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2012年12月25日

♪ 今日の僕は運がいい?! 「街角の風の中」 ♪尾崎豊の求めていたもの22


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どこかに向け 枯れそうな夢
「僕はここだよ」と叫ぶ
だけど見えない涙は
こぼれる場所を捜し出せない




今日は、12月25日、クリスマスではありますが、尾崎豊さんの月命日ということで、1曲紹介したいと思います。

それほど知られている曲ではないのですが、それもそのはず、この曲は、当初アルバムの中にも入らなかったものです。
彼の死後、『街路樹+2』(2007年盤)に、「太陽の破片」と共に初めて組み込まれました。
最初に紹介されたのは、「核(CORE)」のカップリング曲(レコード時代ならB面に当たる曲)としてです。それなのに、なぜにアルバムに入らなかったのか疑問ですね。

「街路樹」は、尾崎自身もレコード会社を変わったところのアルバムで、「失敗作」と言っていたとも聞きますから、思うように作れなかったのかもしれません。
「作りたくないアルバムを作らされた」とも言っているということです。
私から見れば、というよりは、覚せい剤で捕まったりした時期でもあったので、彼自身が葛藤していたのが一番の問題だったのではないかと思います。
「作らされた」などという、こういう責任転嫁の言葉は、聞き苦しいですね。レコード会社の問題はもちろんあったとはいえです。
アーティストのこだわりというのもあるでしょうが。。。

この曲は、別れの曲であり、「孤独」を感じる曲ではありますが、あまり重くなくて、ぱっと聞いたときには、爽やかな曲だと感じるはずです。

「風に吹かれているよ」は「風に吹かれて」を連想しますね。彼の理想的な姿勢なのかもしれません。
やはり、サビの部分で「風に吹かれて」と歌う「遠い空」という曲もあります。→ 風に吹かれて 信じて見つめた「遠い空」?! ♪尾崎豊の求めていたもの16

また、これは、私がたまたま思い出しただけなのですが、「よりそい歩く恋人達」の部分は、浜田省吾さんの「片想い」のフレーズと同じです。
彼にとっても、尊敬するアーティストでしたし、以前のレコード会社CBSソニーの須藤晃さんが同時期に担当していたという関係でもありました。

どこかに向け 枯れそうな夢
「僕はここだよ」と叫ぶ
だけど見えない涙は
こぼれる場所を捜し出せない

彼はいまだに風に吹かれているのでしょうか。暗い中を彷徨っていなければいいのですが。

雨の中のライブの動画が見つかりましたので、添付します。





「 街角の風の中 」


街角には 人影もなく 失くした勇気捜して
優しさ無くす僕には ポケットの中に温もりもない
使い古された言葉でも
ちょっと気を利かせてみると
口ごもるよりはましな 歌も探し出せるさ

風に吹かれているよ 他には何もなくて
君が心閉ざした 街並に包まれたまま

ねぇ 今日の僕は運がいい
それぞれにあるわけの中
たった一言でも君に 傷つかずにいるなんて

どこかに向け 枯れそうな夢「僕はここだよ」と叫ぶ
だけど見えない涙は こぼれる場所を捜し出せない
よりそい歩く恋人達 人混みや影にのまれて
二人の道の終りが 僕には見えぬふりしよう

風が色を付けてく 恋を言葉に変えて
愛を守るというの 約束を自由に抱いて

(ねぇ 今日の僕は運がいい
それぞれにあるわけの中
たった一言でも君に 傷つかずにいるなんて)

ねぇ あれからどうしているの きっと君は生活に
奪われてゆく愛より 幸せになっただろう


(♪口笛)

(Woo)

尾崎 豊
()内は上の動画のライブでの演奏


冬空


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posted by kuri-ma at 08:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 尾崎豊の求めていたもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月24日

幸せになるためには、セックスレスから脱却しよう?! (セックスレス夫婦40%超、草食系男子も増加)


2012.12.09 みなとみらい クリスマスマーケット in 横浜赤レンガ倉庫 輝き






以前からもセックスレスの話題は取り上げてきました。このたびの発表で、最新のデータでも、2年前に比較して0.5%UPの41.3%となったとのこと。(産経と朝日のニュースを添付)

 調査は2年おきに実施。今年は9月、16〜49歳の男女3千人を対象に実施し、1306人が答えた。セックスレス夫婦の割合は04年は31.9%だったが、06年34.6%、08年36.5%、10年40.8%と少しずつ増えている。

年齢別にみると35〜39歳が最もセックスレスの割合が高く、46.9%だった。

 結婚している男女で1カ月以上性交渉がない「セックスレス夫婦」は、41・3%(同0・5ポイント増)と過去最高を更新。性交渉に積極的になれない理由として、男性は「仕事で疲れている」が28・2%で最多、女性は「面倒くさい」が23・5%で最も多かった。


そして、もう一点は、セックスに関心のない、いわゆる草食系男子の割合が高まっているという点です。

 調査では、性交渉をすることに「関心がない」「嫌悪している」と答えた男性の割合は、20〜24歳で4人に1人に当たる24・6%。平成22年の前回調査より3・1ポイント増えた。25〜29歳では14・1%(同2ポイント増)、30〜34歳では13・4%(同7・6ポイント増)と倍増した。
 性交渉に関心がない20代の男性を分析すると、「中学生の頃の家庭は楽しかった」「子供が欲しい」といった回答が、関心がある男性より総じて低かった。


その理由として考えられるのは、セックスに関心のない男性が、「中学生の頃の家庭は楽しかった」という項目のポイントが低かったという点です。つまり、家庭において楽しいことが少なかったということになるでしょう。
おそらく、家庭において深い愛情を感じたり、感動したり笑ったり、家族的な触れ合いが少なくなっているのでしょう。また特に、中学時代ということは、一番多感な、大人になるために大切な期間となる思春期の時期に、家庭が楽しかったと感じられない、ということは、やはり大きな影響があるようです。

セックスレスが30代後半で最も多いというのは、セックスに関心ない男性が30代前半ですでに、倍増している状況を考えると、ゆゆしき事態ですね。

これは私の考えですが、こういうことだと思います。

家庭において、夫婦が愛し合い、その中で子供が成長し、家庭の中で情的なものをもっとも育んでいきます。情的なものが満たされると、そのまま芸術などの分野で能力を発揮することにもつながりますし、知的な面に活かされて、学習面も伸ばすことができたりします。また、友人関係や、外でのスポーツや活動的なものに積極的に関わることもできるようになります。
家庭の中での、両親の調和が、子どもの知情意の発達に大きな影響を与えるのです。

顕著なのは、思春期に両親が不倫騒動になったり、離婚問題が起こったりする場合です。幼少時のこともその子に大きな影響が残り、後に赤ちゃん返りや問題行動の遠因になるということですが、思春期での両親の不和というのは、子どもにモロ影響を与えます。
実際非行、問題行動を起こした子どもは、家庭が面白くない、と感じています。

では、セックスレス夫婦というのが、子どもたちにどう影響を与えるか、です。

疲れているからとか、面倒くさいという理由で、セックスレスになっている、冷めているというよりは、ちょっとゲンナリしている夫婦、これは極ありがちなことです。
子どもたちには特別な影響がないかのようですが、以前にもお話したように、セックスレスの妻の場合は、関心が子どもに強く傾きがちになります。

夫とは冷めていき、子どもには子離れできない、ということになります。
息子がいれば、マザコンになりやすいという図式です。
そして、その息子が結婚したとしても、やはり早々にセックスレス夫婦になっていく、その嫁は満たされずに、その思いを子どもに向け、またマザコン息子を育てることとなる、という循環です。

マザコンにならずとも、草食系男子が増産される背景には、温かみのない家庭というものがあると思います。家庭の中で、妻も夫も満たされていない、そしてもちろん子どもにもその温度は伝わるのです。

また、セックスレス夫婦により、少子化が進むというのは簡単にわかる図式です。
少子化はすなわち小孫化となります。一人っ子ともなれば、4人の祖父母に両親、6人の大人に、大切にされ干渉を受ければどうなるでしょうか。

子どもにとって、愛情不足は問題となるのは当然ですが、過ぎたるは及ばざるが如しで、過干渉の溺愛状態も、よいことはないようです。

何気なくセックスレスになっているというのが、大半でしょうから、ちょっと疲れているけれども、面倒くさいけれども、夫婦関係を持っていく時に、子供の問題行動が嘘のように消えるということも、ままあるのです。
幸せな夫婦が実は家庭の要になっているんですね。

セックスレスの人たちは自分が疲れているから、面倒くさいから、と、なんとなくセックスで消耗するかのようなイメージがあるのではないでしょうか。

そうではないと、私は思います。
お互いを思い合い、慈しみ合う延長線上にセックスはあるので、夫婦共に、セックス後は愛情が高まり、また、健康にもよい影響を与えるという研究結果もあります。家庭を幸せに導くんですね。

逆にセックスしないと、更に面倒くさくなり、夫婦も愛情を感じなくなり、疲れやすくなり、家庭の幸せを損なっていくのではないでしょうか。
セックスレスって、実はとても「損」なことなのかもしれませんよ。

子どもたちの成長のために、夫婦の幸せ、ひいては私たち個人の幸せのためにも、この世が活性化し、平和になるためにも、もしかしてセックスレス夫婦からの脱却が一番効果的なのではないでしょうか。

一足飛びに、ラブラブ夫婦になることは難しいまでも、夫や妻をいたわり、優しい言葉掛けや、ちょっとしたスキンシップをしていくというのも、準備運動としてとてもいいでしょう。

誰かを愛するというのは、犠牲が伴うようですが、それに見合うものを必ず得ることができるでしょう。
温かいクリスマス・イヴを過ごされますように。


今日もよい一日を

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2012年12月23日

終末とは?! マヤ暦の最後の日、私たちは…?! 《ノアの箱舟の話》2


朝日に向かい今日の無事を祈る。








その当時、ノアの家族以外は全てが全滅したのです。まさしく世の終わりが来た、ということでしょう。
しかし、実際は、世界の中の、ある地域の出来事でした。

地平線は平らに見えるように、ある一部分を見れば、それがすべてです。それが世界としか思えません。私たちが歩いていける範囲すべての地は、水平にしか見えません。
実は、大きく見れば、丸いのだということを、誰も気づきはしません。

この世の終わりには、洪水、地震、火山の爆発など、天変地異が起こるというイメージもあります。

大昔から見たら、全世界にも相当する広い地域で、災害が起こり、多くの人が犠牲になるということも、昨今、頻繁に起こっています。

今世紀を迎える頃から、終末を信じる人たちが騒いでいますね。そういう霊的な集団の人たちを、私は単におかしな人たち、とは見られません。
残念ながら、彼らを指導する人が、地球規模、世界的・宇宙的な観点で終末を理解することができないから、そういう騒動につながっていると思います。

現代があらゆる意味で、終末といえるのでしょう。霊的に敏感な人はそういうものを察知するのです。
ただし、その人の世界観・宗教観でしかとらえることができないので、スポットに行こうとしたり、箱舟を作ろうとするのでしょう。

そういう人たちを笑えないけれど、付いてはいけない。でも、もしも本当に終末となったらどうしたらいいのでしょうか。

ある意味、終末は近づいている、あるいは、もう来ていると私は思います。

それは多くの災害が起こっている状況を見ても、普通ではありませんし、実際、霊界が騒いでいるというか、とんでもないことが起こる、という予感のようなもので満ちています。
そう言って脅かしても意味はありませんね。この地球から私たちは逃れることはできないのですから、うろたえても仕方がありません。

私たちの生き方が大切だと思います。

まず、そもそも、なんでこの世の終わりが来るのでしょうか?

ノアの時代に洪水審判を起こしたのは神様でした。地が暴虐に満ちたからです。
淫乱に満ちたソドムとゴモラという大都市も、硫黄の火で焼かれました。(その地方の火山噴火があったと検証されています。)

神様は喜んでそれをしたのではないのです。目に余ってそうしたのです。その災害で亡くなった人の中には、そんなに悪い人とも思えない、私たちと同じような人たちがきっといたことでしょう。
昨年の東日本大震災にしても、その人たちが、神様から見て特別目に余るような悪い人たちだったか、と言えばそうではないでしょう。罪作りな生活をしているのは、東京などの大都市に住む人たちが圧倒的に多いはずです。東北の純朴な人たちは、だったら、私たちの代わりに犠牲になったのでしょう。

そうして、洪水審判の後、ノアの家族は新天新地に足を踏み入れます。つまり、新しい時代が出発したのです。
神様がこの世を滅ぼす、終末とは、新しい時代を迎えることを意味します。

終末というのは、つまり新しい時代の幕開けということでしょう。
いろんな意味で、これまでの歴史を清算して、新しく出発する時、とも考えられます。

私たちはもともと、限りある命しか持っていません。自分の努力で体を健康に保つことはしても、いざという時の寿命はどうしようもありません。
また、体を健康に保つ以上に、魂をきれいに保つ努力も必要ですね。

大洪水でノアの家族が助かったのは、ノアが義人だったからで、家族は彼に従ったからです。
ソドム・ゴモラが一夜にして焼け落ちる時、神様は義人が多くいれば滅ぼさないと言ったのに、10人もいなかったので、かろうじてロトの家族だけが難を逃れました。彼らは義人だったということでしょうか。
アブラハムの甥がロトです。アブラハムは信仰深い義人でした。彼ゆえに、神様はロトも捨てられなかったのでしょう。

ですから、義人になるか、義人に従うしか、終末の時に救われる道はないということです。
義人というのは、分かりやすくいえば、正義の人です。そして、神様から信頼の篤い人です。自分が救われようと躍起になる人ではないような気がします。

私たちも、自分も義人になるか、そうでなかったら、義人に従っていけば難を逃れられるのではないでしょうか。
そして、新時代を作っていくのです。

ちょっと分からない話になりましたが、実際、終わりの日を恐れることはないでしょう。
プーチン大統領が「(太陽が寿命を迎える)45億年後に全てが終わる」と言ったということです。
彼と同意見というわけではありませんが、その時までには、第2の地球に移住する技術ができていることでしょう。
ただ、いずれにしてもその前に、みんなあの世に行きますよ。

私たちがどうして生まれてきたのか、人や宇宙が、神様によって作られた、ということを理解できれば、わざわざ滅亡におびえることもないのですが…。

終わりの日を恐れるのではなく、私がどのように生きているかを恐れるべきです。
いつか必ず死ぬ私たち。その時は魂ひとつしか持っていけないのですから。

終末がいつどこを襲おうが、私は私のできることを生のある限りやり続けるしかない、ということではないでしょうか。一生懸命、世のため人のために生きる、そういう人が、14万4千人に入る人ではないのでしょうか。


今日もいい一日を

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写真は:朝日に向かい今日の無事を祈る。
by (C)芥川千景さん
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