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2012年09月30日

踏まれてもくじけることのない…?!「自分の花──雑草のうた」《相田みつをの言葉》

踏まれても、踏まれても…って
私なら文句を言いますが…◇

ハイハイ、いま鍵あけますよ!!


「 自分の花 」
 ──雑草のうた                 


わたしは道ばたの雑草です
名前はありません
図鑑を調べればわたしにも
名前はあるんでしょうが
一度も名前を呼ばれたことがありません
そしてだれからも
相手にされたことがありません
雑草々々とただ嫌われるだけです
だからわたしは
自分の名前を知りません

いま歩道のはじのコンクリの
わずかな割れ目がわたしの住み家
そこがいのちの授かった場所ですから
土も殆どありませんし
肥料などは全くありません
その上 学校に通う子供達の
運動靴によく踏まれます
それでもぐちや泣きごとを
言っているひまがありません

冬がくるまでに
一つぶでも二つぶでも
具体的にタネを残してゆくために
いま一生けんめいに
花を咲かせているんです
だれにも見てもらえない
小さな小さな花ですが
いのちいっぱいの
自分の花を!!
踏まれても踏まれても
くじけることのない
雑草の花を!!


相田みつを
「じぶんの花を」より



ぐちや泣き言、多いですね。不満や不平、言っても仕方がないと思っているのに、なかなか止められません。

でも、本当に痛めつけられている時、って声も出なかったりします。耐えるのに精一杯な時ってあります。
きっと皆、耐えているものがある分、気を許せるところでは、不満の言葉が出てしまうのではないでしょうか。
私などは、我ながら健気だなぁと思うくらいの時があるのに、それをついつい何かの時にぶちまけてしまったりするから、格が下がるのかな、と思うのですが(笑)。

じっと我慢だけでは、精神衛生上よくないので、上手な発散方法で、気分転換などはかりながら、さらにまた我慢の子になるというバランスも必要かと思います。

また、頑張り続けるには、なんのために我慢しているのか、目標としているものがないと、これは耐えられませんね。そして、誰か守るもの、大切なものがあると、強くなれたりします。だから、「母は強し」なんですね、基本的に。
ただただ家族のために、それよりも根底に自分のためにというオバタリアンは、社会の敵になってしまいますが。

ひたすら周囲に花のような笑顔をもたらし、陰では耐えて苦労しているような人には、毎日のお日様とたまの雨が大きなご褒美です。

くれぐれもポキっと折れてしまったり、枯れてしまうことがないように、根を強く張りましょう。打たれ強くなりましょう。
気がつけば、多くの仲間がそこら中の、アスファルトの隙間から、芽を出しているような時がくるはずです。


今日もいい一日を

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posted by kuri-ma at 09:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 相田みつをの言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月29日

私のビリは誰かの代わり?!「ビリ」「おれにそっくり」 《相田みつをの言葉》


秋のおとずれ。


運動会のシーズンとなりました。子どもたちの小中学校は、昨年熱中症の騒ぎがあったため、今年は1学期に済ませていますから、この秋には声が聞けなく残念ですね。
(小学校のすぐ近くに住んでいたのに、引っ越してしまったので、もともとそんな声も聞こえてこないのですが…。)

相田みつをさんは、運動会というといい思い出がなかったようですが、そんな運動会のかけっこにまつわる、詩を二つ紹介します。

ビリにはビリの存在価値があったんだと、ちょっと優しい気持ちになる「ビリ」。
悪いところはみな自分に似たと、息子さんを見つめる「おれにそっくり──PTAざんげの歌──」。
上の詩では、息子さんの場合はビリから2番目だったようですが、もうひとつの方では、やはりいつもビリだったようで、一度きりのブービー賞だったのでしょうか。



「ビ リ」

山辺小学校の
運動会の音楽がよく聞こえてきます
運動会ではいつもビリだったわたしは
運動会はいやでした
六年生の時などは
ノッポでビリのわたしと
わたしの前を走る小柄なB君との間が
二メートルも開いちゃッて
大変恥かしい思いをしました

しかし、いまにして思うと
わたしがビリにならなければ
わたしの代わりに
だれかがビリになったのだ
ビリにはビリの役割があったのだ
と考えるようになりました

それでも我が子が小学校の運動会で
ビリから二番目を走るのを見た時
「オレより速い!!オレより速い!!」と
涙が出るほど感激したものです


相田みつを



「おれにそっくり
──PTAざんげの歌──


運動会ではいつもビリ
子どもの頃のおれにそっくり
鉄棒やれば逆あがりもダメ
歌を歌えば全く音痴
おれが子供の時と同(おんな)じだ

そろばんはじけば
のろくてまちがう
ハサミを使えば出しッぱなし
さがす時には大さわぎ
おやじのおれに
やることそっくり

宵ッぱりの朝ねぼう
背ばかりひょろひょろ体力なし
ちょッと寒けりゃすぐくしゃみ
理くつばかりで
からだがさっぱり
自分じゃ動けず
ひとばかり使う
テレビ見るのも寝ころんで

わるいところが親に似た
わるいところが親ゆずり
わるいところが
おれにそっくり
いやなところが
おれにそっくり


相田みつを
「一生感動一生青春」より




副題にあるPTAは、今でも健在ですが、学校における「家の人」の呼び方は、世相を経て変わって来ていますね。
昔は「父兄」と言いました。家長制度の名残ですね。それが一時、「父母会」などがあったようですが、今は「保護者」で統一されているようです。
父母というと、母子家庭があったり、離婚家庭があったり、片親ということが多くなったり、また祖父母ということもあるだろう、ということで「保護者」に落ち着いているということでしょう。

いずれにしても、こどもにとって、よくも悪しくも、身近な大人、保護者(特に親)は、よいサンプルです。息の吸い方から、眠り方まで、無意識の癖まで似ている親子。微笑ましくもありますが。。。
よい点もきっと、似ていることでしょう。


今日もいい一日を

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2012年09月28日

女たらしの娘は同性愛者?! 愛はお金で買えるか 〜「同性愛の娘と結婚してくれたら50億円」香港の富豪

〜同性愛は親の愛の異常・欠乏から生まれる〜


2012.09.07 和泉川 ハギ


父慈ならざれば則ち子孝ならず、
兄友ならざれば則ち弟恭ならず、
夫恭ならざれば則ち婦聴かず


顔之推(がんしすい)「顔氏家訓」より





以前、マザコンが同性愛を生むというお話をしました。
今回は、親の間違った愛の生活が、子を同性愛に走らせるケースです。
本来、溺愛ではなく、豊かで真っ当な両親の愛の関係の中で、子どもは親のような温かい家庭を築きたいと自然に考えて育つのではないでしょうか。

香港の大富豪が、同性愛の娘と結婚してくれた男性には5億香港ドル(約50億円)を与えると発表したということですね。
この娘さんは7年間交際した女性と、フランスで結婚したと報じられ、その父はそれを否定しているということですが…。
7年間もつきあっているのだし、写真を見る限りでも、同性愛者であることは明らかでしょう。

その父とは、香港社交界の名士で、公の場にしばしば新しい交際相手として若い女性を連れてくることで知られていて、過去に「これまで1万人の女性と関係を持った」と発言したこともあるというのです。
お金があるということは、恐ろしいことです。

過去に何度もお話していますが、お金(財産)と愛情(性愛)はきっちりバランスが取れていないと、毒になることが多いのですね。それも、自分というよりは特に、子どもや孫の運勢を弱くさせ、人生を狂わせていくのです。

これほどの女性関係を持つというのは、異常でしょう。(複数になった時点で問題になるというのに。)
財産を持ったなら、それに見合うことをしていかなければなりません。自分が贅沢に暮らし、女性と毎夜楽しく過ごすために使っていたなら、お金も反逆したくなります。
関わっている人も、甘い汁を吸いたい人が多くなるでしょう。恨みを持つ人もいることでしょう。
お金持ちというのは、とても立派な人であっても、逆恨みされるのですから、大変なのです。

女性関係を考えてみた時、一夫多妻という慣習もありますが、1対1になるのが理想と考えると、1万人の女性と関係を持ったらどういうことになるか、ということです。
たとえお金絡みの合意の上の関係だったとしても、他の男性の大切な相手となるはずの1万人の女性を寝取ったと考えると、恐ろしくないでしょうか。

そういうことを平気で公言するという感覚もすでに狂っています。
お金と女性関係の愛憎のドロドロが、すべて娘さんにかかりますから、娘さんの愛情の感覚が普通ではなくなるのです。
父親のような男性を嫌だと思えば、同性愛に走るのも当然のように感じますね。

このお父さんが、娘さんの母親と現在どういう関係なのかわかりませんが、いずれにしても温かい居心地のいい家庭とは言えないのではないでしょうか。

父親が好きに生きるのなら、子どもが親孝行しようとか、親の悲しむことをすまいとか、考えるわけがありません。

父親が、女性関係が奔放だと、その当然の結果として、子どもは結婚したくても相手がいない、ろくな相手としか縁がなくなる、そういうふうに、結婚運、男性運が悪くなるのです。
そして、息子がいれば、その息子は女性運だけでなく、その人自身の運勢まで弱くなることが多いでしょう。あるいは、父親のコピーのように、またはそれ以上に女性関係が奔放になって、もっとその子や孫に、負の運勢を負わせることになります。
同性愛というのは、その極みです。

ニューヨークに在住している日本人から聞いた話ですが、本当に、信じられないくらいに多いといいます。(同性愛者が、です。)
日本ではまだニューハーフや、性転換系の人たちが主流なのですが、アメリカでは、一見普通(つくものがついた)人たちがペアになって歩いているということです。

また、結婚が合法化されるということで、白人男性二人が養子に迎えた黒人の小さな女の子と一緒に、カフェやレストランの席にいる情景が日常茶飯事のことなのだそうです。
また、レズの場合は、精子バンクの利用などで、どちらかの血を引いた子どもを、身ごもって出産することもできるのです。(どこの誰の精子かもわからないというのに!)

うちにはお父さんが二人いる、お母さんが二人いる、という家庭が珍しくないという現状だといいます。
その子たちには罪はないけれど、申し訳ないけれど、あまりに可哀想な子供たちです。愛情の感覚がおかしいのですから。

同性愛者から見れば、自分たちは心のままに自然に生きていると言うのであって、自分たちがどれだけ異常かわかりません。異常と言ってしまうと、私の発言が人権に引っ掛かるということなるかもしれませんが。
同性愛は、依存症の強烈な変形パターンと考えたらいいでしょうか。これは差別するのではなく、事実、異常なのです。

一日で同性愛になったのではないでしょう。
両親の愛情関係、そのまた祖父母の関係、その中で流れてしまっているもの、幸せな家庭を壊す歪んだ愛情、あるいは愛情の欠如が、子どもの生き方を狂わせていくのです。

どんなに素敵な男性が目の前に現れたとしても、この娘さんのハートを射止めるのは難しいでしょう。
同性愛を一種の病気、依存症の変形と考えれば、もう簡単には変わらないのが理解できると思います。
(依存症は霊的な作用がとても強いのですが、ここでその話を持ち出すまでもないでしょう。)

このお父さんは、お金ではなく、愛情をこの娘さんに注いできたのでしょうか。
お父さんが、自分の今までの生き方をすべて変えて、娘のために、お金で解決するのではなく、自分のすべてをかけていこうとするなら、難しくても、彼女が変わる可能性はあるかもしれません。


今日もいい一日を

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写真は:ハギ
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↓ これはコンドームではエイズの感染を防げない、という内容です。
(男性同性愛者はエイズあるいはHIV感染を免れないということでしょうか。)

kuri-maの参考記事
 既婚夫婦の40%! セックスレスが多いのは、マザコンに由来?! 子どもの非行、同性愛も
また、カテゴリー「同性愛」を新設し、
過去の記事からも挿入しますので
そちらからもどうぞ。


posted by kuri-ma at 10:26| Comment(1) | TrackBack(0) | 同性愛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする