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2012年03月13日

震災後1年、あの子は今?!…昆愛海ちゃん


立入禁止。


「生きてるといいねママお元気ですか」
(ふみ)に項(うな)(かぶ)し幼な児眠る


<手紙>と題した皇后さまが詠まれた歌







私は美談が好きです。感動的な話というのは、人から人へ伝わるもので、一般にみな好きなんではないでしょうか。

2日連続で取り上げた辺見庸さんは、3.11以後、マスコミが流す、美談の数々に辟易としたということですが、対抗するわけではありませんが、被災地の生々しい状況を隠すように感じられる部分があったとしても、私は美談の方がよいです。

美談の中にも、被災地の厳しい現実はしっかり現れていて、私たちはそこから、気持が動かされ、引っ張られるのです。なんとかしなければ、と思うのです。

昨年の3月末、読売新聞に載った昆愛海(こんまなみ)ちゃんの写真とその母への手紙に心を動かされた方は多かったと思います。

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ままへ

岩手県宮古市の昆愛海ちゃん(4)が22日午後、「ママに手紙を書くの」と言い出した。親戚の家のこたつの上にノートを広げ、色鉛筆を持つ。1文字1文字、1時間近くかけて書いた。
「ままへ。いきているといいね。おげんきですか」。そこまで書いて疲れたのか、すやすやと寝入った。両親と妹は11日の東日本大震災による津波にさらわれ、今も見つかっていない。

産経の記事でも「たみちい(寂しい)」と言っていた愛海ちゃんのことばが見出しになっていました。(昆愛海ちゃん関連のニュースは記事の最後にまとめました)

皇后さまが詠まれた歌にも、産経新聞の読者が昆愛海ちゃんに送った手紙にも、心を動かされたからこその思いが込められ、思いやりの行為となったのだと思います。

一年前の大きな犠牲を忘れずに、亡くなった一人一人が遣り残したこと、心残りなことを、代わりになれないまでも、代わりにやっていきたいと思うのです。
残された子どもたちが幸せになること、そして私たち一人一人が幸せになること、美しく誇らしい日本の国にすることが、一番の供養だと、思うのです。


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ラベル:昆愛海 皇后さま
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2012年03月12日

辺見庸「瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ」を論じてみます?!〈一部修正、加筆〉


梅の香とどけ東へ北へ。


ことばを私たちがうばわれるのではなく、
私たちがことばに見はなされるのです。
ことばの主体がすでにむなしいから、
ことばの方で耐え切れずに、
主体である私たちを見はなすのです。


石原吉郎









辺見庸さんは、行かなくてもよい方向に迷い込んでしまっているように感じました。ひとつは戦争への恐れ。もうひとつは原発に対する怖れです。
彼のような知的文化人の中に、きっと同じような傾向の人が多いのかもしれないと、とても残念です。

憲法第9条を擁護するような発言が何回も出てきますので、左翼思想をお持ちなのかなぁとも疑う点がありましたが、それよりは、やはり団塊の世代に多い、戦争、国家に嫌悪を感じるタイプなのかなぁと思います。
もしかしたら、確信的左翼の方かもしれませんが…。

かつて学生運動をした人たちの中で、芯からの左翼もいたでしょうが、大方は乗せられた人たちです。そういう風潮だったといいます。体制や国家などの大きな枠組みを嫌い、戦争反対の美名を吹き込まれた世代ではなかったでしょうか。

「戦争反対」「原発反対」「核撤廃」と叫ぶ人たち、の影に左翼の方たちが必ずいて、その背後にはロシア、現代は中国がいるのです。
戦争反対、原発反対、核を廃絶させ、国を根幹から揺るがせたいのが、ロシアや中国でしょう。そういう言葉を煽りながら、一方でいつ仕掛けようか虎視眈々と狙っているのが、これらの国です。

辺見さんは、今回の大震災で、米軍や自衛隊が活躍したことを、複雑な感情でみていたということです。

「直ちに新型の全体主義またはネオ・ファシズムと結論づけないまでも、それに通じる急激かつ重大な位相の変化が起きつつあることは否定できません。大震災という自然暴力がきっかけとなり、軍隊という国家暴力の存在が、災害救助部隊≠ニいう側面のみマスメディアによりクローズアップされて、社会に歓迎され容認されています。」

これこそ、すでに影響を受けたものがある証拠です。

戦争をなくす方法に二つあるといいます。
ひとつの考え方がこれです。全ての軍備を悪とみなし、武力を解除してしまうのがよいという考えです。

しかし、いくら日本一国が武力解除したとして、戦争を回避できるといえば、どこかの国に占領される道しかないわけです。
本当に戦争を忌み嫌うなら、戦争を吹っかけられない強い国になる必要があります。永世中立国と自称するスイスは、強力な軍備を整えています。だからこそ、平和が保たれるのは、現実の世界の中では当然のことです。

それを戦争反対だから、武装解除しようと、弱い国が叫んでいたとしても、それは侵略を狙っているロシアや中国の手に乗って、丸腰にさせられているだけのことで、平和に通じるものとはなり得ないでしょう。
今まで、丸腰の日本にどこの国も手を出さなかったのは、アメリカという大国が守ってくれていたので、手を出せなかっただけです。
また、攻撃はできないけれども自衛隊の存在も大きいのです。

本当に大きな勘違いをされている方たちが多いのですが、それを勘違いだとは、ゆめゆめ認めようとはされないでしょうね。


さらに言うならば、ACジャパンのCMが「まるで洗脳のように反復放送された」と言い、「とってつけたようなやさしさ」だと、不快感を訴えておられます。

この優しい言葉たちに洗脳されるとすれば、何が問題なのでしょう。
これらの言葉を反復して、ファシズムに走るとか、洗脳されていくというのは不可能なことです。

全体主義的傾向になるのを怖れているようですが、これらの優しい言葉が戦争を呼ぶのではなく、すでに日本の侵略を常に考え、狙っている中国などの存在があるのです。
優しい言葉たちがいくら反復放送したとしても戦争を呼ぶわけではなく、敵はしっかり外にいるのです。

「やさしい言葉」には拒否反応を示す辺見さんですが、文中で紹介している「暴力批判論」(ヴァルター・ベンヤミン)や「原子力都市―核時代の地理と生活」(矢部史郎)などに、すっかり洗脳されてしまっているように感じます。

私は、彼の予感というのか、予知の能力というのはある意味すごいと思いますが、それは暗い破壊的な予知能力のようです。「不穏な予覚」と彼も言っています。

そして、聖書の言葉などを引用して、世紀末の様子を表現しようとしますが、その本質にも触れようとはしません。
聖書でいうこれらの様子は、人間の罪によるものだという「気づき」が主体です。

私もこの大震災は「天罰」のように感じ、私を含め、日本自体が変わらなければならないと真摯に受け止めようと思ってきました。
辺見さんは「天罰」ということを、否定されるようです。
あくまで天というものは無視しようとしているようですね。

「神もことばも、われわれをとうに見はなしている」と3.11の前に辺見さんが予言的に書いたという文章の中にもあります。

神さまは見放していないし、私たちは3.11を契機にもっとなすべきことをなしていくことが、犠牲になった人の弔いとなると、私は思っています。

辺見さんは、3.11に関しても、その表現の仕方言葉だとかなんとかは批判するにも関わらず、結局は、責任を持たないのです。
自分の罪とはしない、自分は負いきれないと言っているように聞こえます。「人間存在というものの根源的な無責任さ」と言って。(「人間」を「私」に置き換えたところで同じです。)

人間が時に無責任になってしまうのは、仕方のないことでもあります。しかし、だからと開き直ることではなく、そういう無責任さを良しとせずに、反省し、もう一度命の尊厳を考え直して、出発する私でありたいと考えています。
時に無責任となってしまい愕然とすることはあっても、それが「根源的に無責任」というのは性悪説でしょうか、私には良い考えには思えないのです。

辺見さんの話はもっともなことを言っているようで、じゃあ何を言いたいのかと突き詰めてみると、なんだか屈折した心だったり、コジツケのようにも感じられます。

3.11の犠牲者の魂を慰めているというよりは、何かへの憎悪が根底にあるし、人の前向きさ(時にそれが軽すぎて見えることに)を否定するものです。震災の美談にも感動しない心で書かれたものなのです。(その憎悪は、突き詰めると戦争や原発なり、その背後の国家に向けられたものにも感じます。)

だから、昨日、お勧めの本ではない、と言いました。
もっと前向きに建設的に、よいものはよいとしていかないと、魂が伸び伸びと成長できないような気がします。それもひとつの個性ではありますが。。。人に影響を与えるのは、よくないでしょう。

というわけで、辺見さんの今の考え方と私が心で求めることとは、大きなズレが生じているようです。きっと、いつまでたっても平行線になるでしょうね。

でも、私は全ての人が幸せになることを絶対あきらめないので、この世で終わりと思っている人には、絶対いつか勝てると信じているのです(笑)。
だから、いつか笑わせてあげたいと思います。笑い合える日をあきらめずに信じ続けるつもりです。

昨日に引き続き、辺見庸さんの
「瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ」を論じてみました。
人生の先輩に対して、
失礼で生意気な物言いであることを、
お詫びいたします。
率直にお話させていただきました。

物事を屈折して捉えたり
悲観的に捉えたりするのは
個性だったり、ショックが激しく
PTSDによるものとも言えますが
こうして、出版をするということは
人に対して責任を持つということです
そういう意味で
悪影響のある書だと断じることにします
部分的にはよい所はあったとしても

なお、トップの言葉は
辺見さんが本の中で引用しておられるものです。
「人間存在というものの根源的な無責任さ」というのも、
同じ石原吉郎さんの言葉です。

また3.11に関するニュースも添付しました。
コメントはあえてしませんが。
ACジャパンCMや、マスコミの流す美談に関して
違和感をもたれていたようですが
3.11の感動的な話のひとつを取り上げてみました。
震災後1年、あの子は今?!…昆愛海ちゃん
辺見庸さんも感動されるのでは、と思います。


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kuri-maの参考記事
 作家・辺見庸「瓦礫の中から言葉を?!」インタビュー全文
 詩「死者にことばをあてがえ」作家・辺見庸「瓦礫の中から言葉を?!」2
 宮沢賢治の見た「きれいな青空」とは?! 詩『眼にて云ふ』
 
  ACジャパンのCMを紹介した記事
 私の言葉が返ってくる?!「こだまでしょうか」金子みすゞ詩の世界14 
 心は見えないが、心づかいは見える?!「行為の意味」若者たちに語り掛ける宮澤章二の詩
 ポポポポ〜ン「挨拶の魔法」が日本を変える?!ACジャパンCM、パロディー版も掲載


 それでも読まれる人、参考にされる方はどうぞ
辺見 庸
「瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ



2012年03月11日

あれから一年たちました?!「瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ」辺見庸論


展望台からの眺め


われわれが見たもの、
あの超弩級のスペクタルというもの…(略)
あの光景とは、…(略)
宇宙の「一瞬のくしゃみ」のようなことだったのかもしれない。
あるいは、大自然、宇宙的な規模でいう
大自然の、一瞬の、一刹那の
身震いのようなものかもしれない。


辺見庸













辺見庸さんの「瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ」を読んでまとめたいと思っていたのですが、けっこう難解だったり、私とは相容れない考え方をしておられたりで、あきらめかけたのですが、今日、3.11の一周年に際して少しだけ、紹介することにしました。

上にあげたニュース記事は、写真や動画で今の被災地や、被災者の状況を、一部かもしれませんが表現していますので、参考にしてください。

辺見さんは石巻市の出身であり、今も友人やその家族が生活していて、幼い頃からの思い出の詰まった地を、人を破壊されてしまいました。
また、以前の戦争で失った痛み、ファシズムへの憎悪と怖れ、そして大自然への畏怖、きっと過去の戦場取材の影響でトラウマ的なものが大きいのではないかと推察するのですが、3.11以降も、かなり精神的につらい状態を通過し、昨年の夏は何も出来ない状況で、ようやくこの書を書き下ろしたということです。

以前にNHKでのインタビューの言葉に関心をもって、全文を掲載したことがありますが(下記)、この本はそれとは別に、その後に書かれたものです。
読んでみて、申し訳ありませんが、お勧めの本ではないな、と思いました。

鋭い意見や、参考になる言葉、なども満載ですが、「ひどい抑うつ状態にあった」と言われる中で書かれたものだからか、理解するには、痛い内容や、厳しすぎる内容、堂々巡りでよけい悩みそうなもの…、何より希望を感じにくい、ラストは宮沢賢治さんの詩を紹介しながら、末期の爽やかさ、死に向かう希望のようなものも感じさせてはいますが…。
真実を書いている部分があろうとなかろうと、だいたいにおいて希望を感じるものとはいえません。

ですから、この本を、特に悩む人には読んでほしくありません。
マイナス的な考えや気分の人にも、益になるとは思えません。
劇薬のようなところがある本です。ある人にはカンフル剤のようになるかもしれませんが。

自分をしっかりもってブレない人、前向きな人、には受けとめられるかもしれません。

例えば、ACジャパンのCMが盛んに流れていた頃のこと、全体主義のファシズムのプロパガンダのように感じ、同じ言葉を合言葉のように言うことに違和感を感じたといいます。
金子みすゞさんの「こだまでしょうか」、宮澤章二さんの「行為の意味」、「あいさつの魔法」のポポポポ〜ンにどうして違和感があるのか。(いずれも私が以前取り上げたもので、ACジャパンのカテゴリーなどにあります。下記)
辺見さんいわく、詩人たちの意図とは別に、おそらく意図的に使われたのだと。彼がそう感じてしまったことは、個人の思いだから仕方がないにしても。

また、被災地での美談にも耳をふさぎたかったようです。
東北の人たちが、暴動をおこさずに、整然と並んで物資を待つ姿勢を、このようなCMなどで抗議運動を心理的に抑制する作用もあったのではないか、といっています。
米軍や自衛隊の活躍にも違和感があったようで。

少し病的というか、非常事態に対するトラウマ的なものが、彼の考えを否定的な被害妄想的なものにしたのではないかと思います。それがいけないとは言えないですが。
また、いずれ、この微妙な内容についてはお話した方がいいかと思います。
  早速、翌日の記事にしました→辺見庸「瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ」を論じてみます?!

実際の被災者の方々にとっては、辺見さんのように、あるいはもっと深刻なPTSD状態の人もおられることでしょう。日本はショックを受けました。私などは、鈍感すぎるほどでしょう。
しかし、「絆」とか「復興」とかいう言葉を、やはり私は大切にしたいと思います。この世の終わりにあっても、希望を見出していきたいと思います。

あまりに多くの人が亡くなって、それを数字でひと区切りにしてほしくない、それぞれ一人一人の生を考えるべきだという辺見さんの思いには、同調できます。

逝った人々を
「あの死者たち」と総称したくない思いが
最近頭をもたげ、胸のうちでは
「わたしの死者たち」と呼んでおります。
たいした違いはないようで、
これらの言葉は個人的にはちがいがあるのです。


けっして軽くはない命のひとつひとつ、それをすべて供養するのは、私たちの生き方しだいだと思うのです。


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 作家・辺見庸「瓦礫の中から言葉を?!」インタビュー全文
 詩「死者にことばをあてがえ」作家・辺見庸「瓦礫の中から言葉を?!」2
 
 私の言葉が返ってくる?!「こだまでしょうか」金子みすゞ詩の世界14 
 心は見えないが、心づかいは見える?!「行為の意味」若者たちに語り掛ける宮澤章二の詩
 ポポポポ〜ン「挨拶の魔法」が日本を変える?!ACジャパンCM、パロディー版も掲載


それでも読まれる人、参考にされる方はどうぞ↓
辺見 庸
「瓦礫の中から言葉を わたしの〈死者〉へ



posted by kuri-ma at 09:39| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする