さあ夢を叶えましょう

無料カウンセリング
を募っています。詳しくはこちら
まずは記事にコメントをお寄せくださるか
あるいは→のファンより
メッセージをお寄せください
お待ちしています

2011年08月04日

ソマリアから更に広がる飢餓、どうして子どもたちが犠牲になるのか?!


7月の総棚ざらい。 −見向きもしない−


他人を幸福にするのは、
香水をふりかけるようなものだ。
ふりかけるときに、
自分にも数滴はかかる。


ユダヤのことわざ








ソマリアのニュースは折りにつけお伝えして来ましたが、単独で記事にしたことはなかったと思います。
そうこうしているうちにも、私たちは三度の食事をし、彼らは餓え続けています。
数日が数週間になり、何ヵ月にもなっていくと、深刻さを増していきます。
添付したニュースにもありますが、ソマリアの干ばつによる飢饉というのは、簡単な問題ではありません。せめて水の確保、下水道やせめて井戸でもあれば、そしてちゃんとした産業があれば…、彼らは自力でしのげるようになるでしょうに。

昨年、大洪水の被害にあったパキスタンでは、堤防などの予防策がほとんど手付かずのままで、キャンプ生活をしている中で、また雨季を迎えようとしています。このままモンスーンで洪水が起これば200〜300万人が被災するだろうという状況だということです。

彼らにちゃんとした教育と、仕事と、安全で衛生的な家が一般に得られるようになるのはいつなのでしょうか。
彼らから見れば、放射能がどうのは言っていますが、快適な暮らしをしている雲の上の宮廷人のような私たちではないでしょうか。

上のニュースで心が痛むような写真を目にして頂き、知っていただくことかなぁと思い、繰り返しお伝えしています。おんなじ人間ですから心が痛みますよね。そして何かしら考えると思います。
そういう何気なく考え、今悲惨な中にある人たちのことを意識の片隅におきつつ生活する、半ば祈るような生活になるのではないでしょうか。まず、意識して祈ること。そんな中で具体的な援助をしたいと思えば、寄付でもなんでもしていけるでしょう。
そして、寄付をしたら私の道義を果たしたと気持ちが済む、というのではなく、逆にもっと関心を持つようになるんですね。不思議です。

意識して祈ってあげること、それはまた抜本的な援助にいつかつながっていくと思うのです。
今、餓えている人がいれば助けてあげたい、自分もそんなに恵まれてないけれど。かわいそうな人がいれば、思わずその人のことを優先して祈ってあげる、自分の心配事は置いておいて…。
そいういう祈りと思いやりが満ちていけば大きな具体的な作用を生みます。
持っているものを分かち合っていきたい、そんな思いが誰の心にあると思うのです。

日本でも昔は何回も飢饉というものがありました。天保の大飢饉とかいうものです。そういう時に、生き残った子孫が私たちです。恵まれた立場にあって生き残ったという場合もあるでしょうが、飢餓の中で、自分は食べずに子どもたちに与えて死んでいった親がいたために生き残った子孫なのではないでしょうか。

アフリカでは、昔から戦争や干ばつなどで、大変な状況になることが多かったわけですが、栄養失調の子どもたちの悲惨な写真を目にすることが多かったと思います。親たちもやせ細っていますが、子どもは弱いんだな、と単純に私は思っていました。
ボランティアに行っていたメンバーから聞いた話に私は唖然としました。アフリカでは、年長者から食事を取ることが食事の慣習なのだということです。それが当たり前になっているので、子どもたちは大人が食べ終わってから与えてもらうのを当然のように待っているのだそうです。(全てのアフリカの地域でそうかはわかりませんが、基本的にそういう傾向があるということでしょう。)

日本などでも、年長者が箸を持ってからしか食べ始めないという慣習もあったでしょうが、食べるものに事欠く中では、親が子どもをかばうのではないかと思うのです。アフリカでも、そうであると信じたいです。
多くの子どもが生まれ、餓えの中で死んでいき、また生まれ死んでいくだけだとしたら空しすぎます。
今日は何かおいしいものを口にし、幸せを感じてほしい、と思うのです。

今日もいい一日を
よろしかったらクリックを!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村
写真は:7月の総棚ざらい。 −見向きもしない−
(C)芥川千景さん
画像あるいはタイトルクリックで写真のページへ
撮影者の名前をクリックすると撮影者のページへリンク
撮影者に許可を得て使用しています
無断転用はご容赦願います