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2012年06月18日

「幸せの国」ブータン国王の『祈り』〜「ワンチュク国王から教わったこと」より


2012.06.17 和泉川 ラベンダーセージにモンシロチョウ


自分のために祈るのではなく、
誰かのために祈ります。

どんな地位の人も、神、仏、自然の前では
ひとりの人間として
謙虚にならなくてはいけません。


ワンチュク国王(ブータン)



「ワンチュク国王から教わったこと」(ペマ・ギャルポ著)を読みましたが、それほど厚みのない、カラー写真も入った本で、中高生に花丸お勧めです。読みやすいので、小学生でも読めるかもしれません。

今日はその中から「祈る」という章がありましたので、そこから抜粋して紹介したいと思います。

ともに日本の復興を祈る

昨年の東日本大震災においては、世界中で日本への祈りが捧げられました。
これほど「祈り」への関心が高まったことがあったでしょうか。しかし、私たち人類の歴史の源をたどっていくと、いつの時代も、王様の初めての仕事はお祈りをすることだったといわれるほど、人と祈りはともにありました。

(東日本大震災で)ブータン国内も悲しみに包まれていました。ブータンの国民が日本のために行ったのは、誰もができること……それは、日本の皆さんとともにあることを示すために「ともに祈ること」でした。

ブータン国内でも、震災直後からお祈りが捧げられました。国王や王族をはじめ、首相や政府関係者、一般市民にいたるまで、皆で灯明をあげて祈ったのです。政府ではブータン国内にいる日本関係者を招いて千個もの灯明をあげたと聞いています。

もちろん宗教的背景も大きく影響していますが、私たちは皆で同じことを祈ると、それはとても大きなエネルギーになると信じています。
「いまブータンができることは祈ることだけです。亡くなられたかたがたのご冥福を祈り、そしていま一生懸命生活を取り戻し、生きようとするかたがたの祈りが実るように祈るのです」と、国王や首相がおっしゃっていました。

国王は、神、仏、自然の前では、ひとりの人間として謙虚にならなくてはいけないという姿勢を貫かれています。

今回の訪日でも、国王は様々な場面で祈りを捧げられました。
皇居前で行われた歓迎式典で、深いお辞儀とともに手を合わされたことは、国王の心の美しさを印象づけるものだったという声を聞きました。

まず両国の国民の幸せを祈り、それから日本の皇室の彌栄(いやさか、ますます栄えること)を祈る。最後に自分たちがもう一回、健康でこの地に来られますようにと祈られたのです。祈りとは自分のためのものではない。……これは非常に大切なことだと思いました。

そして、被災地を訪れたワンチュク国王夫妻でしたが、それが訪日の最大の目的だったということです。

福島での体験は、国王と王妃にとって貴重なものとなりました。誰かを助けるために自分の命を犠牲にした人、自らも被災しながら、さらに困った人たちへ手を差し伸べるなどの労を惜しまなかった人たちに対しての尊敬と感謝の気持ちで、帰路の車中、お二人はずっと手を合わせて窓の外を見つめていらっしゃいました。そして、すべてを失ってしまった人の話や子どもたちを思い、王妃はそっと涙を流されました。私はその涙は尊いと思います。


福島県相馬市の小学校でお話をされたエピソードは、また次回紹介したいと思います。

この本をかかれたペマ・ギャルポさんは、6歳でダライ・ラマ14世とともに亡命し、中学から日本で学び、2008年からブータンの政府首相顧問となっているという経歴の持ち主です。
昨年9月の国王夫妻の来日の際は、通訳を務められました。

ブータンといえば、昭和天皇崩御の際の、前王のエピソードも感動的でした。
  
多くの国で葬儀の前後に日本政府首脳と会談するいわゆる
  弔問外交を行ったのですが、ブータン前国王は行わず、
 「日本国天皇への弔意を示しに来たのであって、日本に金を
  無心しに来たのではありません」と言われたといいます。
  また、その年1ヶ月間、喪に服したということです。

「幸せの国」の国民性は、王や王室の所作にすべて表れているなぁと思うのです。
祈りは自分のためではなく、誰かのため、人のために祈るのだということ、祈りの本質であり、幸せのための大きなポイントだと思うのです。

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kuri-maのブータン関連記事
 3つのロイヤル・ウェディングその後?! 幸せの国、ブータン国王の来日のメッセージ出版etc.
 「幸せの国」ブータン国王夫妻、ふれあいと祈りを日本に?!《国会演説文後半》
 「幸せの国」ブータン国王、国会でお祈り?!国会演説文前半
 「幸せの国」ブータン国王の結婚式2消える文化、伝統。一夫多妻制の終わり?!
 『幸せの国?!』ブータン国王の結婚式1「永遠に一緒に」


参照サイト
 ペマ・ギャルポ『ワンチュク国王から教わったこと』|PHP研究所


posted by kuri-ma at 10:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 「幸福の国」ブータン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月17日

マシュマロの教訓?!「未来のためにいまの苦しみをうけいれる能力」― 韓・人気教授の超ベストセラー「つらいから青春だ」より


雨上がりの朝。


キム教授の今回は「自己管理力」にまつわるお話です。
「きみへの手紙― 浪人生活をはじめたきみへ」からの抜粋、今日はいいとこ取りで「マシュマロテスト」のお話を紹介します。

そして、先日つい気になって添付してしまったニュースこちらから)の続報が入っていましたので、下に掲載しました。
森の中で暮らしていたという少年、実は、オランダの家出青年(20)でした。とんでもない狼少年ならぬ、年も成人ですから青年ですね。昨年9月に失踪して、その間、お父さんは亡くなっています。親の死に目に会えなかったのですね。
彼にはマシュマロテストの機会がなかったのだろうか、と思うのです。家出を思い留まる理由はいくらでもあったはず。

自己管理力か。これはなかなか大人になるという能力ですね。

有名なマシュマロの実験を知っているか?アメリカの子どもたちが「超」大好きなものだ。このマシュマロでスタンフォード大学のウォルター・ミシェルという研究者が実験したんだ。
子どもたちにマシュマロを与えて、「いま食べてもいいけれど、十五分だけがまんすればもうひとつあげるよ」そういったそうだ。ある子はがまんしきれず、すぐに食べてしまい、またある子は健気にも十五分がまんして、もうひとつもらった。それから十五年たって、子どもたちのSAT(アメリカの大学進学適性試験)の成績を追跡してみたところ……、どうなっていたと思う?
十五分がまんしてもうひとつマシュマロをもらった子どもたちの成績は、八百点満点で平均百二十五点以上も、圧倒的に高かったというんだ。おどろかないか?この「満点の先延ばし」ともいえるマシュマロテストは、『成功する人のシンプルな法則』という本で紹介されて、韓国でもとても有名になった。
ぼくはこのマシュマロの教訓が人生の成功のポイントだと思うんだ。
「未来のためにいまの苦しみをうけいれる能力」
これがすべてだ。

社会から尊敬を集める人たちの共通点をひとつだけあげるとしたら、なんだと思う?それはいわゆる「マシュマロ能力」だ。
キム・ヨナ選手はマシュマロ能力があったから、世界の妖精になれたんだ。スポーツ選手だけじゃない。どんな分野であれ、尊敬されるような人たちを注意深くみてみると、「今日の苦しみをうけいれて明日を準備してきた」人たちなんだ。なにをするにも、今日の苦しみなしに明日の成功はない。

ならば、どうすれば明日のために今日の苦しみをもう少し能動的に、もう少し楽しくうけいれられるだろうか?そう、それを人は「自己管理力」とよぶんだ。つまり、きみが密閉された今日をすごしながら悩んでいる自己管理の問題は、人生のキーポイントだ。


kuri-maの参考記事
 お先へどうぞ − 自未得度先度他《相田みつをの言葉》
  ドイツの身元不明少年の記事を掲載しています



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キム・ナンド
ソウル大学法学部と同行政大学院を卒業後、南カリフォルニア大学(USC)で博士号を取得、1997年からソウル大学生活科学学部・消費者学科の教授として在籍。
学生が直接評価する「ソウル大優秀講義」に選ばれ、大学が公式に授与する「ソウル大学教育賞」を受賞するなど、講義と学生指導への熱意が評価されている
(かれの講義はソウル大でもっともはやく聴講申しこみが締め切られることでも有名)。このほかに「韓国ギャラップ最優秀博士号論文指導功労賞」も受賞し、指導にも優れた教授であることが認められている。
ソウル市、京畿道(キョンギド)、保健福祉部、サムスン、LG、ロッテ建設、アモーレパシフィックなど、主要公共機関や企業で諮問や講演を行い、世のなかがどんな人材を求めているのか聞き、
大学やオンラインで、青春を生きる若者たちとコミュニケーションをはかりながら「どんな人生を切り拓いていくのか」アドバイスをしている。
主要日刊紙に「キム・ナンド教授のトレンドノート」を連載するなど、コラムニストとしても活躍している。






2012年06月16日

「なぜ人は宗教に走るのか?!」 オウム菊池容疑者、両親のコメント


2012.06.152012.06.15 追分市民の森 カタツムリ







菊地直子容疑者の両親のコメントは
下に全文を掲載◇


「なぜ人は宗教に走るのか」という命題は、「なぜ人は恋愛に走るのか」という命題とよく似ています。
宗教というと日本では、何かしら偏見の思いが混じりますが、もともとは尊敬され大切にされるべきもののはずです。

それでは、なぜ人は間違った宗教に走るのかという命題に変えてみましょうか。その方がすっきりしますね。
間違った宗教、というのは、わかりやすく言えば、オウム真理教が自分勝手な理屈で人を不幸にしたように、彼らはそれを理想世界のためとしていたのですが、目的がみんなの幸福でも、神さまでもない、自己中なもの、ということです。

ワンチュク国王の言葉にならえば、祈りは自分のためにするものではなく、誰かのためにするもの、つまり人や世の中全体をよくし、幸福になることを祈ってこそ、神様に通じるのです。
当然、宗教=悪ではありません。過去の歴史は、優れた宗教家のお陰で助けられてきたのではないでしょうか。
もともと悪くないはずの宗教がなんで恐ろしいものになるかというと、先ほど言ったように、方向性、動機が、自分にあるからです。

どうして、そんな変な宗教に走るんだ、もっと安心で健全な宗教もあるのに、と思うのは当然です。間違っている、悪い宗教だと、常識ではわかっているはずなのに、オウム真理教(あるいはアルフ)の信仰をやめない人がいるのはどうしてか、不思議に思いますよね。
菊池容疑者のご両親も、必死でオウムから娘を引き離そうとしたのに、難しかったのです。

だから、それは「なぜ人は恋愛に走るのか」という命題と似ているというのです。
人を好きになるときに、危険な人だ、悪い人だとわかっていても、その人にとってはその人しか見えない現象がよく起こっています。「私にはこの人しかいない」と思わせるものが、恋愛の不思議なものです。
恋愛というのは、一種の霊的な現象なのです。魔法に掛かったように、その人に惹き寄せられ、自分の運命の人だ、と思う。何もかも捧げても惜しくないと思うのです。心中ということがよくあるのは、死んでもいい、と思うからでしょう。

何かに恋している人を、相手をけなしたところで、相手の悪い点をいくらあげて、分かるだろう、と言ってもダメなことがあるでしょう。
しかし、我にかえって、とかつくづく愛想がつきたりすることがあれば、命を掛けていた恋人とも別れる決意ができることもあるのではないでしょうか。

私が思うに、本物の愛なら二人は、間違っているように見え、反対を受けたりしても、逆にいい結果を残します。お互いを愛し合い、慈しみ合うカップルには、かわいい子どもが授かり、反対していた親もその愛情にくるまれて、みな幸せになっていったりするのではないでしょうか。

恋愛というのは、幻想をも恋い慕うことができ、ある意味ナルシストな自己中の思いに陥りやすいのですが、本当の愛情というのは、相手のために、そして周囲をも幸せにしようとします。
恋は盲目ですが、愛情は自分だけでなく周囲に広がるものです。

宗教の中で、宗教を通して、自分の野望を果たそうとしたり、自分たちだけが正義というものもありますが、そういうものはちょっと偏った宗教でしょう。
だから宗教が嫌なんだ、と人が言うのは、そういう争いが嫌なのではないでしょうか。

ワンチュク国王が言われるのは、とてもシンプルで分かりやすいですね。誰かのために祈る。
人が人のために、世の中のために祈る、お互いに祈り合うことが幸せを生むのではないでしょうか。本来の宗教も、そのためにあるのでしょう。

宗教を利用してきた歴史だったし、今も利用してばかりいる私たちです。そういう中で間違った宗教も生れてしまっています。
しかし、神様を求めたり、人のために祈りを捧げることは、決して悪いことではない、むしろもっと必要だ、と私は考えています。

私たちの祈り合う力が及ばなかったのでしょう。私たちの祈りの力が足りないので、とんでもない宗教が生れたのでしょう。

私たちに本当の愛情が足りないのも、祈りが不足しているからとも思うのです。祈りの力は、私たちを正しい方に導きます。

また愛情というのは、ポッと沸くだけの恋心とは違います。それを本物のたくましい愛情に育てられるかどうか、それは一時の思いだけでは難しい。
毎日その人のために祈ってあげる、そして、その祈りが間違ったものではなく、みんなの幸福に向かっているなら、毎日の行動も、変わってきます。

悪い男に恋したために、身を持ち崩す人がいます。悪い宗教に、身を捧げてしまう人がいます。
そいういうことにならないように、そういう人のいないように、微力ですが祈っていきたいと思うのです。


高橋容疑者が逮捕された昨日、
6月3日に逮捕された菊地直子容疑者(40)の両親が、
心中をつづったコメントが
各紙やテレビ等で発表されています。
以下、全文を掲載します。

娘、直子が多くの皆様に大変なご迷惑をおかけしました。
長く逃げていて社会に不安を与えました。
親として、被害者・遺族の方々に、深く深くおわび申し上げます。
私どもなりに、直子をオウム真理教と引き離そうとしてきましたが果たせず、1990年の出家後は全く連絡が取れず、このようなこととなってしまい、親としての力のなさにがく然とするばかりです。

娘直子へ。
あの時、直子の気持ちをわかってやれず、ごめんなさい。
あの時は、何をどうしたらよいかわからなかった。
直子、生きていてくれて、本当にありがとう。
ぐっすりと眠って、疲れを取ってください。

きょう(15日)、高橋克也も逮捕されたと聞きました。
直子、オウム真理教は理想郷を作れず、作りませんでした。
もうわかっていると思います。
オウム真理教はとてもひどいことをしました。
直子、ご遺族や友人はもう殺された人には会えないんです。
被害者は生きていたかったんです。
直子はそのオウム真理教の一員だったんです。
どうか、事実を直視していってください。

直子、あなたに会いたい気持ちでいっぱいです。
皆様には申し訳ないことですが、娘に会いたい気持ちであることをどうかお許しください。

ここにあらためて皆様に深くおわびし、また直子に伝えます。

2012年6月15日
菊地直子 父



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冒頭のワンチュク国王の言葉に関する記事を作成しました。
  「幸せの国」ブータン国王の『祈り』〜「ワンチュク国王から教わったこと」より



posted by kuri-ma at 08:27| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする