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2013年02月19日

賄賂が当たり前だった時代に、公明正大を説く?! 〜聖徳太子・十七条の憲法(5)


2013.01.23 和泉川 ミツマタとヘクソカズラ


財力ある者の訴えは
石を水中になげこむよう
貧しい者の訴えは
水を石に投げ込むようなもの


聖徳太子





(第五条)


役人は饗応(きょうおう)や財物への欲を捨て、
訴訟を厳正に審査しなさい。
庶民の訴えは1日に千件もある。
1日でもそうなら、
年月を重ねたらどうなるであろうか。
だが、現状は訴訟にたずさわる者は、
賄賂(わいろ)が当たり前となり、
賄賂を受けてから申し立てを聴くありさまだ。
財力ある者の訴えは
石を水中になげこむように
簡単に受け入れられるが、
貧しい者の訴えは
水を石に投げ込むようなもので
聞きいれてもらえない。
このため貧しい者たちは
どうしていいか分からない。
このようなことは役人の道にそむくことだ。


 五に曰く、餮(むさぼり)を絶ち、欲を棄(す)てて、明らかに訴訟(うったえ)を弁(さだ)めよ。それ百姓(ひゃくせい)の訟(うったえ)、一日に千事(せんじ)あり。一日すら尚爾(なおしか)り、況(いわ)んや歳(とし)を累(かさ)ぬるをや。頃(このごろ)、訟を治(おさ)むる者、利を得(う)るを常となし、賄(まかない)を見てことわりを聴く。便(すなわ)ち財あるものの訟は、石を水に投ぐるが如(ごと)く、乏しき者の訴(うったえ)は、水を石に投ぐるに似たり。ここを以(もっ)て、貧しき民(たみ)は則ち由(よ)る所を知らず。臣(しん)の道またここに闕(か)く。

第五条は政治と裁判は公明正大であるべきだと定めている。


現代でも、大小の収賄問題で溢れていますが、すべてが、賄賂で決まるとしたら、やりきれません。
聖徳太子の時代は、一日に千件もある庶民からの訴えのうち、賄賂をもらってからしか訴訟内容を聞かないくらい、ひどい状態だったようです。
法が整わない時代なら、さもありなんという感じです。
人々の道徳もまだ教育されていなかった、未開発な感じを受けます。

現代でもお金の力で何でも解決している人も中にはいることでしょう。しかし、そういう人はかわいそうですね。
本当の人間の価値は、もちろん財力で決まるわけではありません。
人も本当に話を聞いてくれ、分かってくれる人の元に行きたいはずです。
長い物には巻かれろ、お金がものをいう、というのはその通りの部分もあるのかもしれませんが、お金で言うことを聞いたときには、心はそっぽを向いています。
言いなりになったのは、お金にであって、その人にではありません。

私が東欧にいた頃、何かにつけて、人が役得を得ようとするのが目に付きました。そういう雰囲気に満ちているというのでしょうか。
私はそういう現場を目撃こそしませんでしたが、例えば郵便局に日本からの小包を取りに行くと、中身を確認され、日本のきれいなパッケージのお菓子をかすめ取られたりしたこともありますし、地方にいた時、居留期限の延長の申請に行くと、その日の担当者で対応が違ったりしました。
おそらく、賄賂など当たり前なんでしょう。そういう雰囲気がムンムンなのです。

今でも、中国やロシアでは賄賂は当たり前なのではないでしょうか。
共産圏だけでなく、中東やインドなど、整わない国でも、暴力あるいはお金がものを言うという状況が多いのではないか、と思われます。

下に掲載したニュースでは、中国の「贈賄告白サイト」に投稿された内容の一部が掲載されていました。
裁判で有利な判決を得るために判事に商品券を贈ったり、車の積載量オーバーの罰金を軽減してもらうために、交通警察官にタバコを1カートンあげたり…。

人間、慣れというのは恐ろしいものですから、正しものではなく、お金についていく生活をしていると、逆に金運を下げ、お金に追われるような生活にまで落ちるかもしれません。

また、収賄が横行すれば社会が乱れていきます。
自分だけならおいしい思いを、という悪い手癖が、悪い雰囲気を充満させていきます。空気の中に、確実に収賄臭のようなものが出てくるのです。

誰もわからないと思うかもしれませんが、そういうことをしている人の顔にも、なんともいえない相が出るようになっているのです。(もらう人にも、あげる人にも。)

お金やものの使い方には注意して、立場のある人はそれを利用することは避けて、公明正大になりましょう。
例えば、収賄で得たもので、家を立て、子どもを裏口入学させたとしましょう。
その家の中には、やがて問題が起きます。裏口入学の子どもは、たとえ偉くなったとしても、見えないレッテルがお札のように貼られていますから、しっかりしないし、品性がなくなります。

お金の使い方、これは私たちの、あの世での生活を決めるものであり、この世では、子どもや孫の豊かさを決めるものになるのです。

つまり、賄賂など、意地汚い使い方をした人は、あの世では財産をもっていけませんから、その貧しい品性で生活することとなり、とても不自由になりますし、子孫はといえば、そんな私たち(先祖)のしたことの見返りを受けたり、ツケを払わされることとなり、生前いくら裕福でたくさんお金を残したとしても、子孫はすぐにその財を何らかの形でなくすことになるでしょう。
財は残さずとも徳を遺せ、というのはそういう意味です。

お金はなかったとしても、豊かな心で過ごしたいですね。(やせ我慢ではなくて。)


今日もいい一日を

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posted by kuri-ma at 10:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 聖徳太子 十七条の憲法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする