さあ夢を叶えましょう

無料カウンセリング
を募っています。詳しくはこちら
まずは記事にコメントをお寄せくださるか
あるいは→のファンより
メッセージをお寄せください
お待ちしています

2011年08月21日

供養は仏のためならず?!


フウセンカズラとアブ。


祈るために、
仕事を中断する必要はないのです。
仕事を祈りであるかのように
し続ければよいのです。


マザー・テレサ




お盆も終わりました。多くの初盆を迎えた仏様を、自宅で迎えることもできないような被災地の状況だったのではと思います。
日本のしょうろう流しや灯篭流しを思わせるような、ランタン。川に流すのも、彼岸を思わせますが、空に上がっていくというのは、やはりあの世に行くようなイメージがありますね。

そんなに信心深いとは思えない現代人ですが、それでもお盆やお彼岸には、お墓参りくらいと思うようです。私の住んでいる市は東京のベッドタウンの一つですが、お墓のベッドタウンでもあって、東京からもお墓参りに来るようで、そういう日はお墓参り渋滞になります。
少しでも供養のまねごとをしないと、人は落ち着かないようです。「まねごと」ではなく、真剣に心の拠り所のようにしている人たちもいるでしょうね。

私の亡くなった義母もそうでした。お彼岸やお盆の時にも、前倒しで、自分の実家と嫁ぎ先の先祖の墓を訪ねるのです。日帰りではちょっとキツイ場所もあるのですが、頑張って行っていましたね。また、お義父さんのお墓は地元にありますから、もちろんお墓参りは欠かしたことはありませんでした。
私たち夫婦は、とてもお義母さんの真似はできないので、それでも年に1回くらいはと思ってはいるのですが…。

供養というのは、手を合わせることも、もちろん大切なんでしょうが、近しい人には思い出してあげ、話しかけてあげることがいいと思っています。できれば写真などを家に置いて、毎日お水や時にはお花などをあげてあげる、そういうことが潤いのある生活になるのではないでしょうか。

供養は先祖のためにすることではありますが、お墓参りにしても、お祈りにしても結局は生きている私たちに自然からのパワーや、心の張りや潤いとなって返ってきています。
供養は仏様のためであって、そうではない、もとより祟られるから怖いからと供養するものなどではありません。

朝は起きて神様に挨拶すると、力がわいてくるものです。
感謝の思いに満たされて先祖にも手を合わせて「行ってくるね」の一言でも言ってでかける、そういう何気ないことを、自然に繰り返していきたいです。


生活の中に
いろいろのことが入り込むので祈れない、
という言い訳をする人たちがいます。
 そんなことはあり得ません。
 祈るために、
仕事を中断する必要はないのです。
 仕事を祈りであるかのように
し続ければよいのです。
 黙想をいつもしている必要もなければ、
神と語っていることを
意識することも必要ではありません。
 どれほどそれがすばらしい体験であるにせよ、
大切なのは、
神と共にあり、
神と共に生き、
神のみこころを
自分のものとして行うことなのです。
 清い心で人々を愛し、
すべての人、
特に貧しい人々を愛することが、
間断ない祈りになるのです。


マザー・テレサ


今日もいい一日を
よろしかったらクリックを
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村
写真は:フウセンカズラとアブ。
(C)芥川千景さん
画像あるいはタイトルクリックで写真のページへ
撮影者の名前をクリックすると撮影者のページへリンク
撮影者に許可を得て使用しています
無断転用はご容赦願います