夕顔
お空の星が
夕顔に、
さびしかないの、と
ききました。
お乳のいろの
夕顔は、
さびしかないわ、と
いいました。
お空の星は
それっきり、
すましてキラキラ
ひかります。
さびしくなった
夕顔は、
だんだん下を
むきました。
最初は、上を向いて「さみしくない」と言い切っていた夕顔が、だんだん下をむくという表現が、かわいい詩です。「夕顔」というのは、みすゞの詩にも他に登場します。
「不思議」ではひとりでパラリと開きます。
花が開き、閉じるということに、花自体の意思があるかのように感じられるくらい、この自然の様は当たり前のことだけど、当たり前ではすまされない、本当に不思議なことです。
みすゞは夕顔をよく描きますが、一般に朝顔の方が華やかだし、普及しているようですよね。節電対策で、花の簾にしたら粋なんでしょうが、早くからの準備がいりますから、私はいつも出遅れてしまいます。
朝咲いて、午後にはしぼむのが朝顔で、夕顔というのは、本当に夕方咲くんですよ。浜辺に近い所にあるという印象があります。
私がそだった海辺でも、松林に近い砂浜の辺りに地に広がるように毎年咲いていました。朝顔に比べたら、改良があまりされていないからでしょうか、ごくごく地味な花なのです。
写真の夕顔は、かんぴょうの花、蕾です。みすゞの描いたのも「お乳の色」というところから、同じ花と思われます。
私の知っている夕顔は、その一種ではあるのでしょうが、かんぴょうではないと思います。
「夕顔」というと、源氏物語に、光源氏の恋人の一人として登場します。男性によって生きるしかなかったその頃の女性。この「夕顔」は、薄幸の女性として描かれています。光源氏の前の恋人、「六条の御息所」という地位のある未亡人の嫉妬によって、その生霊で死んでしまうのです。正室の「葵の上」の方だったかな、両方だったかな。
平安の頃の人々は、「生霊」というのを信じていたのでしょう。私は平安の人間ではないのですが、信じる方です。生きていても死んでも、魂はありますから。
夕方の陽射しを受けて咲く花、そして朝にはしぼんでいるそのキリリと巻いた蕾。寂しくなって、うなだれていくというのが、なんとなく女性らしいですね。
posted by kuri-ma at 07:32|
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金子みすゞの詩の世界
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