草原の昼と夜。
その対比の中に
金子みすゞ流のメルヘンの世界が
◇
「草原の夜」
ひるまは牛がそこにいて、
青草食べていたところ。
夜ふけて、
月のひかりがあるいてる。
月のひかりのさわるとき、
草はすっすとまた伸びる。
あしたも御馳走してやろと。
ひるま子供がそこにいて、
お花をつんでいたところ。
夜ふけて、
天使がひとりあるいてる。
天使の足のふむところ、
かわりの花がまたひらく、
あしたも子供に見せようと。
◇
「草原の夜」
ひるまは牛がそこにいて、
青草食べていたところ。
夜ふけて、
月のひかりがあるいてる。
月のひかりのさわるとき、
草はすっすとまた伸びる。
あしたも御馳走してやろと。
ひるま子供がそこにいて、
お花をつんでいたところ。
夜ふけて、
天使がひとりあるいてる。
天使の足のふむところ、
かわりの花がまたひらく、
あしたも子供に見せようと。
◇
昼と夜のコントラスト。
みすゞが描くとこうなるんですね。
草原では
昼間は牛が青々した草を食んでいます。
また、子供が花を摘んでいます。
一転して夜はというと
月の光と、天使が歩いています。
月の光が触ると青草が、また伸びてきます。
天使の足が触れると、また別の花が咲きます。
牛にまた草を食べさせてあげるために、
子供に花を見せてあげるために。
この、牛のために、子供のために、というのが
何とも優しい詩にしています。
見えないところで、見えない何かが、
誰かのためにそっと何かをしてくれている…。
微笑みひとつも思いやりの心が合わされば
大きな力になるように。