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2011年07月19日

日本代表、なでしこジャパンが世界一となった理由とは?!


2011.7.18 07 09 米国を破り初優勝を果たした日本イレブン=フランクフルト(共同)
 

写真40枚
国際ニュースAFPBB




これまでのなでしこジャパンの軌跡の写真集はこちらから
石原都知事…?!/なでしこジャパン【写真特集】


HAPPY BIRTHUDAY TO ME!!!
なでしこジャパン、優勝おめでとうございます。
専門的な優勝の原因なんて、並べたてるつもりはありませんし、その前にできません。
私は、「なでしこジャパン」の呼称が、十分に勝利を呼んだと思っています。日本を代表とする言葉として、これほどいい言葉はありません。

もともと「大和なでしこ」といえば、女性らしい、おしとやかな日本女性の典型を表した、女性の最上の褒め言葉でした。
いつ、「なでしこジャパン」の呼び方ができたのかは知りませんが、今では国内の女子サッカーリーグも「なでしこリーグ」と呼ぶように、女子サッカー自体に「なでしこ」と付けられているようですね。
もともとの語源となった「大和なでしこ」の意味から見るなら、活動的な女子の軍団である「女子サッカーチーム」の名前にはそぐわないのかもしれません。
しかし「大和魂」という側面から見た時に、日本の持つ最大の美徳である「サムライ魂」のようなものをもった女性、という風に考えれば、現代の日本を代表する女性のチームの呼称として、これほどふさわしいものはないと思うのです。

日本人というのは、特に日本女性というのは、海外で人気を取れるんですね。日本女性はかわいいし、チームに献身的なんですね。その順応力というのか、チームのカラーなどにすぐ馴染む、そして一生懸命に尽くそうとする、まじめにコツコツ頑張る、いつの間にか、海外のチームに入っても大切な役どころを、特に精神的な面ではつかんでしまうということがあると思います。
ですから、代表チームにしても、結束できるんでしょう。

また今回は、震災があって、被災地も含め日本全体に力を与えてくれましたが、日本を背負って立つことに変な気負いがなく、追い風にして、メンタルな上での「大儀」としても掲げながら戦えたのではないでしょうか。

私たちに出来ることをしよう、震災で日本人が心に刻んだことのひとつでしょう。きっと、そんな思いは、選手一人一人の胸にもあったはずです。
誰もが予測しなかった、W杯優勝という快挙を、やってくれましたね。

撫子(なでしこ)というのは、可憐な花の名ですが、ドイツでも、なでしこを訳していうのではなく「Nadeshiko(なでしこ)」で固有名詞として通用するようになったということですね。
なでしこジャパンの偉業ゆえに、日本、日本女性の評価が上がり、一つの日本を表す言葉がまた一つ、世界に知られるようになりました。

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写真は:
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2011年07月18日

がんばっている人にも、いない人にも?!「♪日はまた昇る」浜省【歌と歌詞】


ある日の日の出。
 


どの道を歩いて行こうと
君は君の その人生を
受け入れて楽しむしかない
最後には 笑えるように



大きな痛みをもった人には、「がんばって」と言えないことがあります。そんな時には、一言でもいいから祈ってあげるのです。「がんばって」に耐えられるほどの状態に早くなれるように、と。

海外にいる頃、私も含めて日本人メンバーがよく使う言葉を、一緒に活動する現地メンバーなどに、覚えられて真似されることが多かったのですが、そのひとつが「頑張って」でした。
「Ganbatte!」とほとんど「ガンバテ」に聞こえる言い方で、彼らが言ってくれる時、とってもジンワリ嬉しい気持ちになって、少し元気をもらったような気がしたものです。

帰国してから、周囲に「頑張って!」とは言ってはいけない人種が現れ始めまして、気を使って、このよい言葉を使えないこともままあるわけなのですが、口には出さずともいつもその背に向かって言っていました。「がんばってね」と。

「頑張って」よりもよい言葉は、その人を理解してあげ、受容してあげる言葉だといいます。そうですね。それが大前提。
人から認められた、理解された、分かってくれている人がいる、そういうことが嬉しいですよね。その積み重ねが、自分は必要とされているという思いにつながると思うのです。

頑張れないという、うつ病を患ったような人には、本当は人と関わって会話するのが一番いいのですが、それができないから、さらにパワーがなくなり、更に引きこもって、ますます頑なになるのです。たわいのない会話でも挨拶でもいいというのはそこです。
また、なにもかも嫌になったり、どうでもよくなるのですが、一つでもいいから、毎日、これは自分がやらなくちゃだめ、というものを作っていくのです。お花の手入れでもいいし、犬の散歩でもいいし、もっと小さなことでもいいのです。できるだけ毎日できることがいいけれど、お休みの日があってもいいし、手抜きの時があってもいいんです。

これはいいかも、という提案があります。
毎日朝日を拝むのです。だって、日は毎日休むことなくまた昇ってくるのですし、朝日はパワーをくれますから。思いっきり伸びをするのも、気力が充実する秘訣。これくらいなら、負担にはならないでしょう。
これは、元気で毎日働いている方々にも特にお勧めします。
そんな頑張ってる方たちには、つぶやき声でもいいから、心の中でもいいから、「頑張ったね」と自分を慰労してあげましょう。



日はまた昇る
作詞・作曲・歌 浜田省吾


海鳴りの聞こえる丘で 
青空を見上げて想う
このたびの途上で 
愛した人の懐かしい面影を

今日まで何度も厄介な事に
見舞われて来たけれど
今も こうして暮らしてる
これからも 生きてゆけるさ

夕日が空を 染めてゆく
明日の 朝も 日はまた昇る
おれが ここにいるかぎり
おれが そこにいようといまいと

激しい河の流れを 静かに見つめて

闇の向こうに何があるのか
誰ひとりわからない
わからぬことを わずらうよりも
今日 この時を 生きていたい

河を渡り 谷間をぬって 頂を越えて

長い旅路の色んな場所で
数えきれぬ人に出会う
誰もが 皆 自分の人生と闘っている

荒野にひとり君は立ってる
行く道は幾つもある
だけど たどりつくべき場所は
きっとただ ひとつだけ

どの道を歩いて行こうと
君は君の その人生を
受け入れて楽しむしかない
最後には 笑えるように


歌はこちらからどうぞ→浜田省吾 日はまた昇る





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写真は:ある日の日の出。
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2011年07月17日

「100人の村」の原型となった「もし世界が1000人の村だとしたら」?!


葉漏れ日。
 

今日は、「世界がもし100人の村だったら」の元になっただろうといわれている、ドネラ・メドウズさんの「…1000人の村…」を紹介します。
最初に人種、次に原語について述べていますが、100人に凝縮するとうまく反映できないからか、カットされたようですね。
「100人の村」とはずいぶん違うけれど、詳細が見えてくるような村の状態です。どうぞ。



1990年5月31日号「世界市民」 ドネラ・メドウズ

村の状態のレポート 

もし世界が1000人の村だとしたら
584人がアジア人
123人がアフリカ人
95人が東西ヨーロッパ人
84人がラテンアメリカ人
55人がソビエト人(とりあえずリトアニア・ラトヴィア・エストニアなどを含む)
52人が北アメリカ人
6人がオーストラリア人とニュージーランド人

村の人々の意思疎通はかなり困難だ。
165人が中国普通話を話す
86人が英語を話す
83人がヒンディー語かウルドゥー語
64人がスペイン語
58人がロシア語
37人がアラビア語
このリストでは村の半分の人の母国語しか載っていない。残りの半分は(多い順に)ベンガル語、ポルトガル語、インドネシア語、日本語、ドイツ語、フランス語、その他200語が話されている。

その村のうち・・・・
300人がキリスト教徒(183人がカトリック、84人がプロテスタント、33人が正教会)
175人がイスラム教徒
128人がヒンドゥー教徒
55人が仏教徒47人がアニミスト
210人が残りの宗教(無心論者を含む)

村の3分の1(330人)は子供。子供達の半分だけが、はしかや小児まひのような予防可能な伝染病に対して免疫がある。
1000人の村人のうち60人が65歳以上。既婚女性の半分以下しか、近代的な避妊具を入手・使用できない。
毎年28人の赤ん坊が生まれる。
毎年10人が死に、そのうち3人が食糧不足で、1人ががんで死ぬ。死者のうち2人は生まれて1年以内の赤ん坊だ。
村の1人はHIVウイルスに感染している。その人はまだエイズの末期症状にまで至っていないだろう。
28人が出生し、10人が死亡するので、翌年の村の人口は1018人になる。

この1000人の共同体で、200人が収入の4分の3を手にしている。別の200人は収入の2%しか手にしない。70人だけが自動車を持っている(そのうち数人は複数の車を持っている)。
約3分の1の人は、きれいで安全な飲み水を入手できない。
村の670人の成人のうち、2分の1が文盲。

村は一人あたり6エーカー(2.4ヘクタール)の土地を持っている。全部で6000エーカー(2400ヘクタール)の土地のうち、
700エーカー(280ヘクタール)が耕作地
1400エーカー(560ヘクタール)が牧草地
1900エーカー(760ヘクタール)が森林地帯
2000エーカー(800ヘクタール)が砂漠、ツンドラ、舗装その他の不毛地帯
森林地帯は急速に減少している。不毛地帯は増えている。残りの土地分類はおおむね安定している。
村の肥料の83%を耕作地の40%に投入するーそれは最も豊かで最もよく食べ手いる人たちが所有している。この土地から流れサル過大な肥料が湖と井戸に汚染を起こす。
肥料の残りの17%を割り当てられた60%の残りの土地は、穀物の28%を生産し、73%の人々を養うことになる。その土地の上の平均穀物産出は、金持ちの村人たちが得た産出量の3分の1である。

もし世界が10000人の村であったなら、5人の軍人、7人の教師、1人の医者がいるだろう。毎年300万ドル以上の村の歳出予算のうち、18万1000ドルが武器と戦争に、15万9000ドルが教育に、13万2000ドルが健康管理に使われている。

 村はその地下に、村を何度も吹き飛ばしてしまうのに十分な破壊力を持つ核兵器を埋めている。これらの武器は丁度100人の制御下にある。他の900人は、その100人がうまくやっていけるかどうか、もしうまくやっていったとしても、その武器を不注意や技術的失敗で爆発させないかどうか、また武器を廃棄することに決まったとしても、その兵器から生まれる危険な放射性物質を村のどこで処分するのかを心配して、深い不安を抱いて眺めている。



「100人の村」という概念を作るきっかけになった内容だったのですが、100人の村とは、何を見るかで、ずいぶんカラーが違って見えてくるんでしょうね。

地球の裏側にいる人たち、私たちよりもものを持たない多くの人たちがいることを、考えて行きたいと思うのです。
みんなが笑顔になれる、一つの地球という村が実現するために、村民の私たち一人一人が、今日ひとつでも笑顔を作っていきたいですね。

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