純朴と純真な真実とは、
いかなる時代においても時と場を得る。
ミシェル・ド・モンテーニュ
◇
自分の死亡記事を生前目にすることがあったとしたら…!おそらく、生き方を変え、また死に際を考えるはずです。
今年のノーベル賞の各賞が続々発表されています。
ノーベル平和賞にはリビアとイエメンの三人の女性に決まったということです。いつぞやのオバマ大統領に比べれば、武装兵力も大国の後ろ盾も何もなく、自分の体を張って、まさしく命懸けで平和のために活動して来た方たちでしょう。アフリカと中東、女性が活動することもままならない環境の中で、暴力ではなく、非暴力で平和的に大きな実績をあげています。本当は女性こそ凄い、と思わせられます。
イエメンのタワックル・カルマンさんなどは、まだ政府と戦っている最中で、平和を完全に勝ち取ったわけではないわけで、しかし今回の受賞はどれだけ弾みになるでしょうか。賞金も大きいですし。
二つ目、選考委員会が「驚くべき原子のモザイク」と表現したシェヒトマン氏の受賞について。
確かに素人の目には、イスラムの抽象美術のように見えてしまいますね。これが自然の結晶なんですね。それだけでも感動です。
シェヒトマン氏は当初、同僚たちから発見内容を全否定されたり、笑われたりし、研究所長からは結晶学の教科書を手渡されて読んでみてはどうかとまで言われた揚げ句、最終的に米国標準技術局の研究グループを去るように求められたといいます。
同僚の科学者からの仕打ちは、ありがちなことなのでしょうか。
真実を表すことは、時として受け入れられないことも多いのでしょう。
ノーベル賞の出発はダイナマイトの発明をして巨額の富を得たノーベルが、戦争に使われるなど、不本意な結果になったことを憂えて発足したものだという認識があります。
三つ目の記事は昨年のものですが、「ノーベル賞」創設秘話(?)が明かされています。ひとつは、ノーベル平和賞の第1号受賞者でもあるベルタという女性平和活動家と、ノーベルとの出会いが書かれています。
そして、もうひとつは「死の商人、死す」と題した死亡記事でした。
兄の死亡を彼と取り違えたある新聞が出したもので、「アルフレド・ノーベル博士: 可能な限りの最短時間でかつてないほど大勢の人間を殺害する方法を発見し、富を築いた人物が昨日、死亡した」と書かれていました。
彼はそれまでの考え方を大幅に変え、有名な遺言につながることとなったといいます。
誤報から生じたものですが、こんな、わかりやすく人の心に影響を与えるものはなかったでしょう。
ノーベル賞の功労を考えると、これは神様の計らいとしか思えない、エピソードだと思います。
死んだ時、お葬式でどんな風に人々が自分を送ってくれるだろうか。それは確かに興味ある内容ですが、さあ、それが現実になるかもと思うと、ちょっと待って、と修正しておきたいことが山ほどある私たちではないでしょうか。
写真は:
なつはぜby
(C)ヨマさん
画像あるいはタイトルクリックで写真のページへ
撮影者の名前をクリックすると撮影者のページへリンク
撮影者に許可を得て使用しています
無断転用はご容赦願います
posted by kuri-ma at 09:18|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
ニュース
|

|