感謝します
ごめんなさい
許してください
愛しています
ホ・オポノポノより
◇
ごめんなさい
許してください
愛しています
ホ・オポノポノより
◇
9.11ユナイテッド航空93便の「英雄たち」、墜落現場に慰霊碑
国際ニュースAFPBB
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東日本大震災から半年、南三陸町で合同慰霊祭
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作文集『つなみ』、子どもたちが見た巨大津波
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昨日は米国の9.11事件から10年たった日であり、3.11の大震災から6ヵ月を迎えた日でもありました。
南三陸町では合同慰霊祭が行われ、他の地でも追悼式典が行われたということですが、午後2時46分という時刻には全国各地で黙祷が捧げられたことでしょう。
トップにあげたユナイテッド航空93便慰霊碑のニュースですが、彼らのことを「忘れられた英雄たち」と表現しています。同時多発テロで、貿易センタービルに2機、そして、連邦議会議事堂(ペンタゴン)には1機が突入しました。このユナイテッド航空93便もペンタゴンを標的にしていたであろうと思われますが、乗客の必死の抵抗によってそれは回避されたものの、シャンクスビルに墜落し、乗員乗客40人は即死したというものです。
彼らの抵抗がなければ、もちろんもっと多くの犠牲者が出ていたのは間違いありませんでした。
このように、彼らは英雄として慰霊碑も正式に立てられました。
東日本大震災においても、3万人近くもの人たちが、津波に呑まれて犠牲になりました。
彼らを単なる自然災害で亡くなった気の毒な人たちで終わらせてはいけないと思います。
あのような大きな津波というのは、天の意志によってなされたものです。本当なら私たちが亡くなってもおかしくなかったのに、なぜか彼らが選ばれて亡くなっていかれました。これを尊い犠牲としていくためには、彼らを単なる慰霊ではなく、国をあげて祀ってその犠牲を悼むと共に感謝していかなければならないと思うのです。
彼らが何の罪があって、犠牲になったというのでしょうか。私たちの代わりに、日本のために亡くなってくださったのだと私は感じます。彼らの死を無駄にすることなく、日本をよい国に生まれ変わらせていかなければなりません。今までのような浮かれた状態ではいけないと、私は思うのです。
震災直後、関東では、電話もほとんどつながらなかったり、物資も届かずに店の商品がガラガラになってしまいました。ガソリンを買うのに早朝から何時間待ちもしてようやく給油したり…、計画停電で実際に数時間の停電に耐えたり…そんなこともありました。
それから私たちは、少しだけ節電するようになりました。
先日紹介した「韓国はなぜパチンコを全廃できたのか」にありましたが、ジュースなどの自動販売機、これを全部なくすとなんと原発1機分の電力を使わなくてすむのだそうです。ほお。暑い夏は確かに自販機のお世話になることもありますが、確かになくなってもものすごく困ったりはしないはずの自販機。節電のために全廃という策も、とっても有効だと思うのですが…。これもなかなかなくならない裏があるようですよ。
話を元に戻しまして…、私たちは半年前の出来事によって、それ以前には決して戻れないものも持つようになりました。以前とは違ったところがもっとなければならないのかもしれません。
ユナイテッド航空93便の40人は英雄ですが、犠牲者3000人も同じように国の大きな犠牲になった英雄なのです。
また、東日本大震災の犠牲者3万人も、英雄であると思います。残された私たちは、彼らの犠牲を受け、これから名もなき英雄になっていくのです。なんらかのこと、何かできることをしていけるはずです。
こどもたちの文集『つなみ』については、言葉を添えることもいらない内容です。津波の恐ろしさ、そして大切な人、大切な家、…大切なものを失くしたこどもたちの稀有な体験…。
ですから、私たちはこのままでいてはいけません。生まれ変わったつもりで、今日与えられている命に感謝して、それは犠牲者のおかげであることを忘れずに、彼らを本当に英雄としてあげるための、国つくり、人つくりをしていきましょう。それは自分つくりです。
魂を輝かせていくための思いと行動、今のこの一つの出会いを笑顔から、よい言葉から、と広げていきましょう。
感謝します
ごめんなさい
許してください
愛しています
ホ・オポノポノとは、数百年前からハワイに伝わる、癒しの方法ですが、これらは自分に語りかける言葉なんだとか。すべての問題は私の心から起こっていることであり、私が責任をもって変えていくのです。そうすると、人に対してもこのような言葉が出てくるのではないでしょうか。
犠牲者の方々にも、ありがとう。本当にごめんなさい。何も出来なくて許してください。愛しています。と伝えていきたいです。
参考:ホ・オポノポノ - Wikipedia