明るいほうへ
明るい方へ
明るい方へ。
一つの葉でも
陽(ひ)の洩(も)るとこへ。
やぶかげの草は。
明るい方へ
明るい方へ。
はねはこげよと
灯(ひ)のあるとこへ。
夜とぶ虫は。
明るい方へ
明るい方へ。
一分もひろく
日のさすとこへ。
都会(まち)に住む子らは。
明るい方へ
明るい方へ。
一つの葉でも
陽(ひ)の洩(も)るとこへ。
やぶかげの草は。
明るい方へ
明るい方へ。
はねはこげよと
灯(ひ)のあるとこへ。
夜とぶ虫は。
明るい方へ
明るい方へ。
一分もひろく
日のさすとこへ。
都会(まち)に住む子らは。
陽、灯、日が掛詞になっています。この辺のセンスも好きです。
都会に住む子たちは日のさすとこへ。
一見、暗いほうに逆行するように抗ったとしても、人は「明るい方へ」行こうとするのが本能なのではないでしょうか。
人はとかく屈折するものです。本当に心に求めるものとは逆のように、暗部に突き進む衝動も持っています。特に反抗する時期というのがあります。本当は逆らいたいのではなく、どうにもならない心と成長する体とのバランスを崩しやすいのです。
後でよくよく考えてみれば、どうでもいいことでこだわって、自己を主張するのが思春期以降の子どもたちには多いことです。
都会の子は「もやしっ子」というイメージがみすゞの頃にあったかどうかわかりませんが…。
私は、夜にたむろする、そんな子どもたちの姿を連想してしまいました。
みすゞの言いたいのは違うかもしれません。「都会の子どもはかわいそう」というものが、他の詩の中にもあったような気がして…。
「明るい方へ」行きたいというのは、そして高みを目指したいというのは、私たちの時には眠っていたりする、心の奥底に誰でも持っている願いだと思います。
「明るい方へ、明るい方へ」私たちも、心を明るく解放させる方へ向けていきたいですね。暗い方は、マイナス的だとしたら、明るい方は、プラス的な方向です。プラス思考で、明るい方へ行きましょう。
それがいいですよ。
「飛んで火に入る夏の虫」にはならないように、実のあるものとなりますように。
写真は:ひまわりとバッタちゃん
(C)akemiさん
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無断転用はご容赦願います
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