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2012年01月16日

「百年前、百年後ぼくはいない」谷川俊太郎『朝』


20分遅刻。


「復習」が「復讐」と誤変換されたまま掲載していました(笑)。
訂正しておきます。


谷川俊太郎


また朝が来てぼくは生きていた
夜の間の夢をすっかり忘れてぼくは見た
柿の木の裸の枝が風にゆれ
首輪のない犬が陽だまりに寝そべっているのを

百年前ぼくはここにいなかった
百年後ぼくはここにいないだろう
あたり前のようでいて
地上はきっと思いがけない場所なんだ

いつだったか子宮の中で
ぼくは小さな小さな卵だった
それから小さな小さな魚になって
それから小さな小さな鳥になって
それからやっとぼくは人間になった
10ヵ月を何千億年もかかって生きて
そんなこともぼくら復習しなきゃ
今まで予習ばっかりしすぎたから

今朝一滴の水のすきとおった冷たさが
ぼくに人間とは何かを教える
魚たちと鳥たちとそして
ぼくを殺すかもしれぬけものとすら
その水をわかちあいたい



朝を迎える。
これって当たり前のようなことだけれど、とても貴重なこと。幾重もの奇跡が重なり合って、今日の私たちの命があるんでしょう。

確かに、100年前、私たちはまだここにいませんでした。100歳以上の人しかこの世には存在していなかったのです。
そして、これから100年後までも生きていられるのは、生まれたての赤ちゃんだったとしても、少数派です。

100年に満たない私たちの人生。
水と空気とおいしい食べ物と、温かく快適な家、今日頂いた一日は、自分が一から作り出そうとしたらとても不可能です。
そんな魔法のような奇跡の一日を頂いている私たちなんですね。

長い歴史を経て、今の私たちがいます。
命が母の胎内に宿ってから、そして誕生してから、何度お日様が昇り、何度暮れていったか…。

今、日本語を使ってこうして表現していること、そしてそれを見てくださる人がいるということ。同じ今という時代に、日本というものに関係して出会った、これも縁ですね。
100年違ったら出会うことはなかったし、日本語というものを見たこともない国の人だったら、当然かすりもしない縁でしょう。

今日、同じ朝を迎えられたこと、谷川俊太郎さんの詩を共に共感すること、これは奇跡的に近い関係の私たちですね。


今日もいい一日を

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写真は:20分遅刻。
by (C)芥川千景さん
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今日の詩はこの本から
「あさ/朝」谷川俊太郎(写真:吉村 和敏)



ラベル:谷川俊太郎