昨日、映画「祈り〜サムシンググレートとの対話〜」の紹介をしたのですが、もうちょっと祈りについて書きたくなりました。
あえて「神」と言わずに、「サムシンググレート」と言っていますが、ようするに、もったいつけていても、神様のことですね。
世界中で、なぜか知らないけれど、お互い会うことも情報を交わすこともできなかった大昔から、私たち人間は、その風土などに適した神を信じてきました。
それは、たまたまだという人もいるかもしれませんが、神様がいるから信じてきた、と考える方が自然です。
「サムシンググレート」、何かわからないけれど、偉大なものが、目には見えないけれど、確かに存在していて、祈ることによって、何らかのアクションがかえって来ます。
神社で祈ったのに、何もなかった、と言う方もいるかもしれません。願ったものが叶うことだけが、神様からの返事ではありません。
祈ると、必ず効果がある、ということは医療現場ではわかりやすいことかもしれません。(昨日の記事を参考にしてください。)
祈りの効果はいろいろありますが、心が落ち着き、整理され、何が正しいのかわかってきます。浄化され、パワーが与えられ、慰労されます。
そういうことによって、その人が勇気をもって正しい行動をあきらめずにするようになれば、祈った願いが叶うことにもつながります。
祈り即、成就ということは、本来はないのですが、もともとそれに対して、努力を積み重ねていた人にとっては、即成就するように見えることもあるかもしれません。
神様は、私たちを守ろうとし、引き立てようとしてくれますが、祈りと行動がなければ、どうしようもないんですね。
日頃から、努力し、精進し、立派にやっている人は、その行動によって結果を得ますが、そこに祈りが加われば、どれだけパワーアップされるでしょうか。
自分に力がある人は、何でも自分でやってしまうかもしれませんが、自分だけでやらない方が、より結果を出せたりするんですね。
ふっと気を緩める、リフレッシュできる時間が、祈りの時間です。
そして更に集中力をアップして、時には軌道修正をして、目的観を明確にして、出発することになるのです。
行動するには、何かの原動力が必要なはずです。
スポーツ選手もメンタル面を重視するようになり、結果を出せる人は、精神統一、集中するために、それぞれに合った方法を模索しているでしょう。
それが、祈りにつながるものです。
祈りや祈りに準ずるものはいろいろあって、人によっては、般若心経を唱えたり、写経をしたり、座禅などで瞑想したり、ムスリムやキリスト教も、宗派によって祈り方が違うとか。
なんでもいいから祈ったらいいのに、と思うのですが、東欧に多い、キリスト教正教では、お祈りは決まったものがあって、それ以外は祈らないのだそうです。
日本にもお経があるし、念仏をあげるだけの宗派もあるし、そういう点は、似ていると感じます。
そういう宗派ごとの祈りによっても、集中すれば、神様に通じることもあるでしょう。
また、神様を忘れていることも多いですが、宗教宗派のしきたりに従わなくても、一日24時間、私たちの心は自由なのですから、自由に祈る時間ももてるのではないでしょうか。
一言だけのプチお祈りなら、難しいことではないですね。
プチでもいいから、祈ること、そして、行動すること、その両方が大切です。
行動プラス祈りで、毎日の生活をよい循環にし、ひとつずつ、少しずつ、願いを叶え、目的を成就していくのです。
行動、といいましたが、これは一回のアクションで終わるものではありません。
三日坊主の話でキム・ナンド教授が言っていたように、それを継続して行う、練習が必要です。
その時、目的観や、決意が鈍るのを、また呼び起こしてくれるのが、祈りです。
ですから、祈りを習慣にしてしまえたら、どんなにいいでしょう。
その習慣が崩れたらまた始め、何度でも繰り返し、3度の食事よりも、なくてはならないものとして、息をするのと同じくらい自然にできるようになる、そんな風に、祈りをライフスタイルにしていきたいですね。
あまり祈りたくない人、というのは、何かやましい思い、正しく生きていないな、とかいうものがあるからかもしれません。
私自身を振り返ってみても、自分を好きになれないような状態の時は、長時間祈っていなかったり、そういう時は、祈るのも嫌になったりします。悪循環ですね。
何かそういう悪循環にはまっていると感じる時、一言でいいから、祈ってみましょう。
何かにつけ、祈りはきっかけになります。何か始める時に祈り、終わった時に祈る、余裕があれば途中経過も祈る、これが私流の祈りです。
お早うからおやすみなさいまで、挨拶のついででも、プチお祈り、してみてください。
※「祈り」をカテゴリーから独立させたいと思います。他の「祈り」の記事もお読みください。
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