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2011年12月19日

シリーズ予告!「神さまっているんでしょうか?!」そして、幽霊は?!


平和な朝。






海外に出ると、「あなたの宗教はなんですか?」と聞かれることが多いのは本当です。
宗教を持っているのは当たり前なので、持っている人だと安心するようです。宗教がない人は信頼がないのかもしれません。
確かに何かを信じられない人を、無条件に信頼に足ると判断はできないのかもしれません。
トップにあげたニュースの内容は、宗教者の偏見と見られる結果かもしれないのですが、そう感じるのが嘘偽りがない思いなんでしょうね、現状は。よかれあしかれ。

このブログタイトル「幽霊っているんでしょうか」は、見えない世界、霊的な存在や魂、そして神さまについて知らせていくものにしたいという動機で出発しました。
毎日記事をあげるのは、私の神さまに対する約束です。時には霊的なものとは一切関係ないような記事もありますが…。

幽霊っているんでしょうか?それはYESです。

生きている私たちがすでに、目に見える体とともに、目に見えない魂をもっています。つまり、霊的な存在でもあるのです。「幽霊」と同じような要素を持ち合わせているということです。
私たちにとって、魂を美しく輝かせ大きく成長させていくことが、とても大切なのですが、実はそのために一番大切なのが、神さまとの関わりということになるのです。

神さまっているんでしょうか?
これも結論を言えばYESです。

幽霊についても、神様についても、その存在すら否定する人が多くいることを私は知っています。

私もかつては、深く知らないにも関わらず、無神論者の端くれでした。本当に何も知らなかったのに、感情論で、いるはずがないと考えていました。宗教がいやだから、というのもひとつの理由だったかもしれません。
どうしてそう考えたかといえば、神様がいようがいまいが、私にはあまり関係のないことに感じていたからだと思うのです。
若い頃の私は今よりももっと自己中で偏った考えをしていました。とても純粋で素直な反面、自分で偏っているとも思えなかったのですね。目に入るものが限られていて、一面的な捉え方しかできませんでした。

私からの提案ですが、ない、ないと意固地にならずに、一旦、神さまも霊界もあると受け入れてみたらどうかと思うのです。
ある、という前提で、3年過ごしてみてください。3年が無理でも、1ヵ月、1週間だけでもお試ししてみても、損はありません。

一旦、神さまを受け入れてしまうと、世の中がすべて自然に思えてきます。無理にいないと考える必要はなかったな、と思うでしょう。
ないと言って見もしない人には、神様も先祖も教えてあげることができないのです。

例えば、誰も親がいない人はいないわけで、親は死んだも同じ、だとか、関係ないとかつれないことはいくらでも言えますが、切りたくても血筋は切れないし、親から生まれた事実は変えようがありません。
神さまに恨み言を言ったり、「神さまがいるならどうしてこんな世の中なんだ」と言ってみたところで、神さまがいないことにはならないのです。
神さまは見えないから、いないというのも理由にはなりません。

私の場合を言えば、神さまに語りかけるようになってから、すべてが変わってきました。自分だけにしか分からない方法で、求める人には神さまを感じられるようになっていると思うのです。

日本人は、神さまから遠い民族ではあるかと思います。
その代わり先祖とか霊的なものには関心が高いのではないでしょうか。
日本のいわゆる神道の神さまは、私たちの先祖の先祖のようなものです。神々であって、本当の神さまではありません。でも、そこからでも神さまの一旦は知ることができます。

霊能者好きの人種も日本人には多いようです。
霊的な能力というのは個人差がありますが、その人の人格や考え方に応じて、適応する霊というのが決まりますから、必ずしも高尚な霊のことがわかる霊能者ばかりではありません。その点は注意してくださいね。

霊能者や占い師などが知れるのは、神さまが司る世界のほんの一端にすぎません。
霊界も神さまが司っているとして、様々に担当する霊(なんとかの神と呼ばれる人も中にはいるでしょう。)の影響するほんの一部しか分からなかったりします。

宗教というのは、神さまや霊界のことを担当するのですが、それぞれの宗教がちょっとずつ被りながらも、全部のことをわかっている宗教があるのかどうか。
宗教にも低級なものから高級なものがあるようで、程度が高いものほど、人の精神や人格の向上を図ると共に、人に奉仕したり、犠牲的な生き方を奨励するようです。

じゃあ、何が私たちの魂にとって必要なのでしょうか。

今後、毎日あげる記事の中で割合は未定ですが、この内容について、話していきたいと思います。
霊界(あの世)とは具体的にどんな世界なのか。天国とか地獄とかいわれるのは、どんな人がいくところなのか、ということ。
じゃあ、あの世での暮らしをよりよくするためには、今私たちはどんな生き方をしたらいいのか、ということまで。
それを通して、霊界や魂、神さまについての説明にもなるはずです。

幽霊っているんでしょうか?神さまっているんでしょうか?
答えはYESですが、どうしてなのか、それについて、いよいよ明らかにすべきだなぁと感じるのです。


今日もいい一日を

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2011年12月18日

「老人を大切にしない」アルカイダの日中批判に「目には目を」?!


枝葉末節。


そなたの口から飛び立った言葉は、
存分にその役割を果たし、
二度と戻っては来ぬ。


ムハンマド









ほとんど「でっち上げ」の記事ですね。これまで欧米に対しては標的にしてきましたが、アルカイダがアジアの国の批判をするのは、初めてだということ。
老人が孤独化して犯罪を犯さざるを得ない社会になっていて、それは、世界の経済大国になった日本が、「完全に物質主義の西欧文化」を受け入れたからだと批判しています。

老人が犯罪云々の情報は根拠不明ではありますが、「孤独死」などの社会現象を考えたら、あれ、的外れのはずが、まぐれ当たりしてる、と感じました。
「老人を大切にしない」痛い言葉です。

お年寄りを大切にしない社会というのは、よいとはいえないし、確かに先細りの社会だと考えます。
ただし、それは西欧文化の影響もあるかもしれませんが、具体的には個人主義の悪弊ですね。西欧はそれが進んでいて、アジアは遅れています。
アジアに比べると、欧米は個人の独立を尊重するところがあるとは思います。しかし、西欧社会も昔は家長制度がしっかりしていて、お年寄りとも同居していたのではないでしょうか。養老院ができたのは近代になってからでしょう。1、2世紀前ならば、違っていたでしょう。

しかし、他の人権面を考えてみたら、女性の立場、黒人などの人種差別、などなど大きく改善されたといえます。
中東では、力が強いものが弱いものを押さえ、負けに回った人たちには人権はありません。また力で報復し、物も女性も奪います。そして女性たちは奴隷のような扱いを受けたりします。
社会も安定していませんから、犯罪というものも、日常茶飯事です。お年寄りが住みやすい生活なのかどうか、一部ではそうかもしれませんが…。

イスラム教の教えのすべてが間違っているということはないでしょう。教えの大半はいいことなのでしょうが、大きく言えば、「目には目を」という考えがまかり通っている点は、行き過ぎれば怖いと思います。
続きを言えば、「目には目を。歯には歯を。命には命を」です。これは、西欧では、ずっと昔の紀元前の考え方です。それが生きているらしいのです。
その頃の人たちは、目を奪われたら、相手の目だけでなく報復に全てを奪いました。その人だけでなく、皆殺しにすることもありました。そんな野蛮な大昔に、目を取られたなら、目だけを奪え、それ以上はダメだ。一つの命を奪われたなら、一つの命だけで他のものは奪ってはならない、と教えたのです。ようするに、目には目以下にしろ、ということであり、必ず奪い返せということでは本来はありません。

しかし、自分本位にとらえたならば、自分たちには言い分はあるのですから、相手の立場を考えたりはしません。やったらやり返す、という名分があるのですから、堂々巡りの報復が続くのです。

さて、話が中東で盛り上がってしまいました。
(実際、私は中東の地の通というわけではなく、いろんな情報に基づいているつもりではありますが、主観が混じっているかもしれません。あしからず。)

では中国はどうかといえば、ここも、人権とか責任とかいう言葉が欠如しているか、ちょっと感覚が違うようです。まず自由がないですから。ツイッターでの実名義務?!すごいです。
そして、いろんな人や会社などが勝手なことをします。回りの迷惑とか、他の人の健康とかは考えないような事件で溢れていますね。

世界中、どんな人たちにも、同じ血が通い、温かい心を持っていると思います。
ただし、共産主義とテロに走るイスラム原理主義に関しては、そういう、人が本来持っているものを麻痺させるものがあるようです。悲しいかな、人間は自分勝手な思いも大いに持ち合わせていますから、そういう心に栄養を与える要素がこれらの主義には多いようです。

貧しさのせいかもしれないし、恨みたいような現実のせいだったとしても、悪人や憎っくき相手に対しても、報復や人権侵害はするべきではないでしょう。
人が裁きを下すことは本当はできないはずなのです。実際、何かをすれば、自分自身がまたその見返りを受けます。

「目には目を。歯には歯を。命には命を」というのは、人が報復するのではなく、自然にその報いを受けるようになっているのですから。人がしたら、それが自分に還るのです。
だから、自分をかわいがるのと同じくらい、人を尊重しなければならない、と私は考えています。

アルカイダもでっち上げ記事を書くならば、「目には目を」で、自然と報いを受けるようになるでしょう。
だから言わせておいて、痛い部分は反省までもして、そうしたら、私たちは報復とは無縁になるのではないでしょうか。


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2011年12月17日

「気づけば死体の真ん中に」アフガン自爆現場にいた記者等々…《中東のニュース》


地熱。


人間は生まれたときは自由である。
しかるに人間は
いたる所で鉄鎖につながれている。


ルソー






人間は、気がついたらそこに生まれています。

このアフガンの記者(カメラマン)は、アフガニスタンで生まれ、赤ちゃんの時にイランに逃れ育ったといいます。貧しい中で、フランスの新聞社に入ることだけでも、大変なことだったでしょう。
故郷であるアフガニスタンで写真を撮り続けることが、自分の使命であると考えているようです。これで何が変わるかわからないけれど、撮り続けていこうとしています。

「私はアフガニスタンのために自分ができることをしたい。過酷で苦い真実かもしれないけれど、その真実を可能な限り伝えたい。ただ、今の状況は私にとっては非常に辛い。私が写真で伝えたい真実とは、私が自分の人生に感じている何かでもある。時々、どこか他の場所を取材できればって思うよ。プロの写真家として活動しながら、それで自分の心が痛まない場所であったら、と」

人は気がついたらどこかの国に生まれているのであって、それを選ぶことはできません。
親の選択によって、国は移住したり、国籍が変わったとしても、民族と、流れる血筋は変えることができません。
この両親のもとに、気がついたら生まれています。そして、男として女として…。
誰にもその人にしかない環境が生まれながらに与えられています。だとしたら、その人にしかない使命もあるのでしょう。

このカメラマンは本心が求める通り、厳しい現実や辛い状況はあるけれども、故国の真実を伝え続けようとしています。

バグダッドで米軍撤収の式典
国際ニュースAFPBB◇
米軍は正式にイラクから軍を引いたようです。「イラク自身に統治させるという任務が現実のものとなった」と国防長官は語っていますが、本当にその任務を全うしたのでしょうか。イラク自身が統治できるようになったのでしょうか。引いちゃっていいのかな、という気もしますが…。

アフガンであれ、イランであれ、イラクであれ、生まれてきたというのは、意味があることです。気がついたら、その国に生まれていたのです。
そして、その人の使命というのも、探し出さなければならないとしても、必ずあるのです。

私たちも、私たちにしかない使命があるのではないでしょうか。
日本に生まれたということ。それも戦時中などの大変な時期ではなく、この現代の日本に生まれたということ。
それは、自分たちだけが楽しいことをして終わるためではないでしょう。

アフガンのカメラマンも、イランで育ちながら、外から故郷を見てきて、アフガンの間違いがわかるからこそ、今キツイ現実を撮り続けることができるのでしょう。
私たちにも、できる何かがあると思うのです。自分のことだけを考えて、このぬるま湯のような日本に浸かったままでいるのではなく、美しい日本に生まれたからこそ、私にしかできないことがあるのではないでしょうか。

いろんなしがらみがあるとはいえ、日本は自由な国です。何をするかは、その人の自由です。
本心に従って、自分の使命を探してそれに生きるのか、どうかも。

真のグローバル化というのは、何か世界の潮流のようなものがあって、誰しもがそれに乗り遅れないようにするとか、ではなく、私の持っている私の国のいいもの、そして私ができる何かよいことを、伝えていくことではないか、と思うのです。
小さいことでもいい、人の助けになる手を伸ばしていく。私の体のように、どこかが痛いといえば、さっとバンソウコウをはってあげられること、世界中がそういう風になることなのではないでしょうか。


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posted by kuri-ma at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 中東・イスラム圏、インド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする