誕生をしなければならない。
宇宙の本体は絶えざる創造変化活動であり、
進行である。
その宇宙生命より人間が得たる物を徳という。
この徳の発生する本源が道である。
道が人間に発して徳となる。
その本質は常に自己を新しくすることである。
(「安岡正篤 人間学」神渡良平著より)
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やはり、安岡先生の言葉はちょっと高尚で難しいでしょうか。
天命に目覚めるということは、ただ単に自分の才能や適性を知る、ということではなく、宇宙の法則(道)を知り、つまり天(神様)の願いを知って生まれ変わることだといいます。
そういう天命を知った人というのは、道に沿い、徳のある生き方をしていくのです。
ですから、道に沿わない願いは天命とはならず、そういう人の生き方は、徳のある生き方とはならないということでしょうか。
才能・能力のあるなし、成功したとかしないとかは、素晴らしい生き方とは比例しないのですね。
◇
書くことをしていると、インスピレーションが沸くという経験をよくします。
自分ではない何か目に見えない存在からの、霊的な何かがやってくるのです。
霊的な存在というのは神様だけではありませんから、よいインスピレーションを得るためには、天命を悟り、神様の願うものを、良いものを書きたいというその心の姿勢が必要なのかなと思います。
自分の小さな志のことを「天命」というとおこがましいですが、それが一つに重なることができるように、いつも霊的なアンテナを磨き、よい心持ちで過ごしたいと思うのです。
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