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2012年05月30日

(後編)人間追いつめられると何をしでかすか分からない?! 「最後の砂糖」《相田みつをの講演から》


2012.05.21 和泉川 コメツブツメクサ


見返りを一切当てにしない行為、
これこそまさに菩薩行です。
本当の布施です。
わたしにとって
終生忘れられぬ慈母観音です。




生き地獄、と言いますが…。
昨日、これが人間かという恐ろしい事件を紹介しましたが。米国で、まさかというおぞましい事件が起きました。全裸の男が、全裸男性の顔をむさぼり喰っていた…!新型LSDでの強い幻覚症状によるものだろうという話ですが、あまりに衝撃的なニュースなので、気分が悪くなるほどです。下にニュースは添付しますが、あえて見なくてもいいかと思います。

さて、昨日、相田みつをさんの、戦時中の体験談を紹介しました。人間、追いつめられると、何をするかわからない、というお話でした。
今日のお話は、その続きで「地獄に仏」というお話です。実際には「地獄に慈母観音」ですが…。
昨日が地獄篇とすると、今日はいうならば「極楽篇」となるでしょうか。

最後の砂糖(後編)

(見つかって絶体絶命かと思ったのですが)Kという古参兵は、私を姉の家に連れて行きました。男ばかりの生活で久し振りに見る女性、しかも美人ですからわたしには慈母観音に見えました。

「姉さん、戦友です。腹が減っていますから、大至急何か食べさせてやって下さい」
それから美人の姉さんが、おしるこを作ってくれました。湯気の立ちのぼる釜の中に、大量の砂糖を紙袋から直かに「ドッドッドッ」と入れたんです。
その頃、砂糖なんてものは、全く見ることもできなかったのです。
「あるところにはあるもんだなあ……」
と、内心タメ息をつきました。そのときの、「ドッドッドッ」という音が、いまでもわたしの耳には残っております。それからおしるこを腹いっぱいご馳走になりました。

それから、二十数年の歳月が流れ、わたしは仕事で宇都宮へゆくたびに、公衆電話で電話帳を調べ、一軒ずつ電話をかけました。Kさんの名字の頭に「柏」の字がつくことだけを覚えていたので、全くめくらめっぽうです。
「つかぬことを伺いますが…」
執念というのは恐ろしいもの、あるときの電話に
「相田さんでしょう。うちがそうです。柏木です」という、はずんだ声。
26年ぶりの〈ご対面〉でした。

柏木さんは、だまされてもだまされても人を信じる初老の乙女で、あまりにも善人なるがゆえに、現実の世の中をうまく泳げない、それこそ『生きるのがヘタな人』(紀野先生の本の題名)の典型の人でした。
「よく覚えてくれていた、よくぞきてくれた、こんなうれしいことはない……」と、涙を流しながらの連発。
「わたしが相田ってことなぜわかりましたか」
「弟がね、沢山、友達を連れてきましたけれど礼状もらったの相田さんだけだったから」
わたしには記憶がありませんでした。

つづけて聞きました。
「あの頃、どうしてあんなに砂糖があったんですか」
「ええ、あのときの砂糖ね、宇都宮も空襲がひどかったでしょ、だからね、いよいよ家中で死ぬというときにね、その前に思いッきり甘いものたべて死にたい、と思って、あの砂糖だけは、どこへ避難するときでも後生大事に持って歩いたの。うちにいっぱい砂糖があったわけじゃないの、あれは、うちにとって、もう最後の砂糖だったのよ」と、淡々と言われました。

そういう大事な砂糖を、見ず知らずの赤の他人のわたしのために惜しげもなく使ってくれたんです。これが本当の布施です。見返りを一切当てにしない行為、これこそまさに菩薩行です。柏木さんは、わたしにとって終生忘れられぬ慈母観音です。
(一部省略、要約しています)
「一生感動一生青春」あるいは
相田みつをカセットシリーズ3「雨の日には…」より


追いつめられた限界の中で出会った、慈母観音。
ということですが、そこに連れて行ってくれた古参兵もすごいです。連れて行ったのは相田さんが初めてではなかったんです。人の辛さというのを知っていたんでしょう。
そしてその中で、相田さんはただ一人お礼状を出していた。覚えていないということですが、そういうことが自然に身についていたんでしょう。恩を受けたらすぐにお礼状。

最後の砂糖を大盤振る舞いをしたのは、もちろん仏様のような人だったからかもしれませんが、そういう人と縁があるということは、相田さんの生き方ゆえだ、と思わされます。

泥棒のカンダタにもくもの糸を垂らされるお釈迦様ですが、それは、彼がクモを助けたという一点の優しい思いがあったからです。理由、根拠がなければ、仏も温情を下すこともできないのでしょう。

確かに、残飯を貪り食うのは餓鬼・畜生にも見える行為かもしれませんが、心は違います。
地獄に仏に出会っても、その好意を生かせるかは、その人に掛かっています。
施してもらったものだけを、貪り食って終わりでは、体は一瞬、極楽にいるようですが、その人の心は地獄に留まるしかありません。
ありがたいことだと、それをしみじみと味わって、心にまで栄養を与える、そういう頂き方もできるということでしょう。そうすれば心は極楽にいくのです。

そういう感謝がお礼状となり、お姉さん(柏木さん)の心にも届いていたのでしょう。だから感動的な再会となり得たのです。
慈母観音を泣いて感動させたのは、相田さんの真心に触れたからです。お互いに仏様のように大切な存在となったんでしょうね。

地獄にあって、出会う仏とは、普通の人間なんですね。
真心からの行為は仏様のように写るのでしょう。

そういうことを考えると、あさましい世の中、地獄のような状況の中でも、人間らしく生きることは、仏様の道に通じるのかもしれません。


今日もいい一日を

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写真は:コメツブツメクサ
by (C)ひでわくさん
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相田みつをカセットシリーズ3
「雨の日には…」
朗読 渡辺裕之
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posted by kuri-ma at 10:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 相田みつをの言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする